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普通に生きるのが難しかった。

幼稚園生の時、塗り絵のりんごを当時から好きだった紫色で塗っていたら先生は言った。
「りんごは普通赤色でしょう?どうして紫に塗るの?」
「どうして普通は赤なの?好きな色に塗っちゃいけないの?」
先生は困ったように笑ってみんなの方を指さして言った。
「ほら皆赤に塗っているでしょう?りんごは赤なのよ。わかる?」

別に赤じゃなくてもいいじゃない、私は紫が好きなんだから。
紫のクレヨンを放り投げて、私はつまらなそうな顔をしてふんぞり返った。
先生は首を振って「もういいや」という風に私に背を向けた。


「ねえお母さん、普通って何?」
夕飯の支度で忙しなく動いている母の背に問いかけた。
「普通?可でもなく不可でもないってことよ。お母さんはつまらないと思うわ」
「ふうん。」

つまらない事ならば気にしなくていいや。と思った私は普通をその場で封印した。それから何度も幼稚園の先生から「普通は」という言葉を聞かされたけど「つまらない事だ」と思って聞く耳を持たなかった。


小学校に入ってからは担任の先生から「どうして普通に出来ないの!普通の人はこうするのが常識でしょ!どうしてみんなと一緒のことが出来ないの!もう少し人の気持ちを考えなさい!」と毎日のように叱られた。

どうして普通にしなきゃいけないんだろう。
どうしてみんなと一緒でなければいけないんだろう。
なんで他人の気持ちなんか考えなきゃいけないんだろう。自分の気持ちだけでいっぱいいっぱいなのに。

先生や大人たちに「個性的で変わってる子」というレッテルを張り続けられた学生時代。いつも通知表には「協調性がない」と書かれ続けた私は自分の何が悪くて何が普通じゃないのか全く理解が出来なかった。

普通って一体何なんだろう。
何が普通で何が普通じゃないんだろう。常識って誰が決めているんだろう。頭の中は?だらけ。

公務員と結婚して出世させ、大きなお家と財を成した祖母は
よく私にこう言った。
「普通が一番なの。普通に暮らして普通に仕事してコツコツお金貯めて普通のしっかりした人と結婚して堅実に生きていくのが一番なの。」


それって果たして面白い人生なんだろうか。
普通の人と結婚して何が楽しいのだろうか。
お金って使うためにあるんじゃないのか。
そんなに一生懸命貯金する毎日の、何が幸せなんだろうか。


普通より面白い方が好きだし
平凡より刺激的な方が好きだし
他人のこと考えるより自分のことしか考えたくないし
それのなにが悪いの?
と尾崎豊の15の夜状態の私は、人の二倍速で何故か生き急ぎ、人生を猪突猛進して行った。


パンツ売りが風俗嬢に
タマ喰いがシャブ中に
付き合う男はみんな同業かヤクザかグレーゾーン
「死にたい」が生きる目的になって「死ぬために」生きてた。
死にたいからどうでも良かった。
違法風俗の援デリで働いていることも、仕事中にヤクザに囲まれたりすることも、客と喧嘩になることも、警察呼ばれることも、シャブ中の相手することも、全部怖くなかった。死にたかったから、何が起きても何でもよかった。死んでも良かったから、なにもかもがどうでも良かった。
注射の針がチクリと血管を貫通するたびに、ODで気持ちいまま死ねないかなと願った。量が多すぎて心臓がうるさいくらいに鼓動を打つたびに、このまま動きの限界が来て止まっちゃえばいいのにと願った。40キロまで減って骨と皮だけになった身体を見て栄養失調とかで死なないかなと思った。でも自殺を試みても私の心臓は動くのを辞めてはくれなかった。
「生きててもいつもしんどいのにどうして死ねないんだろう」
簡単に死ねない人間の身体を恨んだ。


同級生が学生として楽しんでいる姿を見て「普通に生きてたら私もそうやって生きていけたのだろうか」と思った。
でもきっと私はそれを楽しめなかっただろう。
学生してバイトして、彼氏作ってディズニーでデートして就職して東京で生きてくビジョンを考えるだけで寒気がした。何も楽しそうと思えなかった。

「私が欲しい東京はこれじゃない」と思って生きていたけど、じゃあ私が欲しい東京って何だったんだろう。

クラブで死ぬほど遊んで、浴びるほど酒を飲んで
欲しい物は何でも手に入れて
好きなだけ薬物やってむかつくものには噛みついて売られた喧嘩は買って好き放題生きた。でもいつもなにかが足りない。


