第二章 救いの手①

目次とあらすじ
前回:第一章 小さな反抗者③


 その広い書斎は、実に雑多だった。

 並んだ棚は本で隙間無く埋め尽くされている。

 絨毯が引かれた床には魔物の爪や牙や、毛皮、目玉などが所狭しと転がり、足の踏み場は無い。

 窓際にある大きな書斎机の上には、分厚い本が乱雑に積まれていた。

 窓の外から柔らかな朝の光が差し込み、部屋の隅に転がっていた透明な鉱石――封印結晶に反射した。

 ユナヘルは、来客用の机に向かい、古ぼけた書物に埋もれながら、真っ白な紙に羽ペンを走らせていた。

「つまり、デュリオ王子の方が、根回しが上手い、ということだよ」

 ユナヘルはインク壺にペン先を漬けながら言った。

「根回し?」部屋のどこからか、若い女――ミセリコルデの声が返ってきた。

「メィレ姫は、魔物領から魔物が溢れないように、国内に目を向けてる。でも、ウルドの領主たちの大半は、外の土地を欲しがってる。自国内の魔物と戦うより、人と戦いたいんだ。『北』との軋轢も、限界だし」

「ふぅん? それで?」

 ちらりと部屋を見渡した。

 ミセリコルデの姿は全く見えない。

 部屋のどこかにいるのは確実だが、すぐ傍に立っているのか、隅にいるのか、それすら分からない。

「デュリオ王子派は、そこに目をつけた」

 ユナヘルは汚く走り書きされた紙片をにらみつけながら、自分の考えをミセリコルデに話していった。

 ウルド国王、シノームル・リードルファ・ウルドが床に伏せてから、十日が過ぎていた。

 高齢ということもあり、王の死は時間の問題と考えられていた。

 当然問題となるのは王位継承についてだが、第一王位継承権を持つメィレ姫を押しのけ、第二王位継承権を持つデュリオ王子派がここにきて勢力を増していた。

 デュリオ王子はシノームル王の側室の子である。

 母親は、ウルド国に隣接する南の大国フェブシリアの姫であり、正室の子であるメィレ姫の立場は揺るがないはずだった。

 だがデュリオ王子はフェブシリア国からの援助を背景に、いずれ来るであろう北のデフリクト国との全面戦争への備えをちらつかせ、武力派の領主たちをまとめ上げた。

 結局、長いものに巻かれる主義の日和見派たちは取り込まれ、いまやメィレ姫の味方には、発言力の無い強情な保守派が少し残っているばかりとなってしまった。

 もちろん、このほかにも継承権を持つ王の子らは多くいるが、まだ幼いこともあり、争いの舞台にすら立てていないのが現状だった。

 連日、王子派の領主たちがシノームル王の見舞いに行っているが、そのたびに王位をデュリオ王子に渡すようにと進言していることだろう。

「王子派になったの?」ミセリコルデは驚いたような声を出した。

「まさか。どうして?」

「王子は凄い、と言ってるみたい」

「……僕が今ここでいくらメィレ姫の良い所を言っても、王子の優位は揺るがないよ」

「王子は腹芸が得意そうには見えない顔してたけど」

 ミセリコルデはけらけらと笑った。

 視線を上げると、若い女性が壁際にある本棚を眺めていた。

 肩まで伸ばした赤毛はゆるく巻いており、背丈はユナヘルと同じくらいだ。

「見えてるよ」

「あれ?」ミセリコルデは自分の姿を見て、それから手元の魔法具を見た。「時間切れみたい」

 彼女の手には、針のような刀身を持つ短剣が握られていた。

 下位の魔物であるバンシーを封じた<眠り姫>だ。

 姿隠しの魔法の効力が切れたらしい。

「駄目ね、まだまだ練習しないと」

 疲れたような声を出して、ミセリコルデは魔法具を仕舞った。

 ミセリコルデは同期の兵の中でも飛び切り才能があり、既に第一階梯に至っていた。

 今は第二階梯へ昇格するべく、研鑽を積んでいるようだった。

 自分は未だ第一階梯にすらなれない、ただの見習い兵士に過ぎない。

 ユナヘルはミセリコルデの胸元にある獣の牙が描かれた徽章――第一階梯の証を盗み見た。

「せっかくの休日なのに、こんなところに来てていいの?」

「いいの」ミセリコルデは大きく伸びをした。「フリード様にいいようにこき使われてる間抜けの顔を見たくて来たの」

「……いいように使われてるわけじゃないよ。好きでやってるんだ。手伝いをするなら、ここの本をいくらでも読んで良いって言われてるし」

「あらためて、凄いことになってるわね……」ミセリコルデは机に近付くと、ユナヘルの仕事ぶりをしげしげと眺めた。「あたしそんなにたくさん読んだり書いたりしたら、死んじゃう」

