ヒトはなぜ学ぶのか?

ヒトはなぜ勉強をするのだろう?と考えることがある。
ある日、街を歩いていたら、前を歩いていた親子の会話が聞こえてきた。
「宿題やってからね」と。

ぼくには子どもがいないが、もし子どもから「なんで勉強しないといけないの?」と聞かれたらどう答えるだろう?世の親御さんたちはどのように子どもたちを勉強するように促し、子どもたちはどのように説得されているのだろう。という疑問がある。そして、誰にも聞いてない。

21世紀に入ってからの東京しか知らないが、ぼくの20代はビジネス書の全盛期だった。実用的か否かが問われる時代に20代を過ごしたということだ。だからぼくの中には「それって仕事になる?(金になる?)」という考え方が、いまもどこかに染み付いている。

30代になってから、歴史にまつわる本を読むようになった。何か目的があるわけではないが、ビジネス本をいくら読んでもうだつのあがらない自分に嫌気がさしたのかもしれない。
しかし歴史をひもときながらも、一体この知識は何の役に立つんだろう?と思っていた。明治維新、日清日露戦争、大正デモクラシーからの日中戦争〜。みたいな流れに、なるほどそうなっていたのかと感嘆しつつ、「歴史の本を読む暇があるのなら、何かひとつでもスキルアップをすべきなのでは…?」とも思ってしまうのだった。

ところが最近になって、明確にDo!ということは言えないのだが、歴史を学んだことによってインフルエンスに対する免疫が備わっているのではないか?と思うようになった。

簡単にいえば、インフルエンサーにインフルエンスされない自分である。もちろんまだまだインフルエンスされまくってはいるのだが、20代のころ、ビジネス本の1冊1冊に振り回され、あちらこちらで言われていることにヘーヘーと言っていた自分、「SNSでフォロワー数◎◎万人!」ひえ〜と思っていた頃の自分とは明らかに違うなにか。

ただ年をとっただけだろ!と言われても「はい」と答える自信はあるのだが、おそらく歴史を学ぶことで「今」という点を単体で見ることなく、「過去・現在・未来」とつながった線として見れるようになったのかもしれない。

たとえば第一次大戦時、日本では多くの成金が生まれた。今でこそ「成金」と言って皮肉めいた呼び方ができるのだが、もし歴史的な視点がなければ「成金」は「成金」ではなく、圧倒的成功者である。数年前のぼくは、圧倒的成功者を前にして自分を凡人だと確認し、ひれ伏すしかなった。
でも、歴史を学ぶことで、「圧倒的成功者」の後ろにあった光が消えていった。恐れ多いと思う理由となっていたあの光は、市販で買えるライトの光だったのである。

とはいえ、まだこれは仮設というか、ひとつの思いつきにすぎない。まだまだ模索の旅はつづく。

ヒトはなぜ学ぶのか?本日の結論は、「インフルエンサーにたやすくインフルエンスされない」ため、でした。いや、でもこれだと歴史の場合に限られてしまう…。

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