なる、である、する

20歳を過ぎてまあまあ経つ。

私は大人になっただろうか

大人であるか

大人をしているか

とふと考えることがある。

大人というカテゴリーに分野において、「なる、である、する」どの段階が先なのかは正直分からないが、何事においても2つくらい出来ていれば立派なものだと思う。

ここ数日、電脳コイルという13年前に放送されたアニメを見た。

今見ると陳腐な印象が拭い去れないが、これがまさか十数年前の公共放送で放送されたものなのかと信じるに難い。

現代より進んだ通信技術・インフラが社会全体に普及した世界で、小学生達が遊んだり、電脳世界の謎を明らかにしたりする物語だ。

内容難しすぎませんかね、これ。特に専門用語は当時の自分はほぼ意味分からなかっただろうと推察する。

だが、話のテンポがいいため、会話の内容がよく分からなくても一応ストーリーを追うことが出来る。

作品中には様々な性格を持った小学生達が登場するが、それぞれが深い問題を抱えている。

小学生であれ、問題を抱えることは当然だけれども、問題の解決方法が小学生らしいというか少なくとも大人ではないと感じた。小学6年生が主役ということが、尚更大人でないと感じさせるのかもしれない。

妥協を許さない価値観で生まれる独自の方法論で、問題を解決しようとする。問題といっても、自分が作り出した夢といったところで、更には過去の結果を変えようするような実現不可能なものである。

登場人物達は、その夢が実現不可能だという答えを以て問題を解決していく。そして前を向いて、大人になっていく。

自分が過去をある程度許容できるようになったのはいつ頃だろう。特に小・中学生時代の失敗は記憶に残る。

ここ3~4年前くらいまでは、後悔することが多かった。自分に嫌悪感を感じて、この先何年生きれば自分の身体は納得してくれるのかとかそんなことを考えていたこともあった。

だが、最近は過去の失敗を受け入れることが出来ている。きっかけはよく分からない。

今という状況は、過去の出来事が堆積した結果だから、数々の失敗が、時には予想外の成功をもたらしてくれるのではないかと、思えるようになった。

楽観的だろうか? 少なくとも、大人になることは少しずつ出来るようになってきたかな。

あと2つの要素も自然に身に付いていくといいな。

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