人生会議が炎上した意義

人生会議のポスターが話題になりました。

今回の騒動を『炎上商法だ』と言う人もいるみたいですね。

「人生会議」とは、もしものときのために、あなたが望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取組のことです。(厚生労働省HPより)

~人生会議というワードがバズったことには価値がある~

僕は人生会議という言葉がバズったこと自体は、良かったと思ってます。

僕の母は約10年前に59歳で他界し、妹は28歳で他界しました。
当時30歳だった自分は死とか生きるとか、自分事としてそこまで真剣に考えたことは無かったから・・・。

死を考えることは生きることを考えると同義。というのが、その頃から自分の中で芽生えてきました。

たまたま、このポスターが公表される前の週に、自分の所属する地区薬剤師会の研修会で講師を務めたんです。その講演の中で、これからの薬剤師に求められる資質について少し触れました。

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まさにACPの内容にも繋がる内容ですね。

これから薬剤師として、だけでなく人生を幸せに歩んでいくには、日本でタブー視されていることと向き合う必要がある。という内容です。

それはさておき。

今回のポスターに関しては微妙だな、と思ったのも事実です。
物の見方は人それぞれ、価値観は人それぞれなのでポスターに対して賛否両論あって当然なのですが。

~ポスターに対する違和感の正体?~

僕が今回の小藪さんのポスターをネットで見た瞬間の印象は

『えっ?何これ?』でした。
確かにインパクトはあるものの、恐怖感をあおるといいますか・・・。
ACP、人生会議、死を考えるという連想にはつながります。
でも、何とも言えない違和感がまとわりつきました。

そしていつものようにネットやワイドショーでは、ネガティブな(批判の)声があがりました。『炎上商法だ』『予算をかけて何をやってるんだ』『患者や遺族を傷つける内容だ』などなど。

死というデリケートな問題に踏み込んだわけですから、当然、批判の声も出てくるでしょう。

価値観は人それぞれなので、良かった悪かったをここでは論じません。

そして批判するのは簡単です。でも、どうなってたら良かったのでしょう?

~違和感の正体は目的~

今回のポスターの目的が『バズること』なら大成功です。でもそれに違和感を覚えた自分がいたのも事実。

本来の目的は『人生会議』を知ってもらい、自分のもしもの時を話し合う機会を作ってもらうこと、のはず。(厚生労働省のHPにも書いてありますね)

じゃあどんなPR方法なら良かったのか?

その解が自分では出せませんでした。

~答えは『死を考える=どう生きるかを考える』だった~

そんな時に、FBで素敵なポスターを発見。薬剤師のお友達のポスターです。

これを見た瞬間に、あぁ、そっか。
自分の人生会議(ACP)の意義は『どう生きるか』だったんだな。と腑に落ちました。

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価値観の違いは人それぞれ、と冒頭に書きましたが、人生会議の意義も人それぞれです。
死に直面している人、身近な人の死によって自分の死・生き方を考えている人、死を遠くに感じている人。

死ぬ瞬間の事を考えるのか、いずれ迎える死までの生きる期間を考えるのか?

今やる人生会議と、5年後にする人生会議で出る結論は?
経験によって人の価値観は変わるので、今と5年後で考え方が変わらないことの方が難しいかもしれません。
さらに、余命を宣告された時に、こう死にたいと思っていた考えが、その瞬間に変わる可能性があるのも、当然かもしれません。
だからこそ、その瞬間瞬間で、きちんと自分の生と向き合う機会があるのは、人生を豊かにすることに繋がると思います。

~批判を恐れずにチャレンジしたことには賞賛を~

今の日本では、死、お金、思想(宗教、政治)、生(性)の話はタブーのきらいがあります。
そして何かに挑戦した時には、あら探しをするかの如く、批判をしていく窮屈な世の中になってきています。

そのクセに『みんな違ってみんな良い、好きなことを見つけよう、多様性、ダイバーシティ!』といったキレイな言葉も入り混じる世の中です。

今回のやり方の賛否はともかく、チャレンジ(炎上)をきっかけに『人生会議(ACP)』という言葉が広まった。その事実は良いこと。

人生会議は誰かに強要されるものでもなく、一人一人が考えていけば良いのですから。

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