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2020

何か特別なnoteを書く時にはいつだってその書き出しを悩む。もしここでしくじれば、どのnoteよりも読んでもらいたいnoteの、届いてもらいたいところまで読んでもらえない可能性があるからだ。

ここまで書くのに10分。10秒で読めるそれを選ぶために何度も何度も言葉を選んでは消して、読み直してはそのリズムの気持ち悪さから消して、一番心地良いものを残していくスタイルで文を書いてきた。そのリズムの心地良さをいつか説明できるようになりたいとは思いつつ、やはり語るに難しい僕の中の基準みたいなものがあって、それがどうやら今年も1年自分の書く文を読んでもらうことができた理由になるかもしれない。

まずは今年も1年間、僕がボタンを押した時には「稚拙な文章」だったものをそれぞれの解釈を加えて「素敵な文章」として心の中に残してくれた皆さんへの感謝の言葉を2020年最後の記事の始まりとしたい。

2020

もうあと数時間で終わる今年を振り返った時に大晦日補正アプリで加工するのなら「今年も良い年だった」になるだろう。おそらくだけど、その時々の悔しさや苦しさを大晦日までその鮮度を保っていられるほど人間はよくできていなくて、大体は今日''綺麗に''なってしまう。だから穏やかに次の年を迎えることができるのだろうけれど。

今手元には今年の日記がある。社会人になってから6年間毎日書いているこれは、noteやTwitterと違って誰かの興味を引くための文のお洒落や少々の誇張もなく、少し先の自分だけが読むためのありのままを残したものである。その1冊にタイトルをつけるのであれば「報われないを嘆いた日々」か。

報われないを嘆いた日々

10月ぐらいだろうか「30で人生終わっても良いや」とこぼして両親含め色んな人を心配させてしまったことがある。色んなことをやり遂げたからもういいやという満足でもなく、同情を買って気を引きたかったからということでもなく、何をやっても自分ばかりが報われないと感じてしまう人生を本気で面白くないと拗ねたのだ。

担当として毎日遅くまで残業して作っていた行事は誰の目にも触れることなく中止が決まった。そこにいるはずだった自分といない自分、99%こうなるであろうと決め込んだ人事は1%の予想もしなかった未来に変わった。子ども達に会えない数ヶ月はやりがいなんて言葉をどこかに忘れるほど長く、東京オリンピックの年に隣にいる約束をしたはずの人はいなくなった。結婚式の後にもらう幸せの反動はバウムクーヘンよりも重い。もう何年も連絡のない親友への連絡、既読だけをここまで欲したことはない。真剣に打ち込めば打ち込むほど結果の出ない難しさを知ったサッカーと「大失敗だね」と現実を見たライセンス講習会と、、、今年を終える前になんとかこれらを少しずつ納得しようとしかけた11月に追い討ちをかけるようにちょっと厄介な病気となってキャパオーバー…「あと2年ぐらいでいいかな」と本気で思ったのだ。

「なんで俺ばっかり…」と思う。ダサいなーとは思っていたけれど、自分を憐れむことでしか生きられなかったのかもしれない。

これまでの人生の1番から5番までの辛い出来事を一挙に書き換えた今年は同情を買うには十分なエピソードを揃えていて、上司に怒られたぐらいで世を拗ねる人には、少し元気をあげられるぐらいの「俺なんて…」を用意している。

今年大切な人を失った人もいる。自分の不幸自慢なんてとても同じ土俵に立てないぐらいの辛い思いをしている人がいる。それはわかるし、僕は大切な人が生きている、それだけで幸せなのもわかる。わかる。でもどこかの国の大洪水と比べたらお前は幸せだじゃなくて、自分の上にあるこの大雨がちょっと耐えられないから傘が欲しいという話なのだ。

うむ、、、強いな2020。


もしもこの話のスピンオフを書くのなら

さて、年の瀬にこんなネガティブじゃ2020年は2度と思い出したくない年になってしまいそうだから、ここはやはり大晦日補正アプリでスピンオフを書いてみることにする。ガキ使、紅白に集中したいところをもう少しだけお付き合いいただきたい。

いきなりだけど、今年読んだこの本はとても良かったからみんなに読んで欲しい。

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あらすじは割愛。自己啓発本がどうもむず痒い僕が毎日リュックに入れて何度も何度も読み返した生き方の本である。

その中から僕の目の前に映るおもんない人生の見方をガラッと変えてくれた言葉を紹介したい。

起こった直後は『最悪』と思っても、時間が経って考えてみると『むしろよかったんじゃないか』って思えることばかりですからね、人生なんて。だから、最初から『むしろよかったんじゃないか』って思うと、結構いろんなことが楽しめるもんですよ。

今年僕が正面を見て「最悪」だと感じた部分を「むしろよかった」という違う面から見ることができるようにしてくれた魔法の本なのだ。

行事がなくなったあれは、お披露目こそできなかったものの自分の手でダンスを作り、漫才のネタを書き、舞台の台本を書き、教員は何にでもなれるんだとその仕事のおもしろさを感じた。