シャブも結局私を救ってくれるわけじゃない。
もぅ限界を迎えていた体と猫のためにシャブを辞めた時私は思った。
「ちょっとでもいいから、まともな人間になりたい。普通が何かはわからないけど普通に生きてみたい」

ずっとわからなかった普通を求めた。
大好きなクレヨンしんちゃんが「普通の幸せ」の象徴だと思った。だとしたら一番手に入れるのが難しいんじゃないかと思った。祖母が言っていた「普通にまじめに生きて堅実に過ごすこと」が私にとっていかに難しいことかも人生を通して痛感した。

私は、普通じゃないし正気じゃない。
だから普通に生きることはとても難しい。

シャブを辞めた後も、シャブによって満たされていた「刺激」が不足し、酒に逃げたり男に逃げたり華やかな場所に逃げたりとにかく逃げに逃げまくって生きた。そのために金を使い、浴びるように酒を飲んだ。

でも家族が増え、気づいたら我が家には猫が5匹。気付いたら猫たちと過ごす時間の方が大事になって、気づいたらずっとそばにいてくれた友達の大切さを痛感し、気づいたら自分の過去を文章で書くようになっていた。有難いことに読者の方が出来て応援してくれる人がいて、色んな人に記事を読んでもらえるようになった。youtubeに出たり、普通に生きてたらできなかったことを経験することで私の「普通」欲は消えた。
だって普通じゃなかったからこの人生で、普通じゃなかったからであえた人もいたわけで、普通じゃなかったから文章が書けている。膨大なお金と薬物を消費して30手前で何もない私だったけど、過去が面白いならそれはそれで美味しいじゃないか。

私は普通じゃないことにお金と時間を費やして人生という経験を得た。それでいいじゃん。よく生きたじゃん。と今は思っている。

今でも普通はよくわからない。
でもきちんとシフトを守って出勤して、自炊してご飯作って、たまに運動して、猫たちとのんびり過ごして、たまに旅行行ったりコンサート行ったりして、友達にも会ってという本当に平凡な毎日を送るようになってから思う。

何も刺激もない、本当に平和な毎日がどれだけ幸せか、自分がそちら側に立つまで気づくことが出来なかった。普通の幸せというものに。

何も私の心を乱すものはない、ストレスフリーな環境で好きな家に住み、好きなことをして、猫たちとのんびり過ごす時間がどれだけ大事かという事に。

時間が大事なことに気づいた私は酒も辞めた。
酒は飲んでも記憶も金もなくなるうえ、次の日二日酔いで時間が潰れてしまうからだ。ほどほどに飲めればいいのだけど、白か黒かな私はほどほどという匙加減が出来ない。酒を飲んだらブレーキが効かないのできっぱり辞めた。大事な集まりとか誕生日とかは飲んでもいいと決めてるけど、別に友人といれば酒を飲まなくても楽しいのだ。
最初こそ飲んでる時の高揚感や時間を持て余した時の力のやり場に困ったけど、飲まなくなったことで出来た時間で運動したり本読んでいれば時間なんてあっという間。「暇を楽しむ」というのも良いものだと思う。

30という年齢を前に、お金の勉強や普通の家庭の家計をたくさん勉強して「貯金する」という事も覚えた。
ぼんやり「まあこの業界でギリギリまで生きてこうかな」なんて思ってた人生も「うーん、そういえば弁護士の仕事気になるなあ」と思い調べたところ別に中卒でもなれること知り今はそのことを調べつつ準備期間に入っている。
そしてつい最近新しい仕事が入った。全然触ったことのないジャンルだけれど「来た話は断らない」がポリシーの私なのでどうせなら最高の物を作り上げたいと思っている。
ソープの仕事も日々精進、7月末に講習の予定が入ってるのでまた自己ベスト更新し続けてサービスの質を上げてくのみ。

さて私の人生どうなっていくんでしょうか。
もうすぐ31歳、シャブを辞めて8年目の夏がやって来る。
もうシャブってどんなんだったけ?と思いだせないくらいには
あれだけ夢にまで出てきたシャブの影が、今では完全に消え切っている。
でも別に我慢も苦しい思いもしていない。多分目の前に出されてもなんとも思わないだろう。
シャブなんて誰でも辞められる。やりたいやつはやればいいし、やめたいならやめればいい。


ああそんなこともあったね、って笑える日が来ればいいといつかのnoteに書いた。
今ああそんなこともあったね、と笑えている。

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