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駆け抜ける蒼燕 101-00004

トラウムなごや10号の男#4

 23時20分の名古屋駅太閤口は、まだまだ眠れない。
 新幹線改札は各地に向かう最終便を送りだした安堵と、最後に迎え入れる乗客を待つための最後の緊張感が混ざったような空気を醸し出している。それを横目に飲み屋街から在来線にめがけ急ぐ人の足音に、若者の集団が楽し気に声を張り上げる。そして、その喧騒を横目に旅路に立つ人の群れ。
 名古屋駅太閤口に直結する地下街に下る大階段の隣に心なしか不自然に建つ2階建ての建物が、トラウム号が発着するバスターミナルである。その昔は反対側の桜通口にあったが、商業施設の建て替えに合わせて太閤通側に移動してきた。名古屋駅の銘板を隠すかのように建物が建ち、道路の反対側から見たらハイウェイバスの看板の方がよく目立つ。
 さすがに金曜日の夜は西へ東へと旅立つ人々でごった返している。崩れてきた天気を気にすることなく出発を待つ人がロビーに集まり、できるだけ雨に打たれないようにとバスの入線を待つ。騒がしく話すような客はまばらだが、これから旅に出るという緊張感と高揚感が混ざって起きた熱気に時折押されそうになる。
 昨日、ここで杉下を見送った。金曜日の昼に東京で番組を持つ悪友が木曜最終の新幹線の時間をすっ飛ばしてしまう間抜けだとは思っていなかったが、それを含めても話の種にはなっただろうとは思っている。敢えて本人には話さないけど、俺の話をラジオで面白おかしく話していることくらい承知の上だ。ただ、そうやって世間との命脈を保ってくれるのだから有難いことだ。面と向かっては言わないけれど。
              ◇ ◇ ◇
 理由もなくここでバスを眺めるのは嫌いじゃない。ただ、理由もなくバスを眺め物思いにふけっているのは俺くらいかもしれない。不確かながら夢を追いかけていた頃を懐かしむ訳でもなく、遠目に見える出入り口から二階建てのバスが行きかうごとに自分の中で止まった時間を楽しんでもいるようなものだろうか。
 桜通口にあった市バスターミナルの一角から発着している時分から、トラウム号はよく使わせてもらっていた。乗客の多くが20代にいくかどうかの頃だろうが、ちょうど俺がその年頃には宿代を抑えるながらの旅は、夜行列車という手もあった。ヘッドマークもつけずに走っていた夜行急行にも世話になったこともあったし、夜行快速なんてあった頃には臨時を含めてそれにも乗った。ただ、最後に行きつくのはいつもトラウム号だった。夜明け前のサービスエリアに降り立つ空気に心の高ぶりを覚えたら、その感情を他に変えることはできない。
 このバスに乗っているうちは、たとえ午前0時を過ぎても夢見る少女でいられる。もっと言えば、午前0時は夢の序の口だ。ゆりかごのような座席で夢を好きなだけ見たら、夢の続きは朝日を見ながら自分の目で見ればいい。明日のドアを開ける希望に満ちているからこそ、夜明け前に思う心の高ぶりは希望に火をともすガソリンにもなる。
              ◇ ◇ ◇
  23時20分発のトラウム10号が、名古屋駅で待ち合わせていた乗客を全て乗せて定刻通りにターミナルを発った。そのさまは昨日、ここで杉下を見送った風景と何も変わらない風景だった。ただ、今日の乗客は若さと楽しさといくらかの希望に溢れたように見えていた。
 こうしているだけで、夢を見ていた自分を思い出すこともできる。どうしても目の前のことに忙殺されがちな日常を否定する訳にはいかない。夢とは遠い場所で「生きる」ことを選ばざるを得ないことのほうが圧倒的に多い。ただしその生活の中に新しい夢を見ることもできる。
 最終のバスがまだターミナルに残っている。そのバスを眺め続けようかとも思っていたが、そろそろ家に戻ろうかと思案する時間になってきた。明日は休みだ。そうふと思った刹那、田舎に住む親父が昔、ふと呟いた言葉を思い出した。
              ◇ ◇ ◇
「土日休める仕事は、夢みたいな仕事じゃないか」。
 バスの運転手だった親父は、土日など関係のない人だった。子供心に土日休みになりにくい仕事をしている親を見ては、ハンコを押したように土日休みだった他の子どもの親を羨ましく思っていたこともある。ただ、土日に関係のない仕事を望んでいた自分が、思いがけず土日をしっかり休める会社に収まってしまったのも皮肉だなとも思う。
 普通の時間に普通に仕事をする裏側に、その時間をずらして準備する人間がいる。人間の体が一番スムーズに働けるような時間をそれに充てることができれば幸せであり、バスの運転手ならばそれは夢のまた夢…。
 夢などは遠くても近くても、存在するものだ。自らが望まない立ち位置にいても、それが誰かの夢の場所なのかもしれない。夢は難しい。難しいからこそ、懸け橋になるものが必要なんだと思う。それがトラウム10号の役目なのだろう、きっと。

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