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小説

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記事一覧

【掌編小説】夜の描き方

【掌編小説】夜の描き方

 夜は美しすぎて、何度も何度も描くことを試されてきた。

 何千年も前から、名もなき画家たちがその美しさに魅せられて黒鉛をすり減らし、我こそは夜空を最もいきいきと描けると技術を競い合った。
 夜をまるごと捕まえようとした画家の試みはことごとく失敗した。真夜中の縁をなぞろうとしたら闇が濃くなった。夜の途方もない奥行きを写生するほど平面的に見えた。削り取られた鉛筆の芯の破片が台紙に舞い、さらに深い深い

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【掌編小説】Yesterday Once More

【掌編小説】Yesterday Once More

 中学二年生のとき、ひと夏だけ、ピアノを習ったことがある。好きな女の子がいたからだ。

 その子はいつも涼しげで、物静かな子だった。ピアノが上手で、音楽の授業の前によく友達とピアノを弾いていた。僕は休み時間、早めに音楽室に行き、何にも興味がないふりをして机に突っ伏して、そのピアノに耳を傾けるのがすごく好きだった。

 何か話すきっかけがほしかったのだろう。両親に適当な理由をつけて、近所のピアノ教室

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【掌編小説】政治家の素養

【掌編小説】政治家の素養

 演説中に倒れた政治家がいた。その政治家は病院に搬送されたものの、点滴を打つとすぐに選挙活動に戻り、その模様がたまたま報道され、当時ちょっとしたニュースとなった。その候補者は再選を果たした。

 次の選挙では、候補者は腕に包帯を巻いた者、松葉杖をついた者、車いすに首にギプスをつけて出馬する者などが相次いだ。一見、怪我も病気もしていない者も、社会的に弱い人の気持ちが分かると言った。われ先に、人に弱み

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【掌編小説】Reborn

【掌編小説】Reborn


「なあ、どこに向かっているんだ?」
「知らない。でも、あなたが進んできたのでしょう、ここまで」

 消滅する都市はきみを丸ごと飲み込んで、海は進行方向に向かって割れた。ごおごおと風が舞って、僕たちの顔に吹き付ける。



 よく生まれ変わる夢を見るんだ。知らない街、知らない人、喧騒の中で僕は逃げている。もしくは、何かを強く探し求めている。

 生まれ変わるたびに、僕自身の性別や顔姿か

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【掌編小説】虎と私の十三日間

【掌編小説】虎と私の十三日間

 (序)

 代官山の蔦屋書店に併設されたスターバックスで、私は窓の外を眺めていた。

 虎はフロアを物色して、私の過敏な神経を逆なでできる分野の本のタイトルを探しながら、歩み寄ってきた。絵本から出てきたような、鮮やかな毛並みの虎だった。

「よう。しばらくぶりに外に出れたぜ」

野太く、狡猾な声で虎は私に話しかける。
私は無視する。手元にある本にできるだけ意識を集中させる。労務管理の本を読んでい

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【掌編小説】なんでも商品券

【掌編小説】なんでも商品券

 わたしは帰り道、謎の老婆から、世の中のどんなものでも買える商品券「なんでも商品券」を譲り受けた。その商品券は凶々しいオーラをまとっており、本来、この世にあってはならないものだという。
 老婆は言った。
「せいぜい気をつけなさってください。この商品券に心まで取り込まれないように」

 わたしは一晩じっくり考えて、そのなんでも商品券を破り捨てた。金持ちのわたしにとっては、これはただの小切手ではないか

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【掌編小説】銀河のポテチ

【掌編小説】銀河のポテチ

宇宙人が地球を侵略した。
地球の食物も大規模に検査が行われ、彼らも食せるものか確認された。

ポテトチップスは過去の恐慌でエスカレートした値上げ競争の結果、あまりの中身の少なさに、空気を吸引するタイプの麻薬だと記録され、流通を禁止された。特にコンソメパンチは銀河闇市で高値で取引された。

(了)

