19-0501-1ベンチの男1

年表を眺めながら#4「若者は老いると自然に大人になるか?」

1967

漫画家のモンキー・パンチは戦前の生まれだ。彼が世に出るエピソードが描かれた 漫画『ルーザーズ』(吉本浩二)に、モンキー・パンチの生みの親である編集者の清水文人が「これからどんな漫画雑誌を作っていけばいいか?」を悩む姿が描かれている。そのとき清水は、自分よりも年下の若者たちを見かけ「新しい時代が来る」と感じる。そこにいたのは、戦後生まれの団塊の世代だ。

しかし清水は、モンキー・パンチには「好きなように描け」と言うだけで、「あの若者たちに受けるように描け」とは言わなかった。

2003

ゼロ年代、まだ若者だったぼくは渋谷の映画館「ユーロスペース」に足繁く通っていた(渋谷駅南口側の桜坂にあったころ)。その映画館では時々古い映画の特集をやっていて、ぼくはそこで「中平康レトロスペクティブ」に出会った。中平は1950年代後半から60年代にかけて活躍した監督で、フランスのヌーヴェルヴァーグに大きな影響を与えた、と紹介されていた。

中平の映画は「日本映画は地味」というぼくが抱いていた固定観念を打ち砕いてくれた。だが、いまでも秀逸だと思うのは、この特集の予告編である(YouTubeにも低画質ながらアップされている)。この予告編は、一時代前の映画でも、新しく紹介しなおすことで現代の誰かに届く可能性がある、と教えてくれている。

2018

ここ数年、大人は若者を理解しようとして、若者に人気のサービスを使ってみたり、若者自身をアドバイザーとして開発の現場に招いたりしている。
それはたぶん一定の効果を上げるだろう。

大人になると、若者を遠く感じる。だからこそ若者を理解するために若者へのリサーチは欠かせないかもしれない。それでも、最後の最後は、大人である自分が意義を感じるものをつくるべきで、その意義を測るモノサシを培うには、「若者向け」につくられたものだけでは不十分だ。世界にいるのは若者だけではないからだ。そして結局、「消費者としての若者」も年を重ねれば、若者ではなくなり、次の文化の作り手・担い手になる。そのとき、若者向けの文化しか知らない人たちは、一体なにを拠り所にものをつくるのだろう?



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