2020.04.16.00:29 「ゆっくりな状態」

自分にとっての本を読むことの面白さを、うまく人に伝えることができない。私は本の読み方や選び方がとても偏っていると思う。

私は自分の感覚にしっくり来る解釈を本の中に探している。とくに、思考の仕方や物事の捉え方を言語化してくれた瞬間にとても面白いと感じる。
自分の中にある「よくわからない何か」に一歩近づいた気持ちになる。

そして今、また面白い本を読み終えようとしている。
これは動物と人間とのかかわりに関する論考をまとめた本である。

第二部 07 「魂のようなもの」に触れる 
第二部 08 敵対的相互行為から「あいさつ」へ

どの論考も興味深いが、とくに上記の2つに圧倒的に衝撃を受けた。

「魂のようなもの」に触れる

この論考では、動物と出会う可能性について「自閉症者と出会いそこねた経験」から切り込んでいく。(ここでの出会いそこねるとは、目が合わないことや呼びかけへの応答がないことなどである)

一部の記述を抜粋する。

自閉症スペクトラムの診断を受けている綾屋紗月は自分自身を対象として研究し、自閉の状態を「身体内外からの情報を絞り込み、意味や行動にまとめあげるのがゆっくりな状態」と規定している[綾屋・熊谷 2008:76]。
 自閉症が、感覚・知覚情報の選択や統合、意図や行動への統合の問題なのだとすると、従来自閉症について専門家が指摘してきた感覚鈍麻や感覚過敏という現象は、身体内外からの大量の微細な情報を拾ってしまい、それを取捨選択できないために生ずるフリーズないしパニック表出として捉えることができる。
グランディンによれば、動物と自閉症者に共通するのは、世界をあるがままに見るという点である。「あるがままに見る」とは、抽象化された概念や思考なしで世界を見るということ、普通の人が見ない細部を見ているということであり、視覚的にものを考えるということである。(中略)抽象化するとは、逆にいえば、具体的なモノを見ないようにするということである。

これは自分にとても近い感覚だと思った。

特に自分が大学生くらいの時期から強く悩みはじめた「フリーズ」「パニック」についての言及もあることが興味深い。(フリーズとパニックについては次章でより詳細に触れる)

そういえば、大学の授業で人体デッサンをした際、「あるがままに見て描け」という先生からの指示に周りが苦心しているのを見て、自分は人より少しだけ「あるがままに見る」ことが得意なのかもしれないと思った。
(しかし絵の細部に集中しすぎて、私だけ最後まで描ききることができずに終わってしまったのは悔しかった。)

模写をしている時、文字を一字一字ゆっくり板書している時などに面白さを感じる。
自分の手で描く/書くこと、整理することによって、その対象を自分の中に落とし込んでいるような感覚がある。その時は新しい何かがじんわりと身体に染み渡っていくようで、時間を忘れる。

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脱線してしまったが、上の引用で私がとくに強調したいのは「ゆっくりな状態」という部分である。私はこの表記になんとなく救われた気がした。

フリーズやパニックを起こしても、完全に思考停止に陥るわけではない。時間をかけ、ゆっくりと冷静に整理をしていけば、次第に複雑にからまった問題を解くことができる。
他の人たちみたいに普通に生きて、普通に考えて、人と会話をすることは無理なのかもしれないと時々悔しく思う日々が救われた気がした。

そういえば前に書いたこの記事では、タイトルを「忘れやすい・物事の優先度がつけづらい人の」とした。

https://note.com/yahho_yamabiko/n/n4327a0770071

「優先度がつけられない」と書かないのは自分なりの抵抗で、同じように悔しさを抱えている人への応援の気持ちである。

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まだまだ書きたいことがたくさんあるのに2時間半も経ってしまった…。
一番書きたいのは次の「葛藤」と「恐怖」についての話だ。これもまたものすごく自分にとっては大きな気付きなのだが、今回の話よりも書くのが難しそう。


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