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第五章 紅蓮竜③

目次とあらすじ
前回:紅蓮竜②


 また新たに別の方角からラグラエルの領地へ帰ろうとしたときのことだった。

 魔法具を手に入れ、紅蓮竜の山から下山しようとすると、遠くで魔法を使う気配があった。

 最初は魔物同士の戦いだろうかとも考えたが、それにしては様子が変だった。

 人間が魔物と戦っているのだろうか。

 だが紅蓮竜の山の近辺にまで足を運ぶ者がいるとは思えない。

 ユナヘルは胸騒ぎを覚え、進路を変えて、気配のする方へと進んでいった。

 魔法の気配を追って下山し魔物領を出ると、ユナヘルは緩衝区にある沼地に入り込んだ。

 湿度が増し、ぬかるんだ地面を進んでいった。

 見つけたのは、破壊されつくした亜人種の村だった。

 泥と草木で作られた家々があったが、どれもこれもまともな形を残していない。

 火の魔法によるものか、焼け焦げた後がそこら中にあり、地面を覆う苔のような植物からは煙がくすぶっていた。

 血と肉片が広がり、ひどい有様だった。

 まともな遺体は少なかったが、かろうじて下半身が蛇の姿をした亜人種だと分かった。

 間違いない。

 ここはスヴェの村だ。

 この破壊が行われたのは、ほんのついさっきだと分かる。

 ユナヘルは胸が苦しくなり、膝をついた。

 かつて自分の村が襲われた光景が蘇り、吐き気がこみ上げてくるのを感じた。

 だが同時に、ユナヘルはスヴェの体温を思い出した。

 体を流れる血が温まっていくのを感じる。

 もう大丈夫。

 スヴェが、大丈夫にしてくれた。

 ユナヘルは胸のうちでそう唱え、立ち上がった。

 魔法の気配は続いている。

 誰かが近くで戦っている。

 誰か?

