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healing 癒やし という言葉に出会ったときのこと

healing        癒やし

というこの言葉が       

いつの日からか

私にとっての    大切なキーワードとなった。

きっかけは   四六時中

毎日のようにダンスパフォーマンスに明け暮れていた24才くらいの頃、

ハワイからきた   ジョーさんという

当時のアート仲間と何気なく交わしたお話からだった。

「 君はこの先 どんなことを  何をめざしていきたい?」

というようなことをたずねられ     私は

「 まだわからない   わからないんだけれど
私にとっての生き方のキーワードは
healingっていうこの言葉なんじゃないかなって自分で思ってる。
私は healing doll でありたい 。」

と自分で答えていた。

その答えをきいて ジョーさんは驚いたように言った。

「 healing doll  ??  !!   Ihave a healing doll !! 」

そう言って 一体の古ぼけた人形を自分の荷物から

とりだして 私にみせてくれた。

その人形はボロボロに

ほこりのかぶったような

たとえていえば かかしがぬいぐるみになったような

ボロ雑巾のように薄汚れた

とてもブルージーな 30cm くらいの簡素な茶色い人形だった。

「これが healing doll 。君にあげる。」

ジョーさんはそう言って そのボロボロの人形を私にくれた。

healing doll はジョーさんの故郷、ハワイでも
伝承されているらしい

メキシコの人形で トラブルドール 
trouble doll というのがある。

それは小指の半分くらいの布でできた小さな人形で

自分の苦しみを代わりに

請け負ってくれる人形としてお土産やさんなどで売られている。

healing doll も外観は trouble doll に少し似ているけれども

もっとスピリチュアル感が満載で 霊的な感じがする

シャーマニズム とか

ささげもの     

ぎせい

というような言葉が浮かんでくる。

えんえんと えんえんと えんえんと

誰かを癒し続けるとき

もしかしたらこんなふうにボロ雑巾のように

なってしまうのかな……

って考えてみた。

そして

死なんとするものは生きる

という言葉が浮かんできた。


死なんとするものは生きる

死なんとするものは生きる


私が

生きる

という意味をさししめす究極のところは

このような境地なのかもしれない。

楽しかったり 無我夢中だったり

もっとずっと楽に 

余分な力を

もっとずっとぬいて

むきあえることが まだもっと

もとめられているけれど

私が 強く惹かれてきた 


癒やす

というこの言葉には

いくらかの重たさがあり

やっぱりけして

キラキラしたものばかりではないことを
あらためて思いました

もちろん 重たさがあるからこそ

その正反対の軽さがものすごく大切で

さいごにはかたちとかも何にもなくなって

というよりも

どんなかたちにも変在自由な

透明人間みたいな そんな立場

そんな存在が

人を癒やすために 生かされている人の
姿のような

そんな気がした。



変な文章をお読みくださってありがとうございます(*´∀♪



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