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ゲームはなりきり願望を叶えてくれる唯一のメディア

前回の自己紹介noteで映画を観るのはニガテだということを書きました。

https://note.com/yamadaction/n/n6d246cf5e727

しかしゲームは好きです。

なぜゲームが好きかというと、ゲームは体験するメディアだからです。

個人差はあるかと思いますが、人間には何かしらに変身したい、なりきりたいという願望があるかと思います。

例えばお化粧なんかもそうだと思いますし、SNSで自撮り写真を加工してアップするというのも変身願望の一種なのではないかと思っています。

ゲームはそんな人間の願望を手軽に、そして時に重厚に叶えてくれる唯一のメディアだと個人的に思っています。

特に最近のゲームの進化は、ファミコン世代のチープな(しかしある種魅力的な)グラフィックからは想像もできなかったようなリアルな描写を実現させています。

それは舞台装置としての世界に没入させる、極めて重要な進化です。

ゲームとヒトコトでいってもたくさんありますが、僕が最も好きなゲームが、「その世界のヒーローになりきれる、ごっこ遊びができるゲーム」です。

幼稚園や保育園の頃まで自分の思い出をさかのぼってみますと、よく友達とウルトラマンごっこやドラゴンボールごっこなんかを多くやっていたものです。

大人になるにつれ、そういった遊びをすることも無くなりました。

当然です。白い目で見られます。

しかしなんやかんや、みんな変身欲求は心の中に隠し持っているのです。(そうでなければ自分ではない別の誰かを演じる俳優という職業はこの世に存在しないでしょう)

そしてつい最近、そんな自分の変身欲求を叶えてくれるゲームが発売されました。

それがコチラ

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「ゴーストオブツシマ」というゲームです。


このゲームはヒトコトでいうと「サムライになりきれるゲーム」です。

ストーリーのあらすじは以下の通り

文永(十三世紀後半)、モンゴル帝国(大元)は東方世界の征服をもくろみ、立ちふさがるすべての国を蹂躙していた。
東の果て、日本に侵攻すべく編成された元軍の大船団を率いるのは、冷酷にして狡猾な智将、コトゥン・ハーン。ハーンは、侵攻の足掛かりとして対馬に上陸する。
これを防ぐべく集結した対馬の武士団は、初めて見る元軍の兵略によって初戦で壊滅。島はたちまち侵略の炎に包まれる。
だが、かろうじて生き延びた一人の武士がいた。
境井 仁(さかい じん)。
仁は、境井家の最後の生き残りとして、たとえ侍の道に反した戦い方に手を染めることになっても対馬の民を守ろうと決意する。
冥府から蘇った者「冥人(くろうど)」として、あらゆる手段を使って故郷を敵の手から取り戻すのだ。
出典:GHOST of TSUSHIMA公式サイト

元寇という史実に基づいた出来事をモチーフに、占領された対馬を舞台に、蒙古軍という強大な敵に挑む一人のサムライとなってゲームをプレイします。

この時点でワクワクが止まらない僕ですが、和の世界観の完成度もそれを後押しします。

これは時代劇風のPVですが、このゲームをプレイした僕が観る限り、全て実際のゲームからの映像です。

これを動かせるわけなんですよ、ヤバくないですか?

こういったサムライとか昔の日本を舞台としたゲームが僕はすごく好きで、

2019年に発売されその年のゲーム・オブ・ザ・イヤーとなった「SEKIRO」というゲームもプレイしました。

SEKIROも非常に面白いゲームであったのですが、僕が心の底から待ち望んでいたのは「"オープンワールド""和風""サムライ"になれるゲーム」でした。

オープンワールドとは?
オープンワールド(Open World)とは、英語におけるコンピュータゲーム用語で、舞台となる仮想世界を自由に動き回って探索・攻略できるように設計されたレベルデザインを指す言葉である。
引用:Wikipedia

オープンワールドのゲームといえば、いくつか有名なものがありますが、実はこれまでこうした和の世界観のオープンワールドのゲームはありませんでした。

そこに現れたのがこの「ゴーストオブツシマ」

当然発売日に即購入し、プレイしてみたわけなんですが、とにかく完成度の高さがヤバかった。

次回のnoteでは何がどうヤバかったのか?

そこについて書いていきたいと思います。

先にヒトコトだけ申し上げるなら、ゲームにおける体験デザインの構造が綿密に組み立てられた高い完成度のゲームだということです。

それではまた次回。


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