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帰京と腰と日高屋の日記 - 20211107/08

二日分の日記です。

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日曜日、三ヶ月に及ぶ帰省を終え夜行バスに半日揺られ、東京へ帰ってきた。

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新宿バスタを目指すバスで少し寝て目覚めたのが午前六時、パーキングエリアでの20分休憩の最中だった。真っ白で微かに水色がかったPAはシンと冷えた空気も相まって透き通るような様相を呈しており、寝起きの頭で見渡すそれはどこか夢のような非現実感があった。降りて体を伸ばしながら気持ちよすぎと思った。

夜行バスには乗り慣れているが毎回寝るとき困る。というのも夜行バスはみんな椅子を後ろへ倒して寝ていいという暗黙の了解のような感じがあり、実際に今回も前の人が倒してきてそれは全然いいのだが、そういう場において自分は毎度「後ろの人に疎まれるのではないか」という不安に勝てず、結果直立した椅子で無理やり寝ることになる。というのもあり朝は体が終わっていた。

一時間後に新宿へ着いたので、めちゃくちゃ朝マック食いてえという自分の気持ちに応えマクドナルドへ行った。新宿のマックは店員に対して感じの悪い客が多いなと思った。

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16世紀、かのシェイクスピアも自著で「朝マックを好く気持ちとは実質上チキンクリスプマフィンを好く気持ちと同一のものである」と述べたように、朝マックでチキンクリスプマフィンを食べるという営為には特有の趣がある。

二年ほど前に知り、多分好きじゃないだろうなと思って興味を示していなかった「マックグリドル」をこのとき初めて注文する。

メイプル風シロップ入りのパンケーキとソーセージは相性抜群。

あまあまのパンケーキにくそしょっぱい肉が挟んであるという佇まいがかなり意味不明でありながら独特の魅力があると聞く朝限定メニューである。

果たして……

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ロゴが印字されていてキュートである。

一口かじった際の印象は以下の通りであった。


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……


…………

……?


なんこれ


どゆこと?


うまいな


うまいけどなんこれ




………


……

……?




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まず自分は「系統の違う食品を連続して食べられない」という性分があり、白米の直後にケーキ、ケーキの直後にグミ、といった状況はもちろん、刺身と唐揚げを立て続けに食べるみたいな程度ですらそれなりの抵抗があったりする(なんとしても水といったワンクッションや一定の時間を挟みたい)。
ゆえにマックグリドルは不向きな食事だろうなと思い気にもかけていなかったのだが逆にその破天荒さ、というより、そんなに破天荒な手合いが公式メニューに採用されている事実に興味が向いたのだ。

結果、うまい。うまいんだけど、なんで、何がうまいのかが全然わからない。咀嚼しながら、そのただならぬ「違和感」に首を傾げ続けた。

一考の結果「パンケーキと肉が、それぞれうまい」のだとわかった。パンケーキは好きだし肉も好きな自分に向けて「パンケーキ」「肉」という2トラックの味覚が一斉に、しかしあくまで「それぞれ」、まったく相互に影響や協調といった関係を持たず、完全に別個のものとして共存・同居している。
同じ物件に同居しているのだがパンケーキと肉が完全に別室なのだ。
食材同士が「合わない」とされるとき、本来そこには「悪影響を与えあっている」というような実情がある。その点グリドルは「合う」とは感じられず、かといって「合わない」と言いたくなるような悪影響も一切与えあっていなかった。「パンケーキと肉がうまい」ではなく「パンケーキがうまいし、それはそれとして肉がうまい」というような、「パンケーキと肉を食べる体験」ではなく「パンケーキを食べる体験」と「肉を食べる体験」をただ同時進行で感触(完食)しているような不可思議な実感がそこにはあり、ただただ徹頭徹尾パンケーキの味と肉の味が完全に無関係なのが異様だった。

「合う」とは一切思わないが、しかしうまい。この「合う」でも「合わない」でもない「合わなくなさ」こそがマックグリドルの主旨なのかもしれん、と思ったし書いたが、多分実際にはパンケーキと肉は普通に相性がよくて、ただ自分の味覚がそういう類のコンビネーションを感知できないだけだと思う。

あと店内の有線で倖田來未が永遠に喋っていた(このツイートは今検索して見つけた)のだが、なんか語り口がすごくちょうどよくて良かった。快活な関西弁で息子のマック好きエピソードなんかを話したりしつつ「なんですけれども」「でございまして」みたいな語尾の感じがちょうどよかったり、かつ焦りが全然ない自然な話しぶりにちょうどいい余裕や安寧が感じられたりした。

