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エンボス版紙版画について

紙という素材は木や金属等に比べ簡単に多様な加工をすることができます。多様に加工できるということは多様な技法が可能になるということです。紙版画の既存の技法、私が考案した種々の技法についてはホームページ「紙版画研究室」で紹介していますのでそちらを見ていただくこととして、ここではその中のひとつ、「エンボス版紙版画」という技法について述べます。
エンボス版紙版画とは、プレス機を使って版用紙に様々な素材を押し付け凹凸を写し取る製版法、紙の版だからこそ可能な技法です。今回の個展の作品は全てこの技法で制作しています。銅版画にも素材を押し当てるソフトグランドエッチングという製版法がありますが、腐食で凹ませるソフトグランドエッチングと素材のテクスチャーをそのまま写し取るエンボス版では図柄の表情は違ってきます。
エンボス版に使用する素材は単体の場合もあれば、予め複数の素材を構成したものを用いる場合もあります。素材を構成したものを「原版」と呼んでいます。いろいろな素材を貼りつけて版を作るコラグラフという技法がありますが、原版はこのコラグラフの版をイメージしてもらうと良いでしょう。両者は似ていますが決定的に違う点があります。コラグラフの場合、素材は版に接着するため一つの素材は一つの作品にしか使うことができません。しかし、エンボス版の場合、素材は置くだけあるいは仮止め程度なので気に入った素材を複数の作品に使い回すことができるのです。使い回すと言っても組み合わせ方によって様々な造形に展開することができます。また接着の手間も接着剤の乾燥を待つ時間も必要ありませんので、ストックしてあるお気に入りの中から素材を選び、組み合わせてプレス機にかければ一瞬で版を作ることができます。一般的に、絵画に比べ版画制作は技術や道具の制約が大きいため計画的な制作が求められますが、エンボス版は即興的な制作を可能にする版画技法としても画期的なものだと自負しています。
「ブリコラージュ(bricolage)」という言葉があります。あり合わせの材料を寄せ集め工夫して物を作るという意味で、レヴィ=ストロースが「野生の思考」の中で未開人のものづくりや知の在り方をこの言葉で表しています。何となく素人的なクオリティの低い仕事がイメージされるかもしれませんが、実は極めて機知と創造性に富んだ営みであるとレヴィ=ストロースは捉えています。また遺伝学者のフランソワ・ジャコブは、生物の多様性や進化はいままである材料を、つぎはぎし、組み替えていくことで可能になるとし、そうした生命の仕組みをブリコラージュだと述べています。本冊子の冒頭で「私にとって版画を制作するということは、そこに宿る生命の摂理と向き合うことである」と述べました。それにはいろいろな意味合いがあるのですが、その中でもこのブリコラージュは生命の在り方と私の版画制作をつなぐ重要なキーワードとなります。
更にエンボス版における「原版(素材)→版→作品」という転写の連鎖と「親→遺伝子→子」のそれとの類似性も、私の版画制作技法の中に宿る生命の摂理と捉えています。最近、転写の際、原版と版の間にサンドペーパーをはさみ図柄をやすりの粒子による孔の集積に変換するというやり方を考案しました。図柄をくっきりと転写するための工夫だったのですが、粒子の集積による図柄はあたかも粒子によって構成される森羅万象の在り方を象徴するかのようなものとなりました。
エンボス版、元を正せばもっと楽に簡単にコラグラフ的なことができないだろうか、という理由で考案したものなのですが、例えばこうした技術的な工夫が、期せずして私の版画を生命の在り方、摂理に近づいていく、そんなところにも紙版画という技法の深さを感じます。
エンボス版によって得られる版面の表情豊かな凹凸は彩色にも大きく関わってきます。例えば油絵、色彩の表情は色自体の属性だけで決まるものではなく、マチエールが色彩の表情に大きな影響を与えます。マチエールが色にもたらす濃淡や掠れ、重なり、絡み、質感…。マチエールと渾然一体となることで色は「彩」となっていくのですが、エンボス版の凹凸にもこうした効果があるのです。この特徴を活かすため、私は「凹凸併用彩色」や「アラプペ彩色(à la poupée)」という彩色法を用いています。凹凸併用彩色は版面の凹部、凸部それぞれにインクをセットする彩色法。凸部、凹部それぞれのマチエールを生かした彩色が得られます。アラプペ彩色とは一版多色刷りの一種。一枚の版の上に複数の色を置き分ける技法です。アラプペ彩色が考案されたのは17世紀ころ。「プペ(poupée」」とは人形の意味で、人形の頭のような小さなタンポでインクを置いたことが技法名の由来です。ちなみに私は歯ブラシを使っています。大量生産のための機械的なインクセットではない絵画的な彩色、再現は不可能で同じものをいくつもつくることはできません。
版画は、同じ作品を何枚も作ることができる「複数性」という特徴を持っています。版画が独自の社会的地位を獲得し独特の表現を確立していく、版画文化が発展において複数性は重要な役割を果たしていることは疑いの余地はないでしょう。しかし一方で複数性という制約を外すことで表現効果、作品構想の自由度は格段に高まり、より多様な表現が生まれてきます。版画の複数性について私は次のように考えています。同じ親から生まれても兄弟はそれぞれに違った独自の存在であるように、同じ版から生まれた作品であってもそれぞれに独自の存在となる。生命における複数性とは機械的に同じものを作ることではなく、ひとつの生命から複数のヴァリエーションを生み出すことだと捉えています。反復しながら変容する。生命が奏でる変奏曲。これが多様性と進化の原動力となる生命の摂理ではないでしょうか。
版画に記載される数字はエディション番号と言って同じ作品が世の中に何枚あるかをあらわすものですが、私の作品に数字はなく、代わりに「mono p」と記しています。「モノプリント」、つまり1枚しか存在しない、という意味です。同じ作品を何枚も刷ることは可能ですが、私はそうすることにほとんど関心がありません。同じ版から新しい作品が生まれる、そのほうがウキウキします。作品たちは複製品ではなく兄弟なのだと、そう捉えています。
紙版画をはじめるずっとずっと以前から、作品がそして作品の生まれ方が生命として全きものであってほしい、という想いを持っていましたが、その想いを実現しようと紙版画を始めたわけではありません。紙版画の面白さに取り憑かれ紙版画でできることを追求していたら、それが自ずと自分のイメージする生命の摂理に近づいていった。ここで述べてきたとおりです。私にとって生命の在り方に想いを馳せるということは、決して植物や生物を描くことではありません。生命のもつ生む力、反復し変容する仕組み。こうした摂理が私の制作にあってどのように発現していくのか、発現させることができるのか、この問題意識が私の制作を導くもの、指針としてあります。「何を描くか」ではなく「なぜ描くのか、どのように描くのか」ということに自身の生命観を託せる表現、それが私の想いでありその想いをしっかりと受け止めてくれるパートナー、それが紙版画なのです。


山口雅英2023.03.13

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