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第一章 小さな反抗者①

目次とあらすじ


 ユナヘルは石に閉ざされた夜道を走っていた。

 胸が苦しくて、頭はくらくらしている。

 喉の奥からせりあがってくる悲鳴を飲み下すのに必死だ。

 大通りを避け、果物屋の角を曲がり、入り組んだ裏路地に逃げ込む。

 夜道を歩く物乞いが、何事かとこちらを見た。

 街灯から遠ざかり、より深い暗闇の中へ身を投じていく。

 脚を止めることは出来ない。

 追っ手の気配はすぐ背後まで迫っている。

 ユナヘルの顔は、汗と涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。

 厳しい訓練によって体に馴染んでいる筈の防具が、ひどく重く感じる。

 全身を染め上げる血は、全て仲間のものだった。

 作戦は失敗した。

 ほかに逃げ出せた仲間はどれだけいるのだろうか。

 作戦終了後の集合場所は決められていたが、向かうつもりはなかった。

 特別仲の良かった兵士はいなかった。

 だがそれでも、一緒に姫を救い出そうと立ち上がったのだ。

 突然脚がもつれて、ユナヘルは固い石の地面の上に転がった。

 手を地面に着き、起き上がろうとしたが、出来なかった。

 見れば数歩ほど後方に、膝から下が転がっている。

 攻撃を受けたのだ。

 悲鳴も出なかった。

 遅れて、焼きごてを当てられたような痛みが右足から伝わる。

 こぼれた血液が石畳を覆い広がり、月光に照らされた。

「当たったぞ」

「へたくそ。足だ」

 背後から声。

 ユナヘルは体を引きずるようにして体を仰向けに起こすと、声のするほうへ顔を向けた。

 二人の男が立っていた。

 胸元にある鳥の羽が描かれた徽章は、彼らが第二階梯の兵士であることを示していた。

 彼らの手には、それぞれ魔法具があった。

 髭面の男は、岩をそのまま削りだしたような短槍<尖塔>を持ち、もう一人の長身の男は、鳥の翼のように羽毛に覆われた片手剣<雲切り箒>を持っていた。

 どちらも、ユナヘルには扱うことの出来ない高位の魔法具だった。

「干渉されたんだ。外したわけじゃない」

 <雲切り箒>を持つ長身の方が早口で言うと、<尖塔>を持つ髭面の方は顔をしかめた。

「……まだ見習い兵じゃないか」ユナヘルの姿を見た一人が言った。「干渉できるわけない。適当なことを言うな」

 ユナヘルは今年で十五歳だった。

 背丈は同年代と比べて頭二つ分低く、体格も小さい。

 浅黒く陽に焼けた肌には若者特有の瑞々しさがあり、茶色の髪は短く刈り揃えられていた。

 兵士仲間によくからかわれる、年齢にしては幼い顔立ち。

 そこには今、くっきりと恐怖が刻まれ、薄茶色の瞳は濁っていた。

「さっさと終わらせよう」髭面の兵士はそう言って、ユナヘルに向かって一歩踏み出した。

 ユナヘルはそこでようやく、自分の腰にも魔法具があることを思い出すことができたが、それだけだった。

 敵を前に震えることしかできない情けなさも、メィレ姫への忠誠心も、圧倒的な死への恐怖が塗りつぶしていく。

「良く頑張った」

 髭面の兵士は哀れみの篭った声でそう言うと、一歩前に出て<尖塔>を振り、魔法を放った。

 ぎちぎちと何かが押し潰されるような音が聞こえ、僅か一呼吸の間に生まれた身の丈ほどもある細長い石の槍は、ユナヘルの胸の中心を貫き、石畳に縫い止めた。

 衝撃が走っただけで、もはやユナヘルは痛みを感じていなかった。

 流れ出る血液に比例して、徐々に視界がぼやけていく。

 やがて、音も、匂いも、地面も消えて、何も感じなくなった。

 真っ暗な世界が広がり、自分の意識が霧散していくのを感じる。絶望も苦痛も全てが無に帰る。

 唐突に視界が開けた。

 ユナヘルは夜の路地を走っていた。鉄の防具に身を包み、自分の荒い呼吸音ばかりが聞こえてくる。

 足を止め、辺りを見回した。

 さっきまで走っていた王都の路地裏だった。

「は?」

 ユナヘルは間抜けな声を出した。

 全身に被った仲間の血の匂いを嗅ぐ。

