アラート
2019.6.28 やまどり
「おばあちゃん、これ。よかったらつかってよ。」「なんだい?」「目覚まし時計だよ。起きたい時間に合わせて、スイッチを押せばその時間に鳴るよ。」「おや、そんなものがあるのかい?おどろいたねえ。」「使い方がわからなかったら何でも聞いてよ。」「なんだかむずかしそうだねえ。」
老婆はその夜、早速その目覚まし時計を使ってみることにした。
(起きたい時間に合わせるって、言っていたねえ…)
時計の後ろにネジがある、これを回せばいい、長年の経験から大体の見当はつく。新しい道具は使って覚える。
(ところで…、今は何時かね…)
老婆はふと壁にかけている時計を見る、時計の短い針が8の周辺を指している。
(なるほど、8時だね…そしたら、…)
老婆はネジを回す。今日はゆっくり眠りたい、でも遅くなりすぎるとテニスの支度が遅れてしまうかもしれない。そういえば、病院に行く予定もあった。
(むずかしいねえ…、)
何時に起きようか、…考えていたら老婆は眠くなってしまった。
(今日はこれくらいにして、つづきは明日起きたら考えようかね…、)
老婆は目覚まし時計を置いて、床についた。
翌朝、電話が鳴る。
「おばあちゃん、目覚まし時計使えた?」「やっぱり、なんだかむずかしいねえ。」「どういうところがむずかしいの?」「時間を合わせるのが、むずかしいねえ。」「おばあちゃん、後ろのネジを回せばいいんだよ。」「ネジがあるのはわかったんだけどねえ。」
老婆はその夜、続きを始めた。
(今日起きた時間と同じくらいに、合わせたらいいかね…、)
老婆はふと壁にかけてある時計を見る、今日は何時ごろに起きただろうか。少し早かったような、遅かったような、テニスの支度をして、病院に行ったけれども…。
(むずかしいねえ…、)
何時ごろに起きたか、…思い出していたら老婆は眠くなってしまった。
(明日は起きた時間をおぼえておこうかね…、)
老婆は目覚まし時計を置いて、床についた。
翌日の昼頃、電話がなった。
「お母さん?うちの子がお母さんに目覚まし時計あげたんだって言ってて。ごめんなさいね。まさかお母さんにあげたいって知らなかったの。」「いいえ、いつもすまないねえ。」「そんな、お母さんが預かってくれるおかげで本当に助かってるの。いい子にしてる?」「いい子にしてるねえ。」
老婆はその夜、続きを始めた。
(今日は起きた時間に印をつけたからね…、)
老婆は壁にかけてある時計を見る。起きた時間にテープが貼ってある。
(そう、この時間だったね。)
老婆は、ネジを回して、印の時間に合わせる。
(これで、明日はこの時間に起きられるんだね。)
老婆は、やった。と思った。新しい道具を使えるとうれしい。初めて何かができるとうれしい。
(明日が楽しみだねえ。)
老婆は目覚まし時計を置いて、床についた。
翌朝、老婆は目が覚めた。やった。と、思って壁にかけてある時計を見た。
(…おかしいねえ。)
壁にかけてある時計の針は、自分が合わせた時間より前の時間を指していた。
(…なにか、ちがっていたのかねえ。)
朝の支度が終わったあとで、孫に電話をかけてみた。
「おばあちゃん。なにか困ったことがあったの?」「起きたい時間に起きられなくてねえ。」「おばあちゃん。スイッチは押した?」「スイッチは押したねえ。」
ピピピピッ、と目覚まし時計が鳴った。昨日の夜、老婆が合わせた時間になったのだ。
「ほら、おばあちゃん。ちゃんと鳴ってるよ。使えてるよ。」「そうなのかい?」「そうだよ。合わせた時間に鳴ったでしょ?」「なるほどねえ。」
老婆はその夜、続きをしようと思ったが、少し困ってしまった。
(起きたい時間に起きるって、なかなかむずかしいねえ…、)
少し考えていると眠くなってしまった。…けど、もう少し考えてみる。
(できれば、合わせた時間に起きたいねえ。)
老婆は、壁にかけてある時計を見て、自分が起きられそうな時間を考えた。
(これくらいの時間なら、起きられるかねえ。)
時間を合わせて、老婆は床についた。
翌朝、ピピピピピッ、と目覚まし時計が鳴った。老婆はしばらくして、目を覚ました。
(おや、少しだけ遅くなってしまったねえ…。)
老婆は少し残念な気持ちになった。
(むずかしいねえ。)
テニスのクラブで休憩をしている時に、よく話をしている人に相談をしてみた。
「それは、高橋さん。気にしなくていいんですよ。だって、起きられればいいんでしょう?」「そうなのかい?」「そうですよ。起きることができない時に、音があれば目が覚めるでしょう?あれはそういう道具なんですよ。鳴る前に起きたなら、それでいいじゃないですか。」「おや、そういうことだったのかい。」
老婆は、はっと思い、これまで起きていたことがつながったような気持ちになった。今日は新しい道具を使えるような気がした。
その夜、老婆はその新しい道具を手に取った。
(起きた時間に、合わせればいいんだね。)
老婆は安心して、目覚まし時計を置いて、床についた。
翌朝、老婆はめずらしく、すっかり遅くなってから目が覚めた。久しぶりに古い友達と会う約束をしていたことも忘れていた。
(あやまらないとねえ。)
老婆は、失敗したと思った。
(でも、まずは時間を合わせないとねえ。)
老婆は壁にかけてある時計を見て、ネジを回して、同じ時間に針を合わせた。ピピピピッ、と音が鳴った。よし。
(これで大丈夫だね。)
電話が鳴った。
「おばあちゃん。大丈夫?」「ありがとうねえ。すっかり使えるようになったねえ。」「そっか。よかった。起きたい時間に起きられてる?」「そうだねえ。起きたい時間に起きているねえ。」「よかった。おばあちゃん、またわからないことがあったら聞いてね。」
その夜、老婆はすっかり慣れた様子で、時計を置いて床についた。
(明日は何時に起きるかねえ。)
これまでは、なんとなく眠って、起きていた。でも今は、眠る前に、起きたときに、楽しみができた。
(今は便利なものがあるんだねえ。)
老婆は幸せそうに、眠りについた。
おお、お慈悲を…お恵みを…お立ち寄りの貴方…どうかこの私に…一滴の潤いを…