SMAPのいない年の瀬

こういう文章を書くのは人生で初めてのことだと思う。

小学校の頃、進研ゼミが家に届くと1日か2日で全部終わらせて赤ペン先生まで一気に仕上げた。しかし中々投函できない。赤ペン先生へのおたよりが何も思いつかないからだ。おたよりを書くのに10日以上かかった。

時は流れてここ数年のお話。浪人や中退を経て数年遅れで僕は念願の志望校の学生になっていた。すぐそこに就活が迫っている。しかし僕は理由を考えたり話すことがあまり出来ない。いや、正確には出来なくはない。話が下手なわけでもない。むしろ雑談は得意だし面白い方だとすら思う。しかし話そうとすると本音がダダ漏れしてしまいそうになるのだ。そこで僕は面接がないとは言わないまでもウエイトの低い難関資格職を目指すことにした。

そんな僕の第一歩のnoteへの寄稿。本当は大好きなヤクルトスワローズや銭湯、美味しいお店の話や身の上話から入りたかった。

しかしそれ以上にふと頭に浮かんだことがあったのでそれから書いていきたい。

SMAPのいない日本になってからもう2年が過ぎようとしている。

別にSMAPがいないからといって、僕の生活に不便や不都合は生じていない。逆にSMAPが存続していたとしても僕の人生がひたすらに上手く行くわけでもないだろう。

けれども何かが確実に足りないのだ。

月曜日、塾やバイトから帰ってきたら夕飯を食べながら家族(父除く)と見るビストロSMAP。

キムタクがあとから出汁やスープをかける料理をよく作るので真似して焼きおにぎりに白だしをぶっかけるのにハマったりもした。

金曜日、風呂から出た後のぷっすま。

タモリ倶楽部の後に見るゆっるゆるの罰ゲームをかけて対決するサンタマリアさんとつよぽんを見ることは週末を迎える前の僕のルーティンになっていた。

そして年の瀬。

さんまSMAPのクリスマススペシャル。

11月から出ているイルミネーションやサンタの広告よりも僕にとっては年の瀬を感じさせる番組だった。SMAPのメンバーとさんまがコーディネートしたコンパニオンのお姉さんを見るのが小学校の頃から毎年の楽しみだった。

年が明けて1時間後のCDTV。

中居くんとベッキーの司会。aikoの客席煽り。これを聞いて初めて新年を迎えた気がした。

すぐ引き出せる思い出はこんなところだ。思い返すと別に僕はそんなSMAPが好きだったわけではない。けれども彼らの紡ぎ出すその番組一つ一つ、曲の一つに季節感や日々の営みに寄り添う何かが確実にあったのだ。

それがないこの2年の思い出はどこかぼんやり。ヒーローにして大先輩の青木宣親のヤクルト復帰しか記憶にない。(山田哲人のトリプルスリーはもはや当たり前だから記憶に薄い)

中居くんとキムタクは変わらず我々日本人の日常の中に溶け込み彩りを与えている。

若作りから解放された感のあるキムタクは役柄の幅を広げてゲームにもなった。

中居くんは相変わらず司会業が絶好調だ。

さんま、タモリ、たけしがいなくなった後、20年後に司会者と言えば日本国民のほぼ全員が中居正広というかつてアイドルだった野球好きなお爺さんと答えるだろう。

しかしあと3人がいない。正確にはいないわけではない。CMやネットに目を向ければよく見かける。けれどもSMAPとは食事と一緒に摂取するものだ。

いつかまたあの3人が地上波に復帰してつよぽんのドラマが見たい、大口で食べる慎吾ちゃんが見たい、ほん怖に出る吾郎ちゃんが見たい。

そんなことを暗い部屋で見る明石家サンタと共に感じて筆をとった。

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