「今回は植物型の魔物についてまとめてるだけだからね。大した量じゃないよ」

「……ユナヘルは、やっぱり文官になったほうがいいんじゃない?」

「いやだよ」

「だったら、知識をつけるより先に、魔物恐怖症を治すべきじゃないかしら」

 突き放すような言葉だ。

 先月行われた魔物との戦闘訓練を思い出し、ユナヘルは沈痛な面持ちになった。

 上官や同僚の笑い声が聞こえたが、醜態を晒したことによる羞恥心よりも、魔物を前にした恐怖心が勝っていた。

 と、部屋の扉からノックの音が聞こえた。

 ユナヘルが返事をすると、両開きの扉が開け放たれた。

 来客の姿を見るや、ミセリコルデは床の上に膝をつき、深々と頭を垂れた。

 ユナヘルも慌てて椅子から立ち上がると、ミセリコルデの横に並び同じ姿勢をとった。

 口角が釣り上がるのを必死の思いで止め、ユナヘルは毅然とした態度を取り繕う。

「ユナヘル、ミセリコルデ、おはようございます。顔を上げて」

 鈴の転がるような声。

 柑橘系の香料が鼻をくすぐった。

「メィレ姫。おはようございます。本日はどういったご用件で?」

 顔を上げて応えたユナヘルに、姫はにっこりと笑った。

「フリードに会いに来たのですが、いないようですね」

 メィレ姫はユナヘルとミセリコルデに近付くと、その肩に触れて立ち上がらせた。

「フリード様は一昨日から王都を出て魔物領へ調査に出ております。朝からお見えになっておりませんので、もしかしたらまだ王都へ帰っていないことも考えられます」

 ユナヘルは声が震えないように気をつけながら答えた。

 今年で二十一になるメィレ姫は、すらりと背が高く、あらゆる人間を虜にする美貌と、快活さを持っている。

 普段なら豪奢な衣装に身を包んでいる姫だったが、今日は動きやすいように質素な上着と脚衣を身に着けていた。

 それでも下々の者が身に付けるようなぼろきれとは比べるべくもない上質なものではあるのだが。

 メィレ姫の象徴ともいえる腰まである金の髪は、今は後頭部で結われていた。 宝石に例えられる大きな碧眼を正面から見たとき、ユナヘルは、普段とは違う雰囲気を感じ取った。

 王である父親の死期が迫り、国内の領主たちはことごとく王子派に取り込まれていく。

 いくら気丈な性格の姫とはいえ、無理もない話だった。

 続けて、長髪の男性が現れた。すらりと背が高く、柔和で美しい顔立ちをしていた。

 彼の名前はオルコット。

 メィレ姫の近衛を務める男だった。

 魔法具の腕前はウルド国内でも五本の指に入るほどで、最高位である第五階梯に到達している。

 彼の胸元には、その証である竜の横顔が描かれた徽章があった。

 手には、身の丈ほどの長さの杖がある。

 持ち手は細長い骨のようで、先端は鳥の口ばしのような格好をしており、大きく湾曲していた。

 くちばしの根元には立派な羽毛が生えている。

 鳥型の中でもとびきり強力な魔物、ガルダが封じられた、<霊峰の哨戒者>という魔法具だ。

 オルコットの姿を視界に納めると、ミセリコルデの背筋がさらにぴんと伸ばされた。近衛兵になり、王族の護衛を務めることは最高の栄誉。

 あまねくウルドの兵の羨望の的だ。

 近衛兵こそが、ユナヘルが目指す地位だった。

「相変わらず、汚い部屋ですみません」オルコットはメィレ姫に頭を下げた。「何度も何度も注意しているのですが、あの頑固頭はろくに言うことを聞きません。昔からそうなんです。あの男は」

