【hint.106】、を次の時代に持っていこう

今日で平成が終わりますね。

つい先日も、僕自身がこのnoteでの投稿をはじめて一年が経ったということで、それをきっかけにいくつか記事を書いたのですね。

身の回りで起こることには、かなり些細なことでもけっこう反応してしまうという癖が僕にはある。
これはHSPやHSSという概念でも説明ができると思うのだけど、僕自身がそんな風に反応することが好きか嫌いかは別として、けっこうどんな刺激や変化にも、無意識で反応をしてしまうという癖があるんですね。
今では、その自分の特性を以前よりは理解をし、僕自身も、そして僕の周囲の人としても、生きやすくなってきていると感じている。ただやっぱり、一度、意識を介さずに反応してから、あらためて思考を使ってそこからの選択をしているようなところも全くゼロではないから、「無意識の反応の多さ」にそのまま身を委ねていても疲れるし、「意識的に反応を抑える」方を選んだとしてもやっぱり、『意識的→無意識』へと徐々に薄まってくるまではなかなか大変でぐったりとしてしまうのだよね。

そのうちの一つ、上の記事の中で、こんなふうに僕は書いた。

そして、今日は「平成最後の日」。

この僕がまったく反応しないわけがない。笑

きっとたくさんの方が、今日という日を大切に過ごしたいと考えているんだろう。

これまでの約30年間を振り返って、あぁだった、こうだったと誰かと話をしてみたり、一人で想いを馳せたりするんじゃないだろうか。

僕自身も、人生の大部分を『平成』で過ごしてきた。

いまの僕にとっては、『平成』について考えるというのは、もうほとんど、僕のこれまでの人生について考える、というのとおんなじなんだなぁ。なるほど。

「これは自分が好きでやっていることなんだ!」

いま振り返っても、その感覚おんなじだよ!と、当時こう感じていた自分を頼もしく感じる瞬間もたくさんある。おかげさま。


ただ、同時に、「これは自分が好きでやっていることなんだ!」と、どこか自分自身を鼓舞するためにそう考えていたかもしれない・・・と、当時のリキんでいた自分を可愛らしく感じる瞬間もたくさんある。頑張ったね。みんなありがとう。ごめんね。

こうやって『平成』について考える、これまでの僕自身の人生について考えてみる、ということをやってみた時に、自分自身の内的な変化が真っ先に挙がるというのは、やっぱりなかなか幸せなことなんだろうなって思う。

自分以外のなにかに振り回されることが大きかった(と今の僕が感じてしまっている)のであれば、やっぱりそうはいかないだろうから。

もちろん、「生活基盤を下支えしてくれている社会や、ごく身の回りの環境などの変化については、どんなことを思い出しますか?」と聞かれれば、きっと、めっちゃたくさんのことが出てくるんだよね。

そうだなぁ、今日は一日、この質問を時々思い出しながら過ごしてみることにしようかな。

そして、ありがとう、これからもよろしく、を次の時代に持っていこう。

今日のみなさんにも、たくさんの元気になる瞬間がありますように。

『平成』もお世話になりました。

『令和』もどうぞよろしくお願い致します。

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