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教育効果か、負担軽減か?

 10月29日の朝日新聞デジタルに、「増える短縮型、岐路に立つ運動会 「教育効果失われる」専門家の懸念」という記事が出ています。

 10月は運動会や体育祭が開催される学校が多く、4年ぶりに新型コロナによる制限がない運動会が各地で行われたわけですが、コロナ禍のもとで導入した短縮型を続けたり、「一日がかり」に戻したりと学校の対応がわかれていたようですが、多くの学校は負担軽減のため短縮開催を続けているということです。この短縮型について、赤田信一静岡大准教授が、運動会で得られる教育効果失われると懸念しているということです。
 
 確かに一日がかりで行った学校では、「他学年を間近で応援、楽しい」というコメントが同日づけ「一日がかりの運動会復活、でも多くは「短縮」続行 学校の選択のわけ」という記事に出ており、また赤田信一静岡大准教授も自己肯定感、思いやりなどを教育効果として挙げており、短縮型だとこのような教育効果が失われかねないとの懸念を示したいます。

 赤田准教授が指摘しているように、そもそも運動会は海軍兵学寮で開かれた「競闘遊技」がはじまりとされており、その後、「体操(兵式体操)」が全国の学校での正式な教科になったことで全国に広がっていったとのことなのですが、スタートは軍隊教育であり、その後の広まりも軍隊式の体操の導入がきっかけなのですから、学校を軍隊のような規律と秩序ある組織にすることが目的だったわけです(ただし、学校教育に軍隊の規律と秩序を導入することは批判され、兵式体操は形骸化していきましたが)。
 やがて地域の「村祭り」が、小学校の運動会と融合する状況も生まれ、地域行事としてさらに普及が進んでいきました(田舎の小学校だった私の母校でも、地域の人たちも一緒になって運動会に参加しており、屋台が出たりするなど地域のお祭りのような運動会でした)。
 その意味ではコミュニティづくりにも一役買っていた過去はありますが、現在は特に都市部ではそのような形式はほとんどないわけで、純粋な学校行事になっていることが多いので、目的としての教育効果という問題は避けては通れないわけですが、一方「負担軽減」のためという目的で短縮型にしているという事実を見ると、果たしてどうするのが良いのか、葛藤があるわけです。

 しかし、近年の傾向で考えると、「負担軽減」というのはなかなか捨てられないですね。特に今年のように暑い日が多かったことを考えると、教員の負担軽減だけでなく、子どもたちの負担軽減という点もあるわけです。また、昔から運動会だけは活躍するという子どもがいる一方、運動会を嫌って休む子どももいるということを思うと、短縮型にしてもその中で教育効果をあげていくという工夫をしていくということを考える必要があるのではないかと思います。
 そもそも、一日でなくても短縮して運動会ができてしまうなら、一日かけていたのは何だったのかと、コロナ禍の時には思った方も多いはずです。コロナ禍が明けたからといって(といっても、ぽつぽつコロナは出ていますが)、元に戻す必要はないのではないかと思うわけです。

 静大の赤田准教授は教育学部の先生なので、教員養成を行っているのですが、だったら教え子たちが教員になった際に、その教員の負担軽減のためにも、短縮型で教育効果をあげる工夫を考えてくださるとありがたいのですが。

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