第7回 メカとわたし (2007年9月)

 ぼくは元来、メカ系にはめっぽう弱い完全な文系人間です。パソコンはもちろん、時にはエアコンや電子レンジですら上手に扱えない。エレキギターを10年以上演奏していますが、「なんで音が出るの?」って聞かれたらうまく説明する自信はありません。
 ある時、ぼくは携帯電話を新しく買い換えました。使いこなせるかどうかは別問題として当時の最新機種。軽く友人に自慢をしておりますと友人、携帯を手に取り「お~!軽い!」とその軽さに好リアクション。さてさて、それに対してのぼくの発言が、以後数年間に渡ってぼくのメカオンチをいじる格好のネタとなるのです。「あ、でも今電池の残量が少ないからかもね」…。友人に大いにバカにされた後もどうも納得できず、しかしいい年して親にも聞けず(聞けば嘆いたことでしょう)、家族が寝静まった後、薄暗い深夜の台所でそっと携帯を量りに乗せてみたぼくでした。


(後記)
 当時はまだガラケーだった。今では化石みたいな扱いでいじられるガラケーだが、この頃はそれが最新機種だった。今思えばまだiPhoneもiPadもないこの頃に、スタジオのデスクトップのパソコンの画面に指で直接触れて操作しようとしていた小倉範彦は、機械オンチではなくむしろ未来人だったのではないかと思う。
 電池は満タンの方が質量が重く、消費していくにつれて比例して軽くなっていくという、まるで車のガソリンと同一にでも考えていたのだろうか。もはや文系だ理系だの話ではない。右脳も左脳も関係ない。単なる阿呆である。
 そんなぼくも12年後にはiPhoneを最低限には使いこなし、当時はアナログなMTRで作曲していたのに今やパソコンで作曲をしているのだから、時代の流れに流されて、人はそれなりに成長するものである。
 ただ、あくまで「それなり」である。今でも正直弱い。この1年で何度Appleサポートに電話をかけて助けてもらっただろうか。Appleサポートのお兄さんの頼もしさといったらない。そのやさしさと愛しさと切なさと心強さとに触れるたび、もう、抱かれてもいいと思ってしまう。ちなみにぼくは一度、表参道のAppleショップにてワークショップに参加したことがある。予約をしてドキドキしながら参加した講習の内容は、「iCloudを使いこなそう」というものだった。完全に理解したつもりで得意になって帰ったが、後年iCloudとの同期に完全に失敗しAppleサポートの援助を受けることになり、この時のワークショップはまったく生きていなかったことが証明された。
 さて、文中で言及している「10年以上演奏しているエレキギターの音が出る仕組み」であるが、20年以上となった今果たして説明できるようになったのか。それは誠に遺憾であるが字数の問題で割愛させていただきたいと思う。(2019.5.6)
 

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