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五輪?なにそれ、おいしいの?

移動された祝日

「菊地さん、この木金って祝日ですけど、僕は入らなくて大丈夫ですか?」

月末までのシフトを仮組みして社内で共有したとき、日曜・祝日を中心に喫茶に入ってくれている学生スタッフから指摘を受けました。

「ん?」

どういうことだ?と手帳を開きますが、そこには平日が並んでいます。いやいや、と彼がGoogleカレンダーを示してくれて、ようやく思い出しました。そこには確かに「日本の祝日」と記されています。僕が愛用しているMUJIの手帳には此度の「祝日の移動」が印字されていないのです。ごめん、忘れてた、ありがとね。と彼に伝え、急いでシフトを修正します。

それにしても。

画面上に並んだ旗日に改めて目をやり、忌々しく思うと同時に、思わず失笑。

ほんとにやるんだなぁ。

大義なき大会

昨年3月に東京五輪の開催延期が決まり、それから1週間と経たないうちに延期先の開幕日が1年後と決まったとき、僕は烈しく憤り、その強い苛立ちと嫌悪感を、この場でも露わにしています。あのとき、あの一連の出来事が決定打となって、僕はこの国に完全に失望しました。国は、もう信じない。心に誓いました。

当時も綴りましたが、そもそも今回の東京五輪、震災の傷跡がまだ深い2013年秋に、その開催が決まったときから、僕はこの大会の大義がどこにあるのか、常に懐疑的でした。

当初かかげられた「復興五輪」というスローガンにしても「おもてなし」というフレーズにしても、その当時の被災地の生活を考慮すれば、いかに場違いな字面であったかは明白です。復興の象徴として福島で五輪を開催したい!と地元が(声をあげるはずもありませんが)切望したならまだしも、東北を復興させたことを国内外にアピールするために東京で五輪を開催する、などと主張することは、政治の独りよがりでしかなく、当事者不在も甚だしい。あのとき国には、「平和の祭典」の開催を取り付け、海外からの訪問客を歓待する支度を始めるよりも先に、東北に対して成すべきことが山ほどあったはずです。

昨春、国内がコロナ禍に陥って以降は、「復興五輪」の謳い文句が鳴りを潜め、今度は「人類がウイルスに打ち克った証」として開催する、などと云い出す始末。「五輪さえ開催できれば大義なんて何でもよい」と白状しているようなものです。

歪んだ世界

この1年、政府の愚策のオンパレードには、やはり救いようがないな、と溜息を重ねるばかりでしたが、同様に、否、それ以上に、言葉を失い唖然としたのは、IOCの態度でした。

当然のことながら、パンデミックがいまなお進行中で混迷も極まる世界の中で「4年に一度の祭典の開催国」という「あたりくじ」を引いた唯一の国家が、この日本です。一歩引いて観れば、僕ら日本国民は非常に特殊な状況に、当事者として立ち会っています。その現地ならびに現地住民に対する配慮が全く感じられない発言の数々に、僕は開いた口が塞がりませんでした。

「(東京五輪を開催するために)我々は犠牲を払わなければならない」だの「ハルマゲドンにでも見舞われない限り(東京五輪は)計画通り開催される」だの、それはあなたがた、仮に今大会がこの世界の状況下で、ドイツ開催だったとしても、カナダ開催だったとしても、同じ発言をしたのでしょうね、と僕は問いたい。「原則、無観客。ただし、IOC関係者は主催者として観戦可」など、なんべん読んでも狂っています。そういう戯言は「大会主催者は全員、くだんのウイルスのいかなるタイプにも絶対に罹患しない『人類の変異種』である」という生物学的なエビデンスを全世界に向けて論証してからにしていただきたい。

そして、狂っているのは、何もIOCに限ったことではありません。そんなIOCと日本政府の茶番を指を咥えて眺めるだけで、ただ同調を繰り返すばかりのG7だって機能不全に陥っているし、感染予防の観点から物申すべきWHOは何らその役割を果たしていない。国際機構がどれもこれも、まるで役立たずの歪んだ国際社会に、いま僕らは生きているのだという哀しい現実を、まざまざと思い知らされました。

今回の五輪騒動、日本は(日本政府ではなく、日本国民は)疑う余地なく被害者です。Googleカレンダーは「日本の祝日」と云うけれど、この混迷の中で迎える来週末、僕ら国民はいったいどんな顔をして、何を祝えばよいというのでしょうか。

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腐った鯛

云うまでもなく、僕はその開催が決まった当初から一貫して、東京五輪に反対です。いまからでも、やめたらいいと思っています。ただ、この1年間は、東京五輪がどうこうではなく、そもそも五輪そのものが、ここまで腐敗しているならば、もはや五輪それ自体を永久に廃止したほうが、この世界にとって、よほど健全で有益だ、と絶句する場面が多々ありました。

この投稿のタイトルは、下書きの時点では「くたばれ五輪」でした。いまも、本心は、このひとことです。でも、感情的で攻撃的な批判を表明することは、感情の応酬と無益な争いしか生まないことを思い出し、いけない、いけない、と、すんでのところで思い留まり、その標題は取り下げました。

