あの時言えなかった助けてが今どうなってるのか。
ゴールデンウィーク、三日間だけ実家に帰省をしてきた。私は実家含め地元があまり好きでは無いのだと思う。けど好きでありたい気持ちはとても大きいから義務感と希望を持って年に数回は帰省をしてる。
中学生の頃から細々と読書が好きになっていって、高校生の頃嶽本野ばらという作家さんの本に出会って私の指標が指針が完全に嶽本野ばらさんで構成された。
高校生の頃、誰もいない放課後によく嶽本野ばらさんの本が数冊並んでる本棚の前にしゃがんでた。
あの頃はよく分からなかったけど、多分毎日が辛かったのだと思う。だから助けてほしいと思っていたのだと思う。
愛が無いこと、褒められないこと、逃げることに慣れないまま私は大人になった。こんな不幸癖がつくと、変わりたいと思った時その一歩を踏み出す事が凄く凄く、難しくなるんだなと思った。
私が欲しかったのは滝のような強制的で過剰過ぎる位勢いのある愛で、トンボみたいに自分の好きなところへ行ける軽やかさだったんだと思う。
今ではしゃがんでたら誰かが「なにしてるの?」って手を差し伸べてくれるなんてドラマの中の話だって良い加減知ってるけど、それを知らなかった若い頃の私と、インスタントな親切すらくれなかったあの頃の日常は、今でも心にずっしり黒い何かになって首を絞めてくる。
もう何でもできるのに、そうなった瞬間怖くて何もできなくなる自分を変えたい。自分で。
ろくでもない春だったくせに長く続く季節に終止符を打つために、もう一度あの本棚に行きたい。
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