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制服のベストが短かったから

高校時代に「今日はカバンの中身の抜き打ちチェックをします」と言われると「めんどくさいなー、何でそんなことするんだろう」と思いながらカバンの中が整理ができていないことを心配していた記憶があります。

私が今「あなたは校則を守るタイプ、それとも守らないタイプ」と聞かれたら、即座に「守るタイプ」と答えます。

前髪の長さやスカートの長さ、靴下の色や履き方などで先生から注意を受けたことがありません。生徒手帳に書かれていることを真面目に守るタイプでした。

私は、規制された枠の中で、がちんがちんに固まったあまり面白くない、ごくごく普通の生徒でした。


「ルールを守る」それが集団生活の中ではとても重要な事だと分かっています。

例えば日常生活のごみの分別のように。決められた日に決められた場所に、きちんと分別して出す。そうしないと周辺の美しさが損なわれ、家の中も街もきれいになりません。

そう言う社会的なルールと学校の校則とはどこか似ていてどこか違うと思うのです。

校則が守れないなら社会のルールだって守れないでしょう、真摯な秩序を子どもの頃から育てるために必要なのが校則です」と言われればその通りだと思います。

しかしそのルールをもう少し柔軟にしてはどうだろうとも思っています。

私には子どもがいないので校則に関しては自分自身の経験でしか測るものがありませんが、厳しくしすぎると子どもたちの自由度が失われてしまうのではと考えています。

ならばどうするのがいいのか、それは学校側と生徒が考えを述べあう機会があって、そこで決定するのがいいのではと思います

時代と共に社会が許容する範囲もまた子どもたちの考え方も変わってきているからです。変化に富んだこの時代にはそうしたことが必要だと思います。

私の甥っ子が中学受験の時にどの中学に入るかかなり悩んでいた時がありました。偏差値の問題ももちろんありますが、校則にとらわれない学校に心動かされていたようです。

その学校の生徒たちは髪の色もファッションにも自由な空気が漂っていました。

私は66歳です。この年になって思うのですが自分自身の感性は間違いなくファッションや身づくろいに表れてくると思います個性を大切にするのならば、かなり自由度が高い校則にしていた方がそれぞれの感性も磨かれるのではないでしょうか。

私たちの頃の制服は、「貧富の差が感じられないように、貧しい家の子どもであっても洋服のことで卑屈にならないように」と言う大人たちのやさしい思いがあったと思います。

それぞれの感性を大切にして、個性を重んじる時代に校則で目くじらを立てなくてもと私は思うのてす。


私は制服に関して苦い思い出があります。

近所に3つ年上のお姉さんがいて、制服のベストをお下がりでいただきました。「中学の制服のベストがあるんじゃけど、ほとんど着ていないので使ってや」と言って持ってきてくれたのです。

私はいただいたベストが新しく、もったいないので自分用のベストを買わないでそのお下がりを着て登校しました。

お姉さんは小柄だったので、私がそのベストを着ると短く、スカートの長さが強調されました。ベストの短さで足長効果があって、見た目にはとってもお洒落でした

無頓着な私は何も考えずに数日間着用し登校していました。

するとそのお姉さんが私を呼んで「不良グループが、目を付けとるみたい皆と違うベストを着ているのが気に入らんのじゃと、明日呼び出すって言よるらしい」そう告げられて私は恐ろしくなりました。

いたって真面目に生活しているタイプなのに、不良グループから呼び出しを受けるなんてとんでもない。私は早速母にお願いをして、新しくベストを買ってもらい事なきを得たのです。

あの時、呼び出しを受けて何か言われたり、何かをされていたら私の人生は変わっていたかもしれません。そのくらい制服は影響力があるものなのです。

学校の校則も然りです。私は今の時代、生徒たちの自由裁量が大きくてもいいのではと思います。これは私の個人的な考え方です。

ルールはあるべきだと思いますが、がちがちのルールではなく、許される範囲に少し緩めがいいと思うのです。その許される領域を学校と生徒で話し合う機会があればいいのではないでしょうか。


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