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村上春樹ーあたりを注意深く見回して

村上 春樹「職業としての小説家」より抜粋ー

僕が最初の小説『風の歌を聴け』を書こうとしたとき、「これはもう、何も書くことがないということを書くしかないんじゃないか」と痛感しました。というか、「何も書くことがない」ということを逆に武器にして、そういうところから小説を書き進めていくしかないだろうと。

(中略)

限られたマテリアルで物語を作らなくてはならなかったとしても、それでもまだそこには無限のーーあるいは無限に近いーー可能性が存在しているということです。「鍵盤が88しかないんだから、ピアノではもう新しいことなんてできないよ」ということにはなりません。

(中略)

僕は(僕自身の経験から)思うんですが、「書くべきことが何もない」というところから出発する場合、エンジンがかかるまではけっこう大変ですが、いったんヴィークルが起動力を得て前に進み始めると、そのあとはかえって楽になります。なぜなら「書くべきことを持ち合わせていない」というのは、言い換えれば、「何だって自由に書ける」ということを意味するからです。

(中略)

ですから「自分は小説を書くために必要なマテリアルを持ち合わせていない」と思っている人も、あきらめる必要はありません。ちょっと視点を変更すれば、発想を切り替えれば、マテリアルはあなたのまわりにそれこそいくらでも転がっていることが分かるはずです。それはあなたの目にとまり、手に取られ、利用されるのを待っています。人の営みというのは、一見してどんなにつまらないものに見えようと、そういう興味深いものをあとからあとから自然に生み出していくものなのです。そこでいちばん大事なことは、繰り返すようですが、「健全な野心を失わない」ということです。それがキーポイントです。

(中略)

もしあなたが小説を書きたいと志しているなら、あたりを注意深く見回してくださいーーというのが今回の僕の話の結論です。世界はつまらなそうに見えて、実に多くの魅力的な、謎めいた原石に満ちています。小説家というのはそれを見出す目を持ち合わせた人々のことです。そしてもうひとつ素晴らしいのは、それらが基本的に無料であるということです。あなたは正しい一対の目さえ具えていれば、それらの貴重な原石をどれでも選び放題、取り放題なのです。

こんな素晴らしい職業って、他にちょっとないと思いませんか?






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