退店後は新宿くっせえなーと思いながらSuiseiNoboAzの4thを通して聴きながら歩いた。

電車に乗って久々の自宅へ向かう。笹塚を通過するたびに思うが、いまのところ笹塚に対する印象が「以前役不足が数日ろくなものを食わず30時間近く活動した状態で電車に乗っていた際にマジでぶっ倒れそうになって直後の駅で降りてベンチでしばらく満身創痍で寝そべっていた、その駅」というものしかなく、笹塚に申し訳ない。

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自宅の駅に直行せず降りたことのない駅で降りて歩いたりした。

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いくつになっても電柱の密度が高い部分が結構好きである。

三ヶ月ぶりの自宅へ着くも、前日に実家からこちらへ発送した荷物の中に自宅の鍵が含まれていたことが発覚し途方に暮れていた。奔走し合鍵を管理人から借りて部屋へ入る。ベッドによつばと4巻が置かれていた。

くそ重い荷物を置いて吉祥寺へ向かう。

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会いの要請があったのでインターネットの人と会った。待ち合わせに大幅に遅れず行けるとそれだけでそこそこの達成感と安心を覚えるんだけど、待ち合わせに大幅に遅れず行けるとそれだけでそこそこの達成感と安心を覚えないでほしい。

この日、大荷物での大移動、夜行バスでの身体的負担、新宿へ着いて以降最終的に18000歩に及ぶ歩行により、マジで呻きが漏れるほど腰が痛く、痛い痛いと騒いでいた。

井の頭公園を歩いた。おびただしい数の家族連れがピクニックに臨んでいた。先日急に冬になったと思ったのにこの日だけ6~7月くらいの暑さになっていて心底意味がわからなかった。

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よくわからん商店街に出ると気にかかる装置を発見したので、普段なら気にかかるのみで終わるところを、人と遊んでいる際の気分に乗じて100円を入れた。こういうのってただただ店主の意図にスベらされる危険があるよな、ていうかこれよく見たら当たりとかあるんですね、などと話しながら回した結果、同行人はわけのわからんケニアのおみやげみたいな小せえストラップを入手していた。

自分もそこそこわくわくしながらカプセルを開けると、小せえ紙が入っていた。赤い文字で「当たり」と書いてある。

え?


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結果、なんかめちゃくちゃいいマグカップが贈呈された。

紙には「店主へ渡してね」的なことが書かれており、なんか面倒なことになってきたぞと思いながら店(雰囲気のいい洋服屋であった)に入ると、見るからに気のいい店主の婦人が登場し、当たりの紙を捕捉するやいなや笑顔で店の奥から持ってきた小箱を手渡してもらえた。

こういうのがいちばん嬉しいですね。

「これねえ、マグカップ」と嬉しそうに小箱を開けて見せてくれる店主を前に「ああ、この街には余裕がある……」と感動した。ここでの余裕という語は表面的な態度とか経済的な充足とかを指す意味じゃなく、もっと根源的な精神の安寧や、安らかに営まれる生活の息遣いを意識して用いている。ありがたいですね。
とはいえ2Lボトルのお茶をラッパ飲みして暮らす自分にマグカップは不要が過ぎたので同行人へ進呈し、幸せな心持ちで歩いた。


相変わらず腰が痛すぎながら吉祥寺にある楽器専門のハードオフ(吉祥寺来ると毎回行く)を見てふ~んと思って出たりしたのちにミスドへ入った。

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ミスドって買って帰るのもすごくいいけど店内で食べるのもまた違う情緒がある。来たらポンデリング食わんと損だよな的な感覚があるので毎度食べる。飲み物を訊かれて、アイスティーみたいなのを注文する同行人に次いで「水って出ますかね」と言ったら店員が一瞬「え?」みたいな顔をしていた。ミスドで水頼んだの世界で自分だけかも。

退店し、なおさら腰が終わっていくのを感じつつ長時間歩き回ったのちダイソーへ入る。接着剤、耳かき、掃除のコロコロ、布団を干すとき挟むやつ、どうでもいいステッカーなどを買う本当に個人的な買い物にインターネットの人を付き合わせてしまっておもしろかった。100均のお菓子ってなんかいい、と言われ、すごいわかると言った。

なんか食べたかったので初めて鳥貴族へ入る。

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晴れた日曜に井の頭公園へ行って朝マックとミスドと焼き鳥を食べる日、って最もいい生活だろ、と思った。

適当な焼き鳥をうまいうまいと食べつつ、どういうヴィランになりたいかという命題について大真面目に議論していた。
やはりよくいるような、あるあるで完結する敵にはなりたくないという強固な思いがあり、前例のない異様な人物造型にこそやはりロマンがある。

