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King Gnu「THE GREATEST UNKNOWN」感想&考察

ども、またしてもアルバム予想・考察をゴリゴリに外したやきこいもです。ようやくリリースされた約4年ぶりのアルバム「THE GREATEST UNKNOWN」皆さんは当然聴いてからこれを読んでいると思いますが…(圧)

常田大希という音楽家が。King GnuというバンドがJ-POPという戦場で足掻き続けたことの証がこのアルバム。そして常田大希のアーティストコンセプトでもある「TOKYO CHAOTIC」がJ-POPというフォーマットで結実した傑作でもある。「TOKYO CHAOTIC」についてはアルバム解説に必要といっても過言ではないので後ほど言及する。とりあえずこのアルバムが過去の3作とは一線を画しているということは念頭に置いて頂きたい。

ポップと先進性を追求する為に組まれたSrv.Vinciから始まりKing Gnuへと改名。今や5大ドームツアーを開催するほどのバンドへと成長した。だがアンダーグラウンドな音楽を出自としている常田大希に様々な葛藤があったのは想像にかたくない。自分の思う音楽というものの面白さを共有できない。この国に生きる殆どの人々にとっての音楽とは「歌」だからだ。

とはいえ俺も以前はその一員で、たまたま常田大希がKing Gnuとしてメジャーに出てくれたお陰で音楽を好きになっただけの人間。だからそういう人達が悪いという話ではないのだが。例えエゴだとしても少しでも多種多様な音楽という世界をを好きになってくれる人が増えるならそれに越したことはないだろう。押し付けることなく自然に…というのが難しいのだがKing Gnuは今最もそれを達成しているバンドといっても過言ではないと思っている。

前置きが少し長くなってしまったがアルバム解説に移ろうと思います。尚、あくまでこれは個人の解釈なのでこれを元に自分の考えと照らし合わせたりこのアルバムについて深く考えるキッカケになったら嬉しいです。

「TOKYO CHAOTIC」とは?

正直この文章だけでも足りていると思うのだが補足として説明する。

常田大希がmillennium paradeの前身であるDaiki Tsuneta Millennium Paradeで2016年にリリースした「http://」というアルバム(廃盤)がある。その頃に常田大希が発想したのが「TOKYO CHAOTIC」だ。

アーティストコンセプトといっていいだろう。これをアルバムというアートフォームで表現する。これは常田大希が自らのオルタナティブな音楽性と向き合った結果生まれたものだ。実際Srv.Vinciでリリースされた「Mad Me More Softly(2014年)」やKing Gnuの「Tokyo RendezーVous」「Sympa」は一貫した美意識の元に世界観が構築されている。そもそもSrv.Vinci(現体制)でリリースされたアルバムタイトルがトーキョーカオティックなのだが恐らくこれが初出?

「CEREMONY」は特殊な立ち位置で「壇上」「開会式・幕間・閉会式」で強引にコンセプチュアルに纏めてはいる。しかしこれらの文脈を辿るにはMrs.Vinci「In Tokyo」まで遡らねばならず、常田大希もまた自身の個人的な想いと雪辱を込めただけに過ぎない。本人も深くは語ろうとはしない為、これらをアルバムの評価として加えるにはややハイコンテクストといえる。

millennium paradeは明確に「TOKYO CHAOTIC」をコンセプトにしたプロジェクトなのでそれを踏まえて1stを聴くとアルバムの見方が変わってくるかと思います。そして今回のKing Gnuのアルバムは初めてKing Gnuで「TOKYO CHAOTIC」を表現したアルバムだ。

「千両役者」→「硝子窓」
「2 M O Я O」→「Stardom」
「IKAROS」→「W●KAHOLIC」→「):阿修羅:(」

これらの流れはその特性が顕著に出ているだろう。印象の強いイントロで強引に違う世界に引きずり込んでいる。異なる世界観を一つのアルバムに纏めることで東京の混沌としたカルチャーを表現。そのため、過去の三作とは違う視点で聴くことをオススメする。

「MIRROR」「ЯOЯЯIM」「CHAMELEON」「DARE??」

このアルバムを紐解く為に最重要なのがこの4曲だと思う。「MIRROR」は無論、鏡の意だがそれを反転させた「ЯOЯЯIM」とは何なのか?そもそもなぜ鏡なのか?と疑問は多く出てくる。

「DARE??」で繰り返される「君は誰?」というフレーズ。アルバムジャケットには鏡に映る得体の知れない自分自身。これは常田大希のオルタナティブな音楽性と大衆には見せないKing Gnuの本質。そしてこのアルバムを聴く「君(あなた)」なのだ。このアルバムに収録された曲はそれぞれ異なる価値観を歌っている。

「あなたは特別」と歌っている曲もあれば「特別なことは何も要らない」と歌っている曲もある。夢を諦めない歌もあれば夢を諦める歌もある。
その全てを優しく肯定している。

「CHAMELEON」で歌うのはこのアルバムのテーマそのもの。どんな色にで移り変わるKing Gnuの音楽性がアルバムというアートフォームでこれ以上なく表現されている。尚、この曲は壇上の続きを歌っている曲でもある(と筆者は思っている)のだがそこら辺の解説をし出すと長くなるので今回は割愛する。

度々歌詞に出てくる「君」や「あなた」とは常田大希にとっては過去の自分。言うなればこのアルバムは過去の自分達と再会する為の中継地点。過渡期の作品としてリリースされていることを暗示していると思う。アルバムの最後を飾る「三文小説」や「ЯOЯЯIM」では「そのままの君で良いんだよ」「微笑んだ君がいるから」と歌っていることもかなり示唆的に感じる。

歌詞の解説を全部するのはダルいので興味のある方は皆さん自分で考察してみてください。

「MIRROR」に映るのはCEREMONY

「ЯOЯЯIM」に映るのはまだ誰も知らないこれからのKing Gnuなのではないだろうか?

