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お膝に触れる時

トリートメントの流れの中で、お膝の上下に手を置いて感じる時が、
一つ人の存在の神秘に触れるクライマックスのように思います。
太もも側の骨とすね側の骨にピッタリと手のひらを合わせてゆくと、
まるで大きな門が開くようにゆっくりと開閉してゆきます。
これが起こると、人間というのは物体ではなく躍動する何かなんだろうという畏敬の念が湧いてきていつも感動します。

でも、いつもそう厳かにオープン!となるわけではなく、
一向に起きない時もある。

一つめの関門?はそれぞれの骨にくっつくことができない感の時。
骨が他者と協力することを拒むように、するりするりと身を翻されるような感じがして、これがとても巧妙になされる。
こちらは息を整え真正面から訪ねていくので、それに照応するようにピッタリと受け止める形になるのだけど、
こちらはすっかりその気でくっついたように思って、あれ?目を開けてみると、ちょっと離れたところでタバコ吸ってない?みたいな。
それでおかしいなと思って仕切り直しをしても何度も何度もそれが繰り返されると、あぁ、くっつかないんだな。実はくっつきたくないんだなと分かる。

でもここですごすごと引き下がらないというのがトリートメント全般での心持ちのコツとしてみんなにお伝えしていること。
トリートメント学ぼうなんて方はだいたいお優しい性格の、実生活では空気読んでさっと身を引くタイプの方が多いのだけど、
ここは実生活とは別の世界で、
なおかついつもの私ではなく、訪ねているのは精油なのです。
精油とお膝の世紀の出逢いを、勝手な施術者の空気読み癖が阻んでどうすると。
いつもの自分は空っぽにして、食らいついてゆく。
そうすると変化が起きてくっついてゆく(時もある)

そしてその躍動する内側の部分が現れてくるわけなんだけど、
ここは完全に物体固体ではないものを感じ合っている別次元のものです。
なのでむしろ親和性があるというか、
骨にくっつけてる時の方が、他人感をいかに溶け合わせるかになるのだけど、
内側はもう私と同じだから分かりあおうとする必要ないよねという感覚。

この手技を通して思うこと。

ヒトを覆っている部分は、内側がもしくは自分が外の世界と同じものだとは基本的に思っていない。
そして内側にいるものが外と阿吽で通じ合うつもりでいるなんていうことも知らない。
ただ外部から守らないとと思ってる。
外部からの精油や手の働きかけに、聞く耳立てる気全くなしで、テクニックでかわしてくる。

でもそうこうしているうちに、内側の躍動が「やぁやぁよく来たね〜」とばかりに全面的に外部の来訪者を受け入れ始めるから、
覆ってるプレート?はなし崩し的に動いていって、内側と来訪者の色にいつのまにか色を同じくして並んでいる。
可愛いやつ。という感じ。

これにはとっても個人差があって、すり抜けも抵抗もなく、喜んで動いて新しい色に変わっていく人もあれば、
結局内側があんまり見えなかったなという人もある。
くっつこうとしないプレートというのは、外の世界の来訪者を信頼したり頼ろうとしない=内側の自分の持っている躍動を信頼したり頼ろうとしない
認識や癖が出来上がっている
のかな。
そんな気もしてきます。
だからこそ、委ねていいんだよ〜という気持ちでリラックスして触れていきます。
(それでも内側が元気に躍動し始めれば上記のように全て解決なんだけどね)

プレート動き出して内側の躍動がしっかりと出ると、その後の頭に触れた時にリンクがちゃんと現れてくる。

膝と骨盤と頭が繋がっているので、
膝が開きにくいというのは頭がガチッとなっているのだと思う。
まずは膝でしっかりと覆ってる部分をこちらに引き込んでおく(仲間になっておく)
それが頭のトリートメントで起きることを外側に見えやすくしてゆくのだと思います。

できるだけ分かりやすくと思って書いたけど、
言葉にするのって難しい〜。
わけわからなかったらごめんなさい!

ぜひ講座に来て体感と共に習得してほしいです。

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