うそんこ地学事典 2. ふぉっさまぐな

日本の屋根とよばれる長野県中央部に、昔2人の若者がいた。一人は、立山黒兵衛くんで、とても優秀な若者で、学校ではいつもトップの成績をとっていた。もう一人は、発作馬具納くんで、穏やかな性格で学校の勉強は得意ではなかったが、友達作りが上手かった。二人は、学校の試験が終わると、テストの成績を見せ合って、成績の良い方の鞄や体操服などを成績の悪い方が二人分持つことになっていた。毎回、立山くんの方が良い成績で、発作くんは背中に沢山の荷物を背負う羽目になった。立山くんは、身軽に暮らして、どんどん背が高くなった。余りに背が高いので「アルプス」とあだ名され、遠くから彼が来るのが分かると「来た!アルプス!(北アルプス)」とはやし立てられた。発作くんは荷物で背が曲がり、背が低いままだった。高校生になっても背が低いので、彼が歩くと「あいつちっこーぃ」とはやし立てられ、「ちっこー(地溝)」とあだ名されるようになった。

そんな彼らだが、互いに切磋琢磨して勉強し東大を卒業し社会人になると、二人ともみるみる頭角を現すようになった。立山くんは頭の良さで関西の知事になり、発作くんは仲間作りの巧みさで関東の知事になった。ある年、日本を二分する政治論争が勃発し、東日本と西日本がそれぞれ独立することになった。東日本の大統領は発作馬具納くんで、西日本の首相は立山黒兵衛くんだ。その後国境である糸魚川-静岡構造線の東側の平地を「ほっさまぐな」と呼び、国境の西側の高い山脈を「たてやまくろべえ」と呼ぶようになった。ドイツ人のナウマン氏が国連演説で、「ほっさまぐな」をFossa Magnaと発音したため、現在は日本でも「フォッサマグナ」と呼ばれている。