本当の自分の姿__1_

責任がおもい?その質量とは?

立場が変わったりすると、いろんな責任を負うことかあります。ではその重さの質量を考えてみたいと思います。

まず、5人くらいのリーダー

どうですかね、雰囲気もみえるし、空気感でなんとかなる。ん?そうか、空気くらいなので感じない程度の質量なんでしょう。

では、新しいプロジェクトのリーダー

なんとなく責任はおもそう。重いのかな。うん、たぶん重い。
そうだな、イラスト的には10tてかいてある重りがのってる感じ笑
でも10tとかリアルだとつぶちゃうよね。つぶれそうでつぶれない、なんとか責任を持ち上げる。

ところで責任て質量があるみたいだけど『もの』なんだろうか?


責任があるので、責任をとれと言われ、責任を感じた。
責任は重かったが、責任を果たした。
なんだよ責任て。
責任って都合よく使いすぎじゃねえか。

ビジネス的には『権利』と『責務』と『責任』がセットになっているのだとか。文脈的には権利を行使して、責務を遂行して責任が果たされた。
特権をもらって、それをうまく運用して、権利もらっただけの役目果たしたよと。

でも日本語の『責任』って言葉はこうなんかもっと都合よくつかわれている気がして。

どこかで『納得させる行動』ではないかと記載をみつけてなるほどと思った。

責任があるので、責任をとれと言われ、責任を感じた。
責任は重かったが、責任を果たした。
これを言い換えると
納得させる任務があるので、納得させろと言われ、納得させるなければと感じた。納得させるのは事案が大きかったが、納得させることができた。

あと、基本この『責任』って言葉がでるときって、字面のとおり他人を『責める』意図があるよね。納得させなきゃいけないんだけど。

合理的な説明を届ける人もいれば、記者会見でタコ殴りにされたり、辞職してみたり。でもさ、責任なんて便利な言葉で誰かをぶんなぐっていたらさ、それこそ人としての責任はたせるんだろうか。

だから僕は他人に責任を押し付けないようにいきたい。
人を責めても何も始まらないから。

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