無題0

欧米が備えてる枠組みに振り回される程度を意識的に抑える事で、現在の人類が持つ知的限界は乗り越えられるはず

2019-11-002

欧米が持つ枠組みの功罪を正確に把握できる程、
欧米が主導する領域でのその枠組みに振り回される程度を抑えやすくなるはずなので、
その正確把握は、近代以降を生きる者にとっての課題と言えるでしょうが、
近代の単なる延長線上でない新たな時代を目指す上でも、
特にその枠組みの限界についての理解は、より望ましい方向性を掴むのに重要と思います。

個人的にその限界として、反動的な解決アプローチを思いますが、
知的領域でのその表れとして、哲学(絶対と相対の振り子等)が分かり易いように思われます。
反動的となる原因は、場の本質にのみ合わせた有り様の採用を、あるいは、
場の本質を損なわないように形式や帰結を組み上げる処理を、解決行為とする方法論が不在なせいです。
この不在はプラトンが分離構造を示して以来続いていて、プラトンやアリストテレスの時点で、
それら解決行為から成る、引き受けるべき加工を、分離への対処法としていれば、
主語述語の関係も、単なる抽象具体関係(場に置かれる前後の関係)として扱われ、
その後の展開もなかった可能性があります。

しかし実際は、絶対性(場に合わさない)の感覚と結び付いた内在不問外在軽視な自由観、
同種の他との差異要素の捨象特化な知性観(共通要素の捨象は埋没、両者の局面に合わせた使い分けなし)、
この欧米に特有な傾向も加わり、ここ百年の哲学(それが示唆する知的限界の傾向)は、
質を問わない動性、矮小化された論理性、というそれぞれに洗練変容した形で展開された姿を見せてると、
言えるように思えます。
通用が行き渡ってる状態のまま具体形を変えていく、展開していくには、
抽象化と具体化条件割り出しの最大限追求(理解の精度向上の実体)、
場の本質と着目無視(次元設定として保存する捨象形)の合致配慮、
この両者の相補性から成るいらぬ飛躍の除去が微視的に必要なのに、
せっかくのソクラテスによる飛躍除去の重要性提起に応えないまま、人類は現在まで来てしまってる形です。

もちろん、近代科学の圧倒的な実績が関係してると疑えるその知性観については、その方面に、
特化(資質や環境の代替不可能な性質を引き受けた結果なら肯定)する戦略があって構わないわけですし、
自由観に至っては、キリスト教浸透以来の、原罪からの開放に権威を見る根拠観、
さらに遡って、奴隷状態をはじめとする苦難からの開放を担う絶対者のイメージが、
関わってる可能性があるので、彼らにとっては拭える類のものではないと見るべきなのかもしれません。
しかしそうだとしても、欧米以外の者が彼らの限界に丸々付き合う必要はないわけで、
(捨象タイプの使い分けが健全な倫理に必須とすれば、
欧米が世界を主導する限り、現倫理を健全化する刷新は見込めません)
先の不在が解消され、欧米特有の自由観や知性観が相対化、ローカル化、一具体形扱いされた世界を、
目指す事で現人類の知的限界からくる、最善からの乖離は縮小可能と期待します。

ご支援の程よろしくお願い致します。