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【掌編小説】Brand new Account

湯沢茜は、時々、素の自分とVtuber「木南アカ」の境界線が分からなくなることがあった。

都内のマンションの一室。スタジオ、といってしまえば格好がつくが、それは自宅の寝室を防音仕様にした簡易な作りだった。

事務所の人からはもっと広くて、撮影に専念できるような物件に引っ越したら、なんて言われているけど、やっぱり今の場所が落ち着くし、裸一貫で金を稼いでいる感じが心地良くて、アカウントを作った5年前から一度も引っ越ししていない。

朝。熱いシャワーを浴びて、撮影用の動きやすいTシャツとハーフパンツに着替える。コーヒーを沸かして、ドーナツと一緒に流しこむ。

今日はサブチャンネルのみの撮影だから、部屋には私一人だ。
私は慣れた要領でPCとゲーム機の電源を立ち上げ、モーションキャプチャを身体に取り付けていく。

今日はゲーム実況デー。そこまで激しい動きはない。視聴者さんから見える画面では彼女ーバーチャルYouTuberアカウント「木南アカ」ーの上半身しか見えない設定にしているけど、一応私はいつものように、モーションキャプチャが全身の動きを認識できるようにはしておく。固定の一枚絵を貼り付けとくだけでも、手抜きしてVtuberなんていくらでも名乗れちゃうから、そこはこだわっているつもり。

ほどなくして画面上に「木南アカ」が現れる。
上下白のコスチューム、首を振ると赤い髪がさらさらと揺れる。
17歳の彼女は、透き通った目で私をまっすぐ見据えている。

私は手のひらをグーパーして、動作確認。
うん、ちゃんとアカの手も動いてる。
マイクの電源を入れる。自然と口角が上がるのが分かる。私は普段の地声よりワンオクターブ高い声で大げさに手を振った。
「おはよー!今日もみんな観に来てくれてありがと!」

ショーマストゴーオン。ここから2時間、私はアカになる。


中の人、湯沢茜は現在25歳。
いわゆるVtuberになったのは今から5年前。元々は歌手志望で、小さな事務所に所属しながらオーディションを受けていたが、結果は思わしくなかった。
元から少しかすれ気味の茜の声は、個性的ではあったが、無垢で清廉な少女の声を求める制作者には、受け入れてもらえなかった。

事務所のつてを使い、少しでも歌を歌える機会があるならと、当時は黎明期で市場も小さかったVtuberの世界で配信をはじめたのが現在の仕事のきっかけだった。


フォロワーや登録者が増えていくたび、私は私でいることが認められているようで、嬉しかった。配信は実験の連続だったけど、アカの性格や個性を徐々に肉付けしていき、私たちと同じように血が通い呼吸をするかのように大切に育ててきたつもりだ。

今現在、私の分身、木南アカのチャンネル登録者数は100万人を超えている。
何人かライバルと言えるチャンネルはあるが、現在アクティブで約6000人以上いるとされている業界の中で常にトップを走り続けてきた。他のチャンネルの配信者からは「親分」と呼ばれることもある。アカのアカウントでは、ゲーム実況をはじめ、ファンとの雑談、本やアニメの批評や「歌ってみた」「踊ってみた」シリーズなど、多くのコンテンツを配信してきた。人気に火がついてからは企業タイアップやキャラクターの版権による収入も爆発的に増えた。


最初に感じた違和感は、ほんのささいなことだったと思う。
ある日、本屋で何気なく手に取った雑誌に、アカの特集記事が組まれていた。
配信開始以来のハイライトをまとめたものだった。私は試行錯誤で行ってきた企画の数々に、懐かしさを感じて目を細めた。

次のページを繰ると、彼女は紙面上で独占インタビューに応じていた。
そこには、私ではない誰かがつらつらと、これまでの配信の苦労やファンとの軌跡について雄弁に語っていた。
エンジニアと二人三脚、小さな自室ではじめた木南アカというキャラクターは、いつのまにか私の手を離れてしまったようだ。

私は、アカに嫉妬しているんだろうか。


午前中の配信を終え、昼食を取りに外へ出た。夜の配信まではまだ時間がある。
私は仕事の合間に、コンビニで新品のノートを買った。その足で喫茶店に行き、とりとめのない空想を、輪郭のある“詞”にしようと試みる。

消費者向けにパッケージされた言葉、つぶやくことをはじめから期待された言葉、誰かが台本として作った言葉ではなく、荒削りで生々しいメッセージを、私は私の言葉でノートに打ち付けていく。

痛い。痛い。ものすごく痛い。
借り物ではない言葉を生み出そうとする時、何度も血が噴き出る。
迷いが鉛筆の線を震わせる。
でも止血している暇なんてない。血が勝手に凝固するまで、書き続けるしか。


今、この瞬間、私が願うこと。
それは木南アカというフィルターを通さず、自分のための歌を歌うこと。
まわりが笑おうが笑うまいが、自分の歌を歌うこと。歌い続けること。



1ヶ月後、私はYouTube内に新規アカウントのチャンネルを作った。

もちろん事務所を介したアカウントではなく、個人のアカウントとして。
みんなに周知された“アカ”としてではなく、湯沢茜本人として。
初期設定を終え、トップページを眺める。

チャンネル登録者数ゼロ。
やばい、震える。
私は数年振りに、丸裸にされたような気持ちになる。


私は自分に言い聞かせる。
自分の言葉に自分の体重を載せて、自重(じじゅう)でやっていくしかないんだ。
私は作ることの入り口で、試されている。

私はかすれた声を振り絞り、「はじめまして」とWEBカメラに向かって微笑んだ。


(了)

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