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黒いもの

私は福島県の郡山市というところで生まれ育ちました。実家のすぐ側にはあぶくま川という一級河川があり、いつもごうごうと音を立てています。家の周りには鬱蒼と木々が茂っており、隣に家は建っていますが人の気配はあまり感じられません。そんな田舎で暮らしていたせいか、18で家を出るまで随分と不思議な経験をしてきました。こんなことがあったんだよ、と家族に話しても「気のせいよ」と言われることが度々あり、私は成長するにつれ、そういった不思議な現象について言及することを辞めてしまいました。しかし、思春期に差し掛かったころ、私は思いがけない出会いを果たしてしまいます。夕飯を食べ終え、リビングから2階にある自分の部屋へ移動しようとしていた時でした。私の家には、リビングのドアを開けると廊下を挟んで向かいに和室があります。いつもなら、夕飯後の家族団欒を早々に抜けて、自室で絵を描いたり本を読んだりして過ごすのですが、この日は何故だか和室が気になった。和室のふすまを思い切り開けると、画用紙のような奥行きのない黒が目前に現れました。いくら目を凝らしても、月明かりに照らされた和室の風景は見えません。前に進もうとしても、黒いものが放つプレッシャーに押し返され、開いたふすまからせり出すようにしてその黒いものは私に近づいて来た(感じがした)ので、私はふすまをそっと閉じ事なきを得ました。金沢21世紀美術館にアニッシュ・カープア「世界の起源」という作品が展示されているのを、昨年見ました。無機質であるにも関わらずこちらに迫ってくるような威圧感に、あの日、和室に居た黒いものを想いました。私の人生の中で、度々思い起こされる黒いもの。電源が落ちたスマホの画面、暗転中の暗闇、新品の炊飯器の釜の底、ベッドの下、髪の毛が詰まった排水溝など日常のあらゆる瞬間を利用して、それは存在を訴えかけているような気がします。あの日、確実に存在していたことを示す、という点では俳優も同じかもしれません。このように符合させてしまうのは私の悪い癖だと思います。しかし、感覚で捉えられる物質的な世界だけでなく、人の気持ちや心など目に見えないものを使って劇世界を構成していく俳優の仕事に、言い様のない引力を感じてしまうのは、そういった経験のせいかもしれません。


オーディションのための自己紹介。けっこう思い入れのある話だったけど残念ながら落ちてしまったので、オーディション向けの文章ではなかったな、と反省。確かに、必要な情報が全然足り無いし、だからなんのこっちゃ、的な話にとどまってしまっている。でも頑張って書いたので誰かに読んでもらいたかった。


最後に夫の短歌を紹介します。

「十字路を通らないよう帰っておいで」祖母の家へと吸血鬼ゆく

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