新しい子ども達との出逢いは、これまで自分が積み重ねてきたものに頼ることなく新しいやり方を模索することができた。

休業によってできた時間はたくさんの出逢いをくれた。今僕を支えてくれている人の多くは今年初めて知り合った人だ。

サッカーにおける失敗のすべては、自分の中に基準を作ってくれた。そうかここを見る必要があるのか、このトレーニングはこの人数、サイズだとこんな現象が出るのか、この伝え方ではダメなのかという具合だ。

厄介な病気は、働き方を本気で変えていかなければいけないことを教えてくれた。

既読を欲した彼には想いが通じて会うことができた。涙が出そうだった。

あの時のあれは、、、

全部、むしろよかったんだよ。そこに理由があるかどうかはわからないけれど、そうなるようにできてるんだから。あれで。

もしもこの話のエピローグを書くのなら

3年前「よう決勝残ったな」とまで酷評され最下位の烙印を押された漫才コンビは、人々から笑いの消えた2020年「嫌なことがあったまま終われないっしょ」力強くそう放って決勝の舞台に立ち、多くの笑いを日本中に届けて優勝した。その戦い方は「正当ではない」という批判を受けながらも、多くの国民がブレずに戦った彼らの姿を見て勇気をもらい、それぞれが世界中で元気の出なかった2020年を笑顔で終わらせようとしている。

彼らは変わらずに自分達の信じた道を進むことで実力をつけてきた。ある漫才師は言う。「結局最後に残るのは実力のあるやつですから」ラッキーパンチなんかじゃない、彼らには実力があった。貫くことで力をつけ、世間がそれに追い付き評価をし始めた、ただそれだけの話だ。

僕には自信がない。自分に自信がない生き方をしている。誰かのヘソを曲げるぐらいなら自分を曲げる、「良くない?」と聞かれれば「良い」という一択しか今日は持ってきていない生き方をしている。「自分を殺す」という表現が言い得て妙な生き方をしているのだ。どうやらその生き方は呼吸をし辛いことに気づくと僕は自分の時間がたくさんあった今年色んな呼吸器となる本を手に取っては読みふけり、総じて「人の評価なんか気にするな」「生きたいように生きろ」に違和感を感じて静かに外したのだ。

28年生きてきて最近ようやくわかったことがある。結局「自信は認められることでしかついてこない」これはもう間違いないっぽい。あんまりとらわれたくはないけれど、人からの評価はやっぱり大切らしい。僕の場合今年初めて知ったことがあって、どうやら自分は人より少しだけ文を書く力があるっぽいのだ。でもその評価を受けなければ、自分で気づくことなんてなかったんだと思う。

人の評価は本当の自分の力を教えてくれると知れば、やはり人からどう思うかをある程度気にして生きる必要があるっぽいのだ。人が凄いって言ってくれているのなら、おそらく凄いのだと信じた方が良い。人に映る自分がやっぱり本当の自分なのだから。

ここを気にしないということは、人に映る自分の姿を否定することでもある。評価とは良くも悪くも自分の現在地を知ることだが、君のここがダメだという評価をされているのに「俺は周りの声なんか耳を貸さねぇ」と頑固に生きるとおそらくあの漫才師が言った世間に認められる実力はついてはこない。

でも人から認められることってやっぱり難しい。僕はこのnoteを若い人達に読んで欲しくて書いているんだけれど、若いうち特に学生の内は部活やテストなど戦う土俵がどうしても同じ学校の中になってしまうから、人との比較の中でしか自分の立ち位置を決められないのだ。でも本に書いてあったことの中で唯一どの本にも書いてあっていいなと思ったのは「比べるのは過去の自分」という生き方なのだ。何かを始めた時、人から認められまでには凄く時間がかかる。でもそんな不遇の時でも、自分だけは昨日より少し先に進んだ自分を認めてあげられるでしょう?そんなどんな本にも書いてある、「浅い」と揶揄されそうなむず痒い考え方が僕には深く響いてしまったのだ。

少しずつできることが増えてくると、実力がついてくる。自分を認めて実力がついてくると、今度は周りが認めてくれ始める。それはどうやら間違いないっぽい。この何もない僕がそうだったから。

僕は今年そう信じて、足りないものを埋めては少し進んだ自分を認めて生きてきた。たくさん発信した分、たくさん褒められて、たくさん叩かれた。それでも何千とフォローしてくれる人が生まれたことは「自信を持って生きていいんやで」と背中を押してくれたんだと思う。

いくつかライターとしてのオファーをもらったり、新聞が取り上げたくれたり。影響力がある人が読んでくれたことは誇らしさ以外の何者でもない。

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報われない日々を嘆いた今年、僕は嘆きながらも前を向き少しだけ、ほんの少しだけ胸を張って生きれるようになった。1年て人が変わるには十分すぎる時間だということ、そういう大事なことはもっと早く教えておいて欲しい。



























今年はみんなよく頑張った。すげー頑張った。お疲れ様でした。もう少し続きそうだけど強い気持ちで。乾杯🍻


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