 路地の向こうからは、近付いてくる追っ手の気配を感じる。

 体が震える。

 自分はさっき死んだはずだ。

 風の魔法で足を落とされ、石の魔法で胸を貫かれた。

 ざっ、と耳の奥から聞こえてきたそれが、自分の血の気が引いていく音だと気付く。

 夢でも見ていたのか、あるいは今も夢を見ているのか。

 やがて二人の追っ手が姿を現した。

「お、諦めたみたいだぜ」長身の兵士が意地の悪い笑みを浮かべた。

 敵が魔法具を構えても、ユナヘルは動けなかった。

 魔法が放たれる。

 先ほど右足を切り落とした不可視の風の刃は、今度は正確に首を両断した。

 ユナヘルの頭部は地面に転がり、噴水のように赤い血を撒き散らしながら倒れる自分の体を見上げていた。

 やがて意識が遠のき、真っ暗な世界に投げ出される。

 そして、ユナヘルは路地を走っていた。

「うわあああ!」ユナヘルは立ち止まり、叫び声をあげた。

 混乱で頭が上手く働かなくなる。

 死んだはずだ。

 それも二回も。

 それなのに、なぜ生きているのか。

 なぜ、また逃げているのか。

 背後から追っ手が姿を現す。

「お、諦めたみたいだぜ」さっきと同じ言葉が聞こえてくる。

「待て! 待って! 何かおかしい!」

 ユナヘルは叫んだ。

 二人の兵士たちは魔法具を構えたまま、僅かに眉をひそめた。

「いまさら命乞いか」<尖塔>を持った方が言った。「死ぬ覚悟くらいしてきてくれ」

「違う! 聞いてください! 僕はさっきも死んだんです! あなたたちに殺された!」

「……何を言ってるんだ?」

「まぁ待てよ、せっかくだ。聞いてみようぜ」

 もう一人がにやにやしながら言った。

 ユナヘルは縋り付くように叫ぶ。

「その魔法具にやられたんです! それも二回! なのに僕はまたこうして逃げているんです!」

「なんだそりゃ」

「僕だって混乱してるんです! 何か、何かがおかしい!」

「変な命乞いだ」

「待っ――」

 ユナヘルの懇願もむなしく、<雲切り箒>から風の刃が走り、首が落ちる。

 意識が遠のき、暗闇が訪れる。

 そして、ユナヘルは再び路地を走っていた。

「なんだ、一体何なんだよこれっ!」

 逃げ続けてもやがて背後から攻撃を受けることを知っている。

 ユナヘル程度の実力では防ぐことは出来ない。

 ならば反撃しなければ。

 全ての疑問を棚上げにして、足を止め、反転して魔法具を抜く。

 すぐに追っ手が姿を現した。

「お、諦めたみたいだぜ」

「うわああっ!」

 ユナヘルは恐怖を振り払うように声を張り上げると、腰に手を伸ばした。

 革の鞘から真っ赤に焼けたような赤い刀身を持つ短剣を取り出す。

 <篝火>と呼ばれる、初級者用の魔法具だ。

 長身の兵士は、面白がるようにユナヘルのことを見下ろしている。

 ユナヘルは<篝火>の切っ先を敵へ向けた。

 魔法具の柄を持った瞬間から、ユナヘルは体の中に臓器が一つ増えたような気分を味わった。

 それはまるで心臓のように鼓動しており、体の中から力が溢れてくるのを確かに感じ取った。

 湧き上がる魔力を切っ先に集め、火の魔法を紡ぐ。

 今日のために何度も練習したその魔法は、とても平静を保てない今のような状況にあっても正確に発動した。

 <篝火>から生まれた火を中心にして、あたりが一気に明るくなる。

 ユナヘルの生み出した炎は、刃の切っ先で人の頭部ほどの大きさに膨れ上がると、二人の敵に向かって矢のように放たれた。

 直後ユナヘルを襲ったのは、水の壁にぶつかったような抵抗感。

 相手の干渉だと気付いたころには、火球は二人の兵士に近づくほどに小さくなり、最後は頼りない蝋燭の火ほどになって消えてしまった。

 再び夜の闇が周囲を覆う。

「良く頑張った」

 その言葉はさっきも聞いた。

 石の槍が胸元に突き立つ。

 悲鳴を上げることも出来ずに、血を流して地に倒れ伏す。

 急速に意識が遠くなり、やがて視界が開けた。

 ユナヘルは路地を走っていた。


次回:小さな反抗者②

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