「私は別に気にしていませんよ。まあ確かに、足の踏み場が無いのは考え物ですが……」メィレ姫は苦笑いした。

「だいたい、あの男は落ち着きが無さ過ぎます。いくら実力があっても、上に立つものがあの様では下に示しが付きません」

 オルコットは流れるようにフリードの欠点をあげつらった。

 フリードとオルコットが言い争いをしているのは、よく見る光景だった。

 顔を合わせれば口喧嘩が始まるが、お互いに心から憎く思ってるわけではないらしい、ということが最近分かってきた。

「フリード様と何かお約束が?」ユナヘルはオルコットに割り込むように言った。

「ええ、少し。大したことではありませんが」メィレ姫は答えた。

 おそらく、今後の対応についての相談だろう。

 この書斎の主、フリード・パルトリは、ユナヘルやミセリコルデが所属している第七兵団の団長にして、ウルド国でも一二を争う魔法具使いであり、メィレ姫派の筆頭でもある。

「わざわざいらっしゃならなくても、人をやってお呼び出しいただければ……」

「あら、私の顔は見たくなかったとでも――」

「そのようなことはありません!」ユナヘルは真剣な表情で言った。

 オルコットとミセリコルデは顔を逸らし、笑いをこらえていたが、ユナヘルにはそんなことは分からなかった。

「ふふふ、ごめんなさい。そんなに喜んでもらえるなんて、嬉しいことです。いじめるつもりは無かったんですよ。本当に久しぶりですね。こうして会うのは――」

「五十と二日ぶりです」ユナヘルはメィレ姫の言葉を遮って勢い良く答えた。

 すぐに恥ずかしくなって、口をつぐむ。

「もうそれほどになるのですね」

 姫はにこやかな笑みを絶やさずに言った。

 全てを委ねたくなる様な、心地よい感情が、ユナヘルの中で湧き上がった。

 それからユナヘルは、メィレ姫と少しだけおしゃべりをした。

 聞きたくてたまらないことはたくさんあったが、全て飲み込んだ。

 メィレ姫が当たり障りの無い話を望んでいるような気がしたからだ。

「ごめんなさい、もっとたくさんお話したいのですが、そうもいきません」メィレ姫は残念そうに眉をひそめた。「私は行きます。フリードが帰ってきたら、私の部屋へ来るように伝えてください」

「わかりました」

 メィレ姫とオルコットが部屋を出て行き、扉が閉じ、足音が遠ざかったのを確認して、ユナヘルとミセリコルデは大きく溜息をついた。

 二人して、来客用の椅子に深く腰掛け、背もたれに体重を預ける。

「ユナヘル、あんたいつも姫様の前ではしゃいでるの?」

「はしゃいでって……」ユナヘルは困ったように頬をかいた。「はしゃいでるように見えた?」

「大はしゃぎだった」ミセリコルデは疲れたように言った。

 ユナヘルは、姫様の顔を久々に見ることができた嬉しさをかみ締めるように天井を仰いだ。

 結局フリードは帰ってこなかった。

 翌日になり、そのまた翌日になっても。



 それから数日後、シノームル王は没し、その日のうちにメィレ姫は捕らえられた。

 姫は敵国であるデフリクトと内通しており、ウルド国を売ろうとしていたのだという。

 内通の証拠も抑えられており、まるではじめから決まっていたかのような滑らかさで、姫の死刑が決まった。

 メィレ姫派の者たちは、フリード・パルトリの失踪を契機に急速に勢いを失った。

 フリードほどの実力者が、魔物領で魔物に襲われ死んだなどとは考えられず、デュリオ王子派の陰謀を疑わない者はいなかった。

 最終的に行動を起こしたのは、姫に心酔する多数の若い――そして愚かな――兵士だけだった。

 全てが罠だったと気付いたのは、第二階梯の兵士しかいないはずの駐屯所に、多数の第四階梯の兵士が詰めていたときだ。

 行われたのは一方な虐殺。

 ユナヘルが助かったのは、単に運が良かっただけだった。

 先頭を進む兵士の頭が破裂したおかげで、ユナヘルは足を止めることが出来た。

 この救出作戦そのものが、不穏分子のあぶり出しに過ぎないのだと、ほんの僅かでも考えていれば、もっとやりようがあったはずだった。

 突然叩きつけられたメィレ姫の死刑宣告に冷静さを失い、降って湧いた都合の良い奪還作戦に縋り付き、メィレ姫を救うことができるのは自分たちだけだと舞い上がった。

 そのくせ作戦が失敗すれば戦場に背を向けて逃げ出す。

 これほど無様な姿はない。


次回:救いの手②

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