 違う。

 馬鹿なことを言うな。

 この魔法の気配を間違えるはずが無い。

 気がつけばユナヘルは、<双牙>の魔法を使い、獣のように沼地を駆け抜けていた。

 ここまで近付くと、魔法の気配だけでなく、音や振動が直接伝わってきた。

 やがて、半分枯れたような、痩せた木々ばかりの森にたどり着いた。

 森の中は戦いの跡が広がってる。

 薙ぎ倒された木々には火がつき、延焼していた。

 地面に巨大な足跡があるのを横目で見て、ユナヘルはさらに速度を上げて走った。

 音と振動、そして、魔法の気配が、ぱったりと途絶えた。

 戦いは終わったのかと考えるのと同時に、ユナヘルはそこへ辿り着いた。

 地獄と化した森の中に、スヴェはいた。

 彼女は右手の<捩れ骨>を杖のように地に突き立て、片膝を着き俯いていた。身に着けている服は焼け焦げており、自身の血によって赤く染まっていた。

 目を疑う光景だった。

 高階梯のウルドの兵士をものともせず、数多くの凶悪な魔物を退けてきたあのスヴェが、地面に膝をついている。

 スヴェが空に視線を向けた。

 夜が来たように暗くなる。

 何かが太陽をさえぎり、辺り一体を影が覆ったのだ。

 一瞬の後、突風が巻き起こり、影は消え、そして地面が揺れた。

 地に膝を着くスヴェの前に、翼を持つ絶対者が降り立っていた。

 それは一対ずつある前脚と後脚で大地を踏みしめると、肩から広げていた翼を折り畳んだ。

 長くたくましい尾が動き、スヴェをぐるりと取り囲んだ。

 深い青色の瞳が、手の届かない頭上高くから、スヴェを見下ろしている。

 興味深そうに、と言っていいのかユナヘルには分からないが、スヴェのことを覗き込んでいるようだった。

 全身は縒り合わされた太い筋肉の束で出来ていた。

 体中を覆う鈍い緋色の鱗が、中天に上った陽光を反射している。

 鱗は滑らかな金属のようで、こんな状況でなければ見蕩れていたことだろう。

 頭部は体全体と比べると小さく見えるが、それでもその短剣のような牙の並ぶ口が開けば、ユナヘルなどすっぽりと入ってしまう大きさだった。

 竜の頭の側面からは二本のねじくれた角が生えており、竜の視線の先に向かって突き出している。

 先ほどから黒煙が漏れ出ていた口元が開く。

 その青い両目が知性を湛えているように見えるせいで、ユナヘルは、その口から人の言葉が出てくるのではないかと身構えてしまった。

 紅蓮竜。

 ユナヘルの脳裏には、その言葉が自然と浮かび上がった。

 魔法の気配は無く、この距離まで近付かなければ、その存在を察知できなかった。

 これまでの経験上、ありえないことだった。

 魔物だというのに、まるで兵士のように、魔法の気配を隠している。

 ユナヘルの背を、悪寒が貫いた。

「スヴェ!」

 叫び声を聞き、彼女は、ユナヘルの方へ顔を向けた。

 絶望がこびりつき、疲れ果て、何もかも諦めた顔をしている。

 そして、それがスヴェの最期の表情だった。

 竜の大顎がスヴェに食らいつき、頭上高くへ持ち上げられていく。

 彼女の足が苦しそうにばたついた。

 こぼれた血が竜の顎を伝っていくのを、ユナヘルはつまらない冗談を見るような目で見ていた。

 数度の咀嚼を経て、竜の喉元が動くのが見えた。

 スヴェだったものは、竜の胃袋の中へ滑り込んでいったのだ。

 悲鳴に似た怒号が、ユナヘルの口から飛び出した。

 頭の頂点から爪先まで、すべてが心臓になってしまったかのように、血が燃えながら全身を巡っている。

 ユナヘルは魔法で強化された足で地面を砕き、走り出していた。

 竜が青い目でユナヘルを捉える。

 その瞬間、ユナヘルは凍りついた。

 地獄の底へ続いているのではないかと思うほどの、暗い縦の裂け目が、ユナヘルを待ち構えていた。

 慣れ親しんだ死の感覚が全身を覆いつくす。

 一瞬後には王都の路地裏に戻るのだろうという錯覚を覚え、そして、焼け焦げるような怒りが、恐怖を飲み込んでユナヘルの体を突き動かした。

 眼を直視しただけでこれだ。

 ユナヘルは竜と自分の力の差を思い知った。

 だが止まらない。

 止まってたまるものか。

 喉の奥から、獣のような咆哮が噴出した。

 竜の太い尾が空を走り、ユナヘルに横から直撃する。

 普通なら上半身がなくなっていてもおかしくない速度で叩きつけられた尾は、<灰塵>の盾によって防がれた。

 尾を止めた衝撃で、ユナヘルの足がくるぶしの辺りまで地面に陥没した。

 全身の筋肉が悲鳴を上げているのが分かる。

 <灰塵>による巨人の如き怪力を得る魔法を使っていても、正面から受けるのは危険だ。

 目と鼻の先までやってきた尾を両断してやろうと、<灰塵>を振りかぶる。

 だがユナヘルは視界の端で、竜が口を開くのを目撃した。

 自分の肌が粟立つのを確かに感じた。

 咄嗟に振り上げた灰色の魔法具を竜に向けてかざすと、次の瞬間、灼熱の奔流がユナヘルへ殺到した。

 <灰塵>の影に身を潜めるようにして、ユナヘルは竜の炎から隠れていた。

 キュクロプスの目が竜の口から放たれる炎をかき消すが、死の息吹は止まらない。

 ユナヘルはその場へ釘付けになった。

 炎熱はユナヘルをじっくりと舐め上げている。

 露出している肌が火傷を負っていくのを感じた。

 炎を消しきれていない。

 魔法の無効化が間に合っていないのだ。

 急に足から力が抜ける。

 ユナヘルは自分がひどく消耗していることに気づいたが、体力的なものではないとすぐに分かった。

 相手の魔法を消し続けているせいだ。

 右手の<空渡り>を構え、意識を集中する。

 失敗すれば炎に巻かれてしまう。

 ユナヘルはその場に雷鳴と閃光を残して消え、一瞬の後に竜の後方へ姿を現した。

 雷の精霊であるエンリルが使用していた、光となって移動する魔法である。

 空間を飛び越えるかのように移動できる恐ろしい魔法で、エンリルを封印する際に非常に苦戦した要因の一つであるが、いざ使う側になるとその欠点が良く分かる。

 それほど長距離を移動できるわけではないし、連続で使用することが出来ず再使用まで時間がかかる。

 そして、攻撃魔法と同時に使うことが出来ない。

 竜の背後を取ったユナヘルだが、奇襲は出来なかった。

 竜は炎の息吹を止めると即座に反転し、ユナヘルへ頭を向けた。

 移動先が分かっていたのだ。

 竜が振り向きざまに、強靭な前脚をユナヘルの頭上に振り下ろした。

 打ち合うように怒り任せに<灰塵>を振るったが、膝が震えていては勝負にならない。

 ユナヘルはそこで意識を失った。


次回:紅蓮竜④


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