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2005年秋葉原の旅

 原宿の人気読者モデルのトニー(20)はつい最近まで典型的な引きこもりだった。

 彫りの深い顔立ちからハーフと良く間違えられたが生粋の日本人だ。本名は木下透だが、初対面でハーフ扱いされる為、弁明するが面倒だったのでトニーと名乗っていた。彼の偽名を疑う者は誰一人としていなかった。

 当時の生活サイクルは朝五時のニュースがはじまる頃に眠り、夕方になると起きた。一年中閉ざされたカーテン。光が一切遮断された部屋でテレビ、食事、排泄、睡眠、 入浴の繰り返しの日々。この頃の記憶はとくにない。とにかく考えたり、感じたりするのに疲れロボットになりたかった。ゾンビに憧れ、人造人間に恋焦がれた。白髪のマッドサイエンティストに誘拐され改造される日を待ち望んだ。その日は未だに来ない。この頃から人体改造に関する本を読み漁りピアスの数が増え、痛みだけが生きてる証だった。

 生産性のない自堕落な無気力な日々を過ごし、テレビのチャンネルをかえるだけの毎日。殺風景な部屋でテレビだけが異様な輝きを放っていた。

 透は部屋のテレビをピカピカになるまで磨き、とても大切にしニュース、アニメ、ドラマ、バラエティ、歌番組とループして見ていた。テレビが唯一の友達。一番のお気に入りは深夜番組のアイドルのバラエティ番組だ。大げさなリアクションや番組で見せる真剣な姿に励まされた。

 アイドルは歌や踊りが下手でもいい。存在自体が芸術なのだ。上野動物園のパンダを見るために寒空の中、行列をつくる。ライブ会場で一言かけてもらう為に雨の中でも出待ちする。その姿は修行僧のようだ。

 時代は会いにいけるアイドルを求め、 ムーブメントは秋葉原から突然はじまった。透がいつもの様に深夜アイドルの番組を見ていると。ゲームの対決に負けた十代の少女が突然泣き出した。溢れ出る大粒の涙はどんな宝石よりも美しく輝いていた。メンバー同士で少女を慰めようと髪をやさしく撫でていた。その姿は宗教画の様に美しく、心を奪われた。番組のエンディングで少女の所属するアイドルグループのライブの日程のテロップが出ていたので引きこもり生活に終止符を打った。

 この傷ついた少女のために自分は何かしたい。純粋に透はそう思った。少女が流した涙が自分の涙の様に見えた。感情をころして生きる借り物のような日々、窒息しそうな毎日。テレビの中で少女は傷つき涙を流した。忘れていた感情。泣く事が人間として尊い様に思えた。 自分に出来る事は応援だ。透は数年ぶりに小奇麗な洋服を買い、引きこもり生活で伸びた髪を結び髭を剃り、夜の闇に紛れ秋葉原のライブ会場に急いだ。

 満員の観客の中で幕が開けステージがはじまると少女の名前を大声で叫んでいた。透の声は誰かに届いたのだろうか、誰も返事はしない。体中を突き刺すファンの声援。やさしい世界。光る棒の数だけ人がいた。後にサイリュームと知った。汗。体温の上昇。心臓の鼓動が徐々に速くなる。この気持ちはなんだろう。名前をつけたら安心するのに。

「会いたかった」

 龍宮城で歌姫たちの華麗な歌や舞をみた、浦島太郎の様な気分を味わい生きる力を得た彼の人生観は変わった。次の日からアイドルのライブに通う為に、透はアルバイトに精をだしていた。

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