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まずは台詞を入れろ

 先週は静岡で稽古場めぐりだった。脚本、演出、演技指導、役者、制作としての参加。オンラインも含めると一週間で5つの稽古に出席したことになる。あ、今週はそれに加えて京都の稽古にも出席する。今月はいろいろとスケジュールを無理に組んだのもあって、なかなかにハードだな。

 ちょっと前に、「舞台に立つ者に必要不可欠なものは何か」という話題を耳にしたことがある。私はその時は聞き手だったので参加はしていなかったのだけれど、これを読んでいる演劇人の皆さんは、なんと考えるだろうか。

 聞いているときの印象としては、フィジカルな答えが多かったように思う。舞台に立つ身体、十分な発声、などなど・・・。はたしてそうだろうか。私はそうは思わない。そんなことを言ってしまえば、舞台立てる者は限定されてしまう。フィジカルが不十分でも素晴らしいパフォーマーは沢山いると私は思う。

 私が考える「舞台に立つ者に必要不可欠なもの」は、「覚悟」だ。

 舞台に立ち、お客さんに自分のパフォーマンスを見せる「覚悟」だ。まずはそれだろう。演劇にしても、漫才にしても、ダンスにしても、大道芸にしても、アイドルにしても、そう。パフォーマンスする場所が、舞台であっても、路上であっても、自宅からの配信であっても、どこであっても関係ない。表現する、見せる、観てもらうんだという強い意志と、そして、自分が必ず誰かに、どこかに、影響を与えるということに対する責任を持つことだ。

 いや、こんな難しい言葉じゃなくていい。「舞台にちゃんと立つ」。それだけでいい。大事なのは「(概念としての)舞台に、ちゃんと立つ」ことだろう。それは、ちゃんと見られるということ。見せるということ。逃げない、ごまかさない、甘えない、ちゃんと地に足つけて、そこにいるということだ。「舞台に立つ者」ならば、まずはそこをちゃんとやってほしいと私は思う。

 みなさんは、ちゃんと出来ているだろうか。

 残念ながら、立ててない役者さんはいっぱいいる。自分がどう見られているのか客観視せず、目の前の観客に対し逃げ腰で舞台に立っているのを見たことがある。幕が上がれば下りるまで、お客がそこに座っていてくれると信じて疑わない役者も沢山いる。ただセリフを口にして舞台で動いているだけで、自分が役者だと勘違いしている役者が沢山いる。

 そういう人たちのための、カラオケみたいなのがあったらいいのに。前にXでも似たポストをしている人がいた気がするな。そう、演技などの表現はセラピーになるんだ。誰がやったっていい。だから、それが楽しくてやっている人は悪じゃない。もっといろんな人に広がればいいと思うし、そのための演劇発表会みたいなのは沢山あっていいと思う。発表すらなくて良いんだ、本当にカラオケみたいなのがあればいい。

 でも、同じ舞台の上に、プロの歌手とカラオケ上手が混在していいわけないだろう。

 京都の大学でも芸濃事務所でも、こればかりは間違いないなと思ってきた。演出をするとき、演技指導するとき、私はいろんな役者に「ちゃんと立って」「ちゃんと話して」と言う。怖がられるけど、言う。それがなくては舞台に上げられないから。それが、表現者だから。

 ただ、ごめんなさい。

 今回、これだけの色んな現場を短期間で見て、思い改めた。これだけ長く持論を語っておいてなんだけれど、めちゃくちゃ思い改めた。なるほどな、そういうことじゃないな。そんな話はもっと先な気がするな。私たちに必要なのは「覚悟」とかそんな次元じゃないんだな。

 「舞台に立つ者に必要不可欠なものは何か」

 それは間違いなく、「台詞」だ。

 能書きを垂れるな。
 まずは、稽古に来る前にセリフを入れてこい。
 話はそれからだ。 

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