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小学生のころに出版した著書を読み進めていく

今まで誰にも言ったことはなかったのだが、実は自分は、本を出版したことがある。自分で言うのも何だが、なかなか読み応えのある一冊になっているのではないかと思っている。

この記事では、その拙著を紹介しようと思う。


 
これだ。

「ぼう人間くんのぼうけん」さく:██(本名)

「ふざけるなよ」と思った方もいると思うんですが、残念ながらここからはぼう人間のぼうけんを掘り下げていくだけの記事になります。

たぶん小学一年生くらいの頃に作ったものだと思うのだが、最近ひきだしの奥から出てきて「おっ」となったので、惜しまずに記事を書くための材料にしていこうと思う。

思えば小学生の頃はいつも自由帳に四コマ漫画を描いて友達に見せていた。おそらくその趣味が高じて、工作的ハンドメイドによる「書籍化」に手を伸ばしたのだろう。今はもう忘れてしまったクリエイティビティである。


読み進めていく


ページを開いてみる。

「ひとりのぼう人間くんがいました。」

ぼう人間くん「やあ」

「おしまい。」

ぼう人間くん「なんでやねん!」

かわいいな~~~~~~~~〜〜~~~~~~~~~~~~~〜〜~~~~~~~~~~~~~

小学一年生が繰り出す変化球(を意識したのであろう)的ユーモア、もはや愛らしい。経年によって恐ろしいほど汚くなったセロハンテープが強引に左右のページを繋ぎ止めているのも目を引く。そもそもこの書籍は緑色と黄色の折り紙で形成されている。最高だ。


ぼう吉「ぼくはぼう吉(きち)。」

ぼう吉「さああそびに行こー」

ぼう吉が帽子をかぶって遊びに行くようだ。名前にご丁寧に「きち」というルビまで添えられているのが生意気である。というか、名前「ぼう人間くん」じゃないのかよ。


ぼう吉「今日はすべり台であそぼーっと」

ぼう吉「え?」

ぼう吉「あーーーーれーーーー」

急展開だ。不自然な形に湾曲しきった異型のすべり台によってぼう吉が空に飛んで行ってしまった。まあ物理的なこととかでいろいろと言いたくなることはあるが、なにしろ作者は小学一年生なのでそこは瞑目する。


雲の上に着地したぼう吉「あらま・・・」

雲の上に立っている老爺「わたしはかみさま。」

「アホー」←カラス

雲の上に着地したぼう吉。左上にめちゃくちゃヤバいジジイがいるのがわかる。初対面で開口一番「わたしはかみさま。」などと言ってくるジジイは確実にヤバい。まず「わたしはかみさま。」という字面がヤバすぎる。幼さが生んだ狂気である。


かみさま「天国のみんなじゃ」

・やきゅうせん手

・プロレスせん手

・サラリーマン

かみさまが天国にいる住人を紹介している。この場にいるのは、野球選手プロレス選手サラリーマンの三名だ。

野球選手は手に持っている野球道具によって「野球選手っぽさ」を保持し、サラリーマンは手に持っている四角いカバンによって「サラリーマンっぽさ」を保持している。このように、棒人間なりにそれぞれの個性を象徴する何かを描き加える工夫がなされているのだが、

プロレス選手だけは何も思いつかなかったのか「敵意のありそうなポーズ」のみなのが個人的にかなり面白い。


プロレス選手と思しき人物「しょうぶだ!!」

なんで?


ぼう吉「おりゃーーー!!」

雲の外へ殴り飛ばされたプロレス選手「え?」

地上へと落ちていくプロレス選手「きゃー!」

ボン(煙)

プロレス選手「やったー」

無条件で始まったぼう吉との勝負の末、敗北したプロレス選手。いわゆる主人公補正がかなり強力に作用しており、すべり台で遊ぼうとしていたような人間がプロのレスリング選手だった男に普通に勝っている。プロレス選手が雲の外まで飛ばされて地上への転落が確定したところで放った一言が「え?」なの、絶望感がすごい。

展開も目まぐるしい。察するに、死者として天国という死後の世界にいたプロレス選手は、ぼう吉に殴り飛ばされて地上に降り立ったことで「天国にいる(=死んでいる)」という状態でなくなり、それに伴って蘇生したということなのだろう。どういうこと???

プロレス選手は生き返ったので、死者であることを象徴するかのように先程まで頭に冠していた白い三角のやつ(調べてみたら「天冠」というらしい)を失い、さらにもとから何も手に持っていなかったために「本当に何の特徴もない普通の棒人間」になってしまっている。主人公であるぼう吉も同じ風貌であるが、それは「最もスタンダードな風貌」として普通に納得できる。しかし、その主人公がいたうえで脇役が同じ姿になってしまった場合、彼は持てる特徴を完全に失ってしまうことになる。生きているという状態にあるためには、自身の特徴や個性、アイデンティティといったものを求めることはできない。みんなと同じ姿にならなければいけない。そのために、制服を、スーツを着て、みんなと同じ場所にみんなと同じ時間に行き、みんなと同じことをしなければならない。それを避けた先に待っているのは他ならぬ「」だ。この数ページは、その性質上、残酷なまでの没個性化を強要する窮屈な現代社会を風刺する一幕なのかもしれない。かなり尖った小学生である。「きゃー!」「ボン」「やったー」の三シーンについて述べる文字数が多すぎる。


そのころ天国では・・・

ぼう吉「なんでぼくが天国のじゅう人にならなきゃいけないんだ」

サラリーマン「おねがいです~」

このページをオチとして、物語は幕を閉じる。

察するに、天国には常に三人の死者がいなければならないらしく、その一人であったプロレス選手がさきほど天国から消えたために一つの席が欠番しており、ぼう吉がその席を埋めるために「天国の住人」になることを頼まれているようだ。サラリーマンは「おねがいです~」という軽い物腰でぼう吉の"死"を懇願している。「天国のじゅう人にならなきゃいけない」という文自体も怖すぎる。「トホホ」的な終幕なのに、その中に含まれている内容がとてつもない。雲の描き方が雑になってきているのも良い。


読了


読み終えてしまった。折り紙で製本したために最後の方にページが余ってしまったのを埋めようとしたのか、「おまけ」なるものが8ページほど収録されていた。ぼう吉が空を飛んだのち看板に頭を強打し「いって~~~!!!」と叫ぶ、というだけの内容で、それはそれで味わい深いものがあった。蛇足もいいところである。

以上、「ぼう人間くんのぼうけん」でした。部屋の本棚に置いてみたら存在感が消滅してしまった。ありがとうございました。

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