代わりに掲げたタイトル「五輪?なにそれ、おいしいの?」には、長くなるので割愛しましたが、これに続く副題があります。「あら、やだ、なにこれ、腐ってるじゃない。さげてちょうだい、結構よ」。「腐っても鯛」とは云うものの、本来、腐った食べものに対して美味しく食する工夫など、する余地はありません。腐った食材は「食べるな危険」で、廃棄することが望ましい処理で、その程度のことは、我が家の5歳の娘でも承知しています。五輪はもはや、腐り切って、品位も価値も堕落し切った、ただの「腐った鯛」です。

並存する頂

と、このような極論をこの場で展開すると、まず聞こえてくるであろう声が「4年に一度の世界で最も権威ある大会を目指して、ピークを調整してきたアスリートたちのことを何だと思っているのだ」という批判です。ただ、僕はずっと不思議だったのですが、なぜ昨年、五輪を開催できない状況が自明のこととなり、その延期が決まった時点で、各競技の国際組織は、五輪に代わる、それぞれの種目にとって「最高に権威ある大会」を設定しなかったのでしょうか。その頂点を獲ることが、世界で最高の名誉となる国際大会を、競技ごとに設定する、という選択肢が、なぜ浮上してこないのでしょう。

あらゆる競技と種目にとって、世界一権威のある大会が五輪で、世界で最も名誉な称号が「五輪の金メダリスト」というデフォルトは、僕からすると、どうにも不自然です。その点、フットボールにおけるワールドカップは先進的な事例と云えるでしょう。ほかの競技においても、将来世代のジュニアやユースのアスリートたちが、夢みて憧れる世界最高峰の舞台が、五輪ではない別のところに移行している未来を、願ってやみません。それぞれの競技ごとに目指すピークが別々に並存するスポーツ界に、何の不思議がありましょう。

侵された聖域

次のエピソード、「月とスッポン」であることは百も承知のうえですが、僕自身、中高6年間は、学校の部活動で懸命に(と表現しても決して大袈裟でなかったと胸を張れるほど真剣に)陸上競技に取り組んでいました。中学3年の夏に静岡の県大会(800m走)で優勝したのが最高成績、という無名の選手でしたが、勝敗にこだわり、タイトルと記録に挑む、アスリート精神の本質的な部分は、身をもって知っているつもりです。

その視点で云えば、今回、政治と世論の板挟みにあって、胸のつかえる境遇に追い込まれ、不本意な心労に悩まされ、誰よりも災難だったのは、明らかに現役アスリートたちです。この間、「誰のためのオリンピックか」という議論が盛んに為されていましたが、考えるまでもなく「選手たちのための大会」です。

大会運営組織は、一人ひとりの選手がそのパフォーマンスを最大限に発揮できるよう、事前および当日の環境を整えることこそが最たる使命のはず。その本来の役割を置き去りにしておきながら、誰もがカオスだと認める社会環境の中で、選手たちにベストパフォーマンスを強いる言動は、もはや暴力です。

フェアプレーが大原則のスポーツを通じて、国際社会の公平や平和を表現する。近代オリンピックの創設理念は大いに結構ですが、そうであるならば尚のこと、その競技場は、政治やビジネスの意図が介入することなど許されない、アスリートたちの聖域であって然るべきです。

別解を捜す途上

さて、このあたりまで論ずると、きっと「大人の事情」に詳しいみなさんが「菊地くん、気持ちはわかるけれど、そこには『大人の事情』がいろいろあるから」とか「菊地くんには想像できないような大きなお金が動いているから」とか、宥め諭してくださると予想するのですが、そうした慰めや窘めも、ごめんなさい、結構です。僕はそうした「大人の事情」や「政治の都合」や「舞台裏の真相」が知りたいわけでも、この歪んだ世界の「正解」や「正論」を訊きたいわけでもないからです。

この投稿は、タイトルのとおり、そのような現実社会の理不尽を尻目に、僕は僕の「別解」を捜し続けていくよ、という変わらぬスタンスの表明にすぎません。

もちろん、国際関係学士が最終学歴の社会人として、いまこの時代に生きる僕らは、あらゆる事象を、まず地球というスケールで捉えた上で、それぞれの対象に適した規模の社会のなかで捉え直し、その課題に対する思考、判断、行動を選択しなくてはならない、という「基本」は心得ています。

現に存在する理不尽な出来事や状況に対して、決して盲目的になるのでなく、むしろ積極的にその事実を認識するよう努める。そのうえで、真っ向から挑むのではなく(いや、もちろん必要な場面では真っ向から勝負しますが)、それらを視界の片隅で正確に捉え続けつつ、素知らぬ顔で、どこ吹く風で、それとは別の道を捜し、拓き、進んでいく。これが、現実社会の理不尽をいなしながら、あたらしい時代の扉にたどり着くための、僕なりのアプローチです。

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あたらしい世界へ

その実践を繰り返し、試行錯誤を重ねるフィールドとして、偶然にも流れ着いたこの松本平は、最適なサイズとバランスで広がっている(と同時に、適度に閉ざされてる)、と感じています。だからこそ、このエリアであれば、あたらしい時代の要素ひとつと僕が考える「親密で持続可能な地域経済」が実現できる、と信じているし、そのために成すべきことに対しては、常に僕の最善を尽くす覚悟で居ます。

五輪?なにそれ、おいしいの?あら、やだ、なにそれ、腐ってるじゃない。さげてちょうだい、結構よ。やることならほかに、幾らでもあるの。

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