こういう存在に対して並々ならぬ憧れがある。「強すぎて作中の争いとか目標とは無関係な別の目的を独自に見つけて勝手に退場していくキャラになりたい」「特定のエピソードで登場したのみの人物なのに存在感とインパクトが大きすぎて退場以降も主人公に最後まで影響を残したり人気投票でずっと上位に居続けたりするキャラになりたい」といった願いがある。

あと、オタクは全員「飄々とした」という表現でプロフィールを紹介されることへの憧れを持っていると思う、という話もした。

いい時間なので解散し帰路についた。
腰痛が帰り道でピークに達し、最寄りへ着いてから自宅まで歩ける自信がなくタクシーの利用という選択肢がよぎるほどであった。

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と言いつつ本屋に寄り、買いたかったやつを買った。

『明日ちゃんのセーラー服』の8巻を発売日に買うも「覚悟ができない」という理由で一切読めないまま過ごしていたら9巻が発売されてしまった。私は愚か者です。
同じ理由でアイマスの『VOY@GER』のPVも未だに観ていないし、月ノ美兎氏のアルバムも聴いていない。

自宅へ着いて、スウェットに足を通し、ベッドにぶっ倒れて寝た。


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明くる月曜日、日曜に続き休みなので疲れもあり目覚めることなく14時間近く寝て昼に起きた。腰痛が面白いほど完治していた。

個人的に餓死の前兆としている体の震えを確認したので以前買って冷凍庫にあったファミマの台湾まぜそばを食べた。

ファミマのお母さん食堂シリーズからリリースされ、お母さんは台湾まぜそば出さねえだろ、というツッコミをおそらく累計60000回ほど入れられているであろう冷凍食品なのだが、今年6月に知って以降、度を過ぎてうますぎること、インスタント感が薄くかなり麺料理感があるので不健康感がさほど強くなくいい具合に腹が膨れること、レンチンだけで食べられること、300円であること、などが呪い、信じられない頻度で食べるはめになった。
食生活を個人的に記録しているので見返して数えたら30食近く食べてた。助けてくれ。でもそれくらい好きなのだ。と先日人に話したら近々お母さん食堂が廃止されると聞いた。以来、台湾まぜそばはどうなるんだろうという不安だけがある。

ファミマへ

頼む

そのあとは一日中ネットラジオを聴きながら荷解きと部屋の整理や掃除といったことを(珍しく)していた。こういう生活拠点の移動があるたび膨大な量のコード類などによって膨大な時間を要してしまう。しかし一度そういうモードに入ると楽しかったりする。

布団を干したほうがいいという助言を受け取っていたので布団を干してあったのだが、これ雨降ったら終わるなと気づき、そして実際、夜には見事な土砂降りに見舞われた。しかし自分は事前にちゃんと天気を調べて布団をしまっておいたので、自分とハイタッチした。

痛ましさが逆に面白くなってるエピソードを思い出してツイートした。
ただこれはおもしろのやつという意図で書いたけど、でも生活の苦しさとかをツイッターみたいな公共の場でパフォーマンスとして「限界」とかそういう言葉でパッケージングして吹聴するのは一種のリスキーさがあるように思う。というのは、単に人の苦労話とか呻吟というのはほとんどの場合、知り合いや友人への個人的な吐露という形なら話は変われど、無関係な第三者が聞いたときには一切面白くないからだ。ただただ鬱々とした言葉を見せられても「気の毒だな」と思うことくらいしかなく、場合によっては憂鬱の気配が伝播してしまうこともあるだろう。そう考えたときに苦労話というのは「退屈に思われる」というリスクを相応に伴うことがわかる(かといって苦しさを封殺するのは完全に不健全です)。

ただ事情はそこへ上積みされている。というのも「限界」の当事者にとって「限界」という境遇をエピソードナイズして喧伝することと、そこにオーディエンスやインプレッションが集まりうることは、無視できない救いのような意味を持ってくるからだ。
自分はそれをよく知っていて、実際しんどかった時期は「しんどい話をしてもどうしようもねえよな」という思いはありつつ「限界」を公にツイートしたりもしていた。それは「こんな話しても」というような理屈や判断とは別の回路を伝って出力される不可避の機制だったように思う。とはいえやはり独善的な動機によるのでその行動は内在的な結果にしか向かわず、パフォーマンスとして的を得たものではなかったと思う。

ただやっぱり見聞きする側に回れば本質的に苦労話というのは声を大にして言うようなものではないのが大半だとわかってくる。発話の動機があくまで利己に傾いている場合を見抜いて自制できるリテラシーや強度に興味がある。ということを今日思った。

