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そういえば、

そういえば、最近バレーボールのジャンプサーブが上手くなった。中学生の時は2、3回チャレンジして「あ、これ自分にはできないや」と踏んでアンダーで無難にゲームを始めることを選んだ。サーブをミスして仲間がくれるあの渇いたドンマイと流れる微妙な空気を感じずに済むなら、チャレンジなんかせずにアンダーで確実に入れることを選ぶ生徒だった。一度興味本位でボレーキックでサーブをしたらアウトになるは、怒られて授業に参加させてもらえないはで踏んだり蹴ったり(ボレーキックをしたという意味でも)だったのでそれ以降は余計にジャンプサーブに挑戦した記憶はない。

''失敗する姿を見せるのはダサい''、は僕の思春期の最大の痛さであり、多感な時期に形成された歪んた価値観は矯正するのにとても時間が掛かった。この仕事に就いて失敗からの学びの有用性を子どもに説くまでは、治らなかった病である。もし中学生のあの日、もう少しジャンプサーブの練習をしていたら、もしかしたらサッカー選手にだってなれたかもしれない。なれないにしてももう少しサッカーは上手くなっていたはずだ。

もうすぐ28歳を終える今、僕は多分自分の人生で一番色んなことができる。体育の先生として恥ずかしくないぐらいにはスポーツはできるし、先生をしていると隠さずに言えるぐらいにはこの仕事のことがわかってきたつもりでいる。まだ偉そうなことは言えないけれど。

それでもこの仕事を志した時、そういえば僕にはできないことがたくさんあった。ハードル走やダンスは経験がなく、マット運動だってハンドスプリングひとつできなかったのに、それを当たり前のように教えることを求められてきた。体育の先生はいわゆる''運動神経が良い''と思われているけれど、僕は実は初めからそちら側の人間だったわけではない。体育大学のバリバリのアスリート出身ではない自分は、彼らが''センス''で片付けてきたそれを夜20時からの教材研究という名の自主練と試行錯誤の何十冊のノートで追いついてきた。はじまりはどうしてかいつもマイナスからのスタートだから。

僕はこの何をやってもマイナスからのスタートを覆して生きてきたわけだけど、おもしろいものでその生き方をした人間はもれなく''教える''という仕事に向いていると思うのである。彼らが先天的なセンスみたいなやつですぐに手にしたあれを、僕はずっと時間をかけて思考して手にしてきた。だから子ども達が抱える課題をもれなく通ってきているという点で僕はこの仕事に向いている。「あ、それね。それはさ…」と伝えることができる。

そういえば、と話ができる時はたいていその時に悩んでいたことの痛みの芯みたいなものは残っていない。あるのは、変なフォームでネットを超えなかった笑い話のみである。

今日も子ども達はiPadに映る自分の失敗を楽しそうに見つめて、そういえば、に向かっていた。

みんなバレー上手くなっていくの嬉しい。




そういえば、















ガッキーの結婚はもう辛くなくなった。

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