責任がおもい?その質量とは?
立場が変わったりすると、いろんな責任を負うことかあります。ではその重さの質量を考えてみたいと思います。
まず、5人くらいのリーダー
どうですかね、雰囲気もみえるし、空気感でなんとかなる。ん?そうか、空気くらいなので感じない程度の質量なんでしょう。
では、新しいプロジェクトのリーダー
なんとなく責任はおもそう。重いのかな。うん、たぶん重い。
そうだな、イラスト的には10tてかいてある重りがのってる感じ笑
でも10tとかリアルだとつぶちゃうよね。つぶれそうでつぶれない、なんとか責任を持ち上げる。
ところで責任て質量があるみたいだけど『もの』なんだろうか?
責任があるので、責任をとれと言われ、責任を感じた。
責任は重かったが、責任を果たした。
なんだよ責任て。
責任って都合よく使いすぎじゃねえか。
ビジネス的には『権利』と『責務』と『責任』がセットになっているのだとか。文脈的には権利を行使して、責務を遂行して責任が果たされた。
特権をもらって、それをうまく運用して、権利もらっただけの役目果たしたよと。
でも日本語の『責任』って言葉はこうなんかもっと都合よくつかわれている気がして。
どこかで『納得させる行動』ではないかと記載をみつけてなるほどと思った。
責任があるので、責任をとれと言われ、責任を感じた。
責任は重かったが、責任を果たした。
これを言い換えると
納得させる任務があるので、納得させろと言われ、納得させるなければと感じた。納得させるのは事案が大きかったが、納得させることができた。
あと、基本この『責任』って言葉がでるときって、字面のとおり他人を『責める』意図があるよね。納得させなきゃいけないんだけど。
合理的な説明を届ける人もいれば、記者会見でタコ殴りにされたり、辞職してみたり。でもさ、責任なんて便利な言葉で誰かをぶんなぐっていたらさ、それこそ人としての責任はたせるんだろうか。
だから僕は他人に責任を押し付けないようにいきたい。
人を責めても何も始まらないから。
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