【掌編小説】終末フィルム

【掌編小説】終末フィルム

 元来、こだわりの強いY世代の年寄りたちが、若い時分から慣れ親しむ動画編集ソフトを使って自らの人生の最後をフィルムに収めようとしたのは、いわば必然のようなものだった。



 おそらく人類の歴史の中で最も長い期間――目減りした年金を補填するため七十歳まであくせく働いた――老人たちにとって、人生の余暇は先達ほど残されていない。

 彼らは、健全な欲求として、自らの人生を振り返る手段を求めた。セ

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#名刺代わりの小説10選

#名刺代わりの小説10選

・タイタンの妖女/カート・ヴォネガット
・哀愁の町に霧が降るのだ/椎名誠
・ねじまき鳥クロニクル/村上春樹
・百年の孤独/ガルシア=マルケス
・FINE DAYS/本多孝好
・恋文の技術/森見登美彦
・ナイン・ストーリーズ/サリンジャー
・かもめのジョナサン/リチャード・バック
・コインロッカー・ベイビーズ/村上龍
・富嶽百景/太宰治

以上。

10冊を選んでいると、高校野球の監督みたいな気持

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【掌編小説】秋は巡る

【掌編小説】秋は巡る

11月。渓流。遊歩道。
枯葉を踏みしめる音。
紅く色づいた、大振りな木々を見ながら、
手を繋いで歩く父と子を見た。

余計な音は一切無い。
しん、とした空気をかたまりで吸い込むと、
木の板が少し軋む。

ちょろちょろと、水の音がしている。
2人の背中は、歩くたびゆっくりと揺れる。
息子の小さい歩幅に合わせるから、歩みは遅い。

私は彼らを追い抜かないよう、ペースを落として進む。よちよちと歩く男の子

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【掌編小説】ワンダーアパート

【掌編小説】ワンダーアパート

 住むと出世する、というアパートの噂を聞いた。駆け出しの役者の俺は、当時、喉から手が出るほど売れたくて、場末の飲み屋で聞いた他愛のない話を真に受けた。ぜひともそこに住みたいと思った。知り合いの役者仲間のつてを辿って、閑静な住宅街の一画の、見るからに古そうな、木造のアパートを探し当てた。


 六畳一間。風呂なし、トイレは共同。そこまでは普通だが、一ヶ月の家賃の支払いに関しては、奇妙なルールを提示

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【短編小説】りんごABC

【短編小説】りんごABC

これは、ただのりんごのお話。

ある集落に、美味しいりんごの作り方を発見したある小さな農家がいました。

あまりに美味しいから、その農家のりんごは、従来までのりんごの概念を変えてしまうほどでした。このりんごが発見される前と後では、果物の歴史が二分されるほどでした。


農家は、あまねく世の人に、この果実を食べて幸せになってもらおう、という一心で、りんごの作り方をひとり占めせず、分け隔てなく学び

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【掌編小説】大貧民

【掌編小説】大貧民

セルバンテスは著書『ドン・キホーテ』の中で、こう言った。


常識が変わる速さは、忍び寄るようにゆっくりの時もあるし、時として一瞬のこともある。『大貧民』というゲームで、さながら同じ数字のカードを4枚揃えるように、スペードの3が突然最も強くなることもある。
ある王国で、「貸し」と「借り」が逆転したのも、前触れのない夕立ちのように突然のことだった。


城の前に、ボロ切れを着た汚らしい男が立って

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【掌編小説】ピース

【掌編小説】ピース

昔、母とした約束がある。
夜。歩(あゆむ)はコーヒーを淹れて、ベランダから向かいのマンションの空き部屋をぼんやりと見つめていた。
3月も終わりに差し掛かるというのに、ひやりと風が頬をかすめた。


「死」について母と話したのは、あとにも先にもこの時限りだ。

それは遠い思春期の記憶。もう二十年近く前のことになる。
歩は十二歳で、当時、埼玉県の県営団地に住んでいた。
母は三十五歳、昼間は倉庫で働き

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