そんなこんなで21時過ぎにまたしても極度の空腹、しかし夕食として食べられるものが何もないことが発覚し、上着を羽織って日高屋に出向いた。常になんか食える実家もいいけど、かといってこういうめちゃくちゃな行動に出られるのもそれはそれでいいよなと思う。

tahiti 80などを聴きながら歩いて向かった。

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日高屋ではW餃子定食唐揚げ付が注文の最適解だと思っている。無根拠に貧乏性なので、600円台で餃子12個と唐揚げ2個が食べられるのはかなりいいなと思う。

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そういえば日高屋は会計時に大盛無料券がもらえるのでこれを用いて毎回ごはんを大盛にしてもらうのだが、券のレイアウトが変わっていた(右が旧)。
日高屋の大盛無料券は名前をモリモリサービス券といい、それがとてもいい。

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また(自分が通っている店舗だけかもしれんが)、席のタッチパネルで「大盛(サービス券有)」という注文をして大盛分を無料にしてもらっても、会計などで券を渡す機会がない。よって財布で無限に溜まり続けている。モリモリサービス券がほしいという人がいたら役不足に連絡してください。
渡す機会がないどころか券の有無すら確認されたことがない。だから別に券を持ってなくても無料で大盛にできそうなのだが、そういうのって確認しないでいいのか?と日高屋に対してずっと思っている。

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退店すると隣の薬局が閉まっていた(でかい炭酸と紙コップを買いたかった)ので悲しかった。行き場のない気持ちを埋め合わせるかのようにしてコンビニでパピコを買って食べながら夜道を帰った。

朝マックを食べる日、ミスドを買って帰る日、といった暮らしの中のささやかな幸せとその有りようを偏愛しており、その一端として、たまにコンビニで買ったアイスを食べて帰るという行動を愛好している(挙げたすべての行動にこの記事内で成功していて嬉しい)。
これらは、たまに、であることが肝要であり、毎日帰り道でアイスを食べるよう心がけたりするのは少しだけ違う。またコンビニで買うことにも意味があり、スーパーで買っても全然いいんだけど、コンビニでカジュアルに買う感じがなんかいいよねと思う。コンビニって高いから普段そんな買い物しないけど、帰り道でのアイスを買うことに関しては無抵抗である。

歩きながら『THE IDOLM@STER ANIM@TION MASTER 生っすかSPECIAL 04』の7トラック目『真美チャレンジのコーナー』を聴いてほくそ笑むなどしていた。役不足はこのトラックが異様に好きである。
アイマスのアイドルがやっている生放送番組「生っすかSPECIAL」で双海真美というアイドルが他メンバー十数人の声マネにチャレンジする、という内容なのだがこのモノマネの精度が必要以上に高く、なんかわからないけどそれがすごい嬉しいのだ。

声でのモノマネって条件が二つあると思っていて、ひとつは声色や声質自体のマネというのが当然挙がるのだが、もうひとつは「細かい発音や語尾、イントネーションの感じ」、つまり声そのものでなくその出し方や発声のクセをいかに巧く再現できるかという点にあるように思う。ここを寄せられるかどうかで「っぽさ」が全然変わる。その点で双海真美による声マネはそういう基準こそを完璧に満たしていておもしろい。

余談だが友人の奥野という男が最近頻繁に「イントネーションだけを完璧に似せた諸星きらりのモノマネ」をやるようになっていて最悪である。諸星きらりというのは「うっきゃあ☆きらりんのハピハピ☆きゅんきゅんぱわーで笑顔にしちゃうにぃ☆」みたいな話し方しかしない、テキスト・声色共にかなり癖の強いアイドルで、奥野によるモノマネは「完全なオタクの男の地声なのにイントネーションと口調だけ完璧に諸星きらりである」という非常に不気味かつ不愉快な体験があらゆる神経を逆撫でするのが最高なのだ。


という感じで自宅へ帰った。あとはこの日記を書いて午前4時に差し掛かっている。そんで明日全然予定ある。終わった……

最近再録リリースされた左右のアルバムとかを聴きながら書いた。

なんか毎回長くなるから今回はマジで短くしようと思ってるのにまた7500字とかになってる。何か実のある文章ならまだしも、ただでさえ求心力に欠ける「オタクの日記」というどうしようもない成果物が原稿用紙18枚分あったところで誰も嬉しくないというのに。

ひととおり書いたので終わります。



そういえば日高屋から帰ってから意外な出来事があった。

数ヶ月前に「カップ焼きそばを失くす」という奇天烈な経験をしたのだが、この焼きそばが見つかった。

住んでいる賃貸の玄関にある共用の靴箱の、自分の引き出しの中にあった。

なんで??

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