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余寒の京都旅「平野神社」二.手水舎と境内社


ならばどうすればいいのだ

大河ドラマ"光る君へ"第12話観ました。直秀が殺されるような悲しいこの世を変えてほしいけれど妾にはなりたくない。まひろの想いに道長はこう答えましたが私はそこまで重要な台詞だとは思っていませんでした。のちに権力者となった道長はまひろへアンサーを示すことになります。藤原彰子の教育係に任命されたまひろの心情はドラマで一体どのように表現されるのでしょうか。

次回予告では定子を演じる高畑充希が十代にしか見えないと話題になったそうですね。視聴率は10%前後を保っていますが時代背景を考慮すると致し方ないのかなぁって。

そんなこんなで旅の続きにそろそろ参りたいと思います。


寺社仏閣の出入口を隈なくチェックしたい私。

一旦境内の外に出ます。


東にある大きな道、こちらが平野神社の表参道になります。

西大路通側よりも参拝者が多かったのはもちろん表参道だからではありますが、北野天満宮や上七軒観光ついでの方々がほとんどなのでしょうね。外国人観光客もたくさんいらっしゃいました。桜の名所であり格式の高い神社ということで海外の観光ガイドブックに載っているのでしょう。


境内図に"開運桜湯"と書かれたこちらの建物は茶店だそうです。桜の時期に開くみたいですが、現在も開運桜湯が振る舞われているかは不明でした。


面白いものを発見。

観光デジタルディスプレイの側面になんと身長計が書かれていました。七五三参りで子どもの成長を図るためなんでしょうね。親子共々いい思い出になりそうな撮影スポットです。


こちらは手水舎になります。


境内の水ってなんか神聖な感じがするんですよね。見るだけでも心が洗われます。


境内末社の一つ、出世導引稲荷神社になります。

境内社って見向きもされないことが多いのですが、稲荷神社はどこも人気で行列が出来ていました。近年Z世代を中心に責任を持ちたくないからと出世を拒否する人が増えているそうです。気持ちわかります。でも自分の裁量で組織や社会を動かすってそんなに悪いものではありませんよ。人生長いようで短いですから自分の殻を破って道を切り開くのってアリだと思っています。


"べべ"を着ているお地蔵さん。

おそらく戦後以降に奉納されたものでしょう。格式高い神社は特に明治時代の神仏分離を厳格に守っていたでしょうからね。


こちらはもう一つの境内末社、猿田彦神社になります。

お伊勢参りの際に近くまで立ち寄ったのですが足が限界近くで結局お参りできずずっと心残りになっている場所の一つです。猿田彦神社はまさに道を切り開く神様なので、もう一度お伊勢参りをする機会が巡ってきたなら必ず御参りしたいと思っています。


ん?なにこれ?

社務所と出世導引稲荷神社のちょうど間くらいに謎の建物がありました。Googleストリートビューや衛星写真で確認したところ、桜の木があったところに新しく建てられたものだと判明しました。

推測ですが、桜の時期に席を設けてお花見を鑑賞する場所を作ったのだと思われます。正しい情報が入ってきたら追記しますね。


鎮座千二百年記念碑です。

平野神社の創建年は平安京遷都794年から延暦年間806年までの間だと推定されています。公式サイトを覗いてみると794年と記載されているのでおそらく1994年に建立されたのでしょう。

寺院に比べて神社の石碑が簡素なのは信仰対象が神様であるか宗祖であるかの違いなのでしょうか。石を御神体とする神様との差別化を図る目的で、記念碑は簡素にしているのかもしれませんね。


みくじかけにぎっしりと御神籤がかけられていました。平野神社では"桜みくじ"と"りすのおつげ"が大人気となっています。


東神門で今回の締めに致します。次回も境内を歩いていきます。



今回の参拝スポット


追記

note公式マガジンに記事が掲載されました。ありがとうございます。


『テレビドラマ感想文』応募作品の中で、スキの週間一位を獲得しました。皆様ありがとうございます。感謝!!

2024/04/01


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