「CEREMONYのKing Gnu」と「これからのKing Gnu」を写しそれらを内包する鏡の世界。これがこのアルバムのコンセプトだと思う。

アートワーク考察


鏡に映る「何か」は一見女性的にも見えるが単に光がボヤけてそう見えているようにも感じる。そもそも人間なのかも分からない。人間とそうでないものの中間とも言えそうだ

鏡に映るのはそれだけではない。背景に注目すると「夕暮れ」であることが分かる。なぜ夕暮れなのか?夕暮れから連想されることといえば「黄昏時」がある。この語源は「誰ぞ彼(たれぞかれ)」からきているといわれる。日が暮れて薄暗くなり相手の顔の見分けがつきにくくなり、あの世とこの世が交わる時間帯であるといわれる。

「CEREMONY」がこの世なら五枚目のアルバムはあの世だろうか。アルバムのコンセプトを深く描写したアートワークであることが分かる。

"J-POPとJ-POPでないものの中間"

これが「THE GREATEST UNKNOWN」の目指す立ち位置だった。「J-POP的なソングライティング(メロディ)」の比重は「CEREMONY」より減退していると思う。理論的な視点ではないが既存曲はJ-POPの典型的な曲構成(Aメロ→Bメロ→サビ)から生じるテンションの高低差を大サビに至るまで避けているように感じる。「硝子窓」は例外で寧ろ大サビでテンションを抑制している。

「逆夢」はJ-POP的な曲構成ながらBメロからサビまでシームレスに移行しているし、「一途」は常田大希が全部サビと語る通り高テンションのまま大サビで最高潮を迎える。サビの「サビ感」を減らしつつもJ-POPリスナーに受け入れられるような形をアルバムが出るまでの約4年間で模索していたのだと思う。

その為、アルバム曲として収録された「IKAROS」「):阿修羅:(」「2 M O Я O」に至ってはサビの概念はないが全体として聴いた時に違和感なく聴けているのではないだろうか。さらにアルバムとしての完成度、クオリティでいえば過去作の比ではなく一時間というやや長尺ながら通して聴くにはそこまで苦にはならないだろう。J-POPの固定概念を破壊、再構築するような試みもまたこのアルバムにおける一つのチャレンジだったと思う。

そして五つ星。これは常田大希が各種SNSで解説しているが個人的にも深掘りしたい。

コロナ以降加速した「分断」
King Gnuもその被害を受けたバンドである。CEREMONYツアーの開催延期&規模縮小。2021年のフジロックでは批判の矢面に立たされた。アルバムのタイトルを決めた時にはタイアップなしのアルバムをつくりたいとインタビューで語っていたことを考えるとコロナによって常田大希の心境に大きな変化があったことは間違いない。

コロナによって色濃く浮き上がったアーティストと大衆の間にある大きな溝。その溝をなるだけ埋めてKing Gnuが次のフェーズに移る為のアルバムがTHE GREATEST UNKNOWN(偉大なる無名)だ。

以前の考察記事でタイアップ曲はほとんど入らない!と言っていた俺が馬鹿でした。それこそ「分断」を生む行為。そして常田大希が語る通りこの中央の星はKing Gnuでもある。日々仕事に励みKing Gnuを聴いてくれている人達をリスペクトした上で俺たちはやりたい事をやる。これがこのアルバム最大のメッセージなのではないだろうか。

更にアルバムの中で五つあるものを探していくとリアレンジされた5曲が浮かび上がる。これらの曲は常田大希、或いはKing Gnuというバンドの価値観に近いものが歌われていると思う。常田大希は「自身は何も特別ではない」とInstagramで投稿していたがこれはSPECIALZのような価値観とはズレているということを表明していたのだろうか?彼自身が日々肝に銘じている言葉なのだろう。

その中でも泡は死による悲しみ、苦しみを歌っており坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」を引用したという口笛のメロディがシングルverより悲壮感を際立たせている。常田大希はインタビューで人はいつか死ぬからこそどう生きるか考えるということを述べている。中央で光り輝く星は「死」でもある。自分の人生を考えるということは自分の死を考えることというメッセージが込められているのかもしれない。常田大希は呪術廻戦で一番好きなキャラとして真人を挙げていたが、ここからインスピレーションを受けた部分も少なからずありそう。

まとめ

五枚目の内容はミレパの海外活動次第なところもあるだろうがTOKYO CHAOTICがよりアートに迫った形で表現された時にとんでもない名盤が誕生するんじゃないかと個人的に思う。ひとまずはKing Gnuの五大ドームツアーだがミレパの海外活動もまた楽しみでならない。

以上でこの記事は終わりやす。ここまで読んで下さりありがとうございました!

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