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映画「ゴールデンカムイ」アイヌ語監修者が語る、アイヌの物語のとてつもない魅力

 映画「ゴールデンカムイ」の公開が始まりました! マンガから一貫して同作のアイヌ語監修を務める千葉大学名誉教授・中川裕氏が"名著"として推薦しているのが、ヤマケイ文庫『アイヌと神々の物語』です。アイヌ語研究の第一人者、故・萱野茂氏が、祖母や村のフチから聞き集めたアイヌと神々の38の話を収録した一冊。本書から、中川先生書き下ろしの序文を公開します。

ヤマケイ文庫『アイヌと神々の物語』萱野茂

河合隼雄氏、推薦!
「『ウウェペケレ』は『昔話』そして『お互いの心が洗われる』ことを意味する。人間の生死について深く考えようとする人々に広く推薦したい。」

 近年、アイヌ民族についての話題が、テレビや雑誌、インターネットなどのメディアで頻繁に取り上げられるようになってきた。それに加えてアイヌ関連の刊行物も非常に増えてきている。2018~2019年に出版されたアイヌ文化・歴史関係の入門・概説書的なものだけを数えても10冊以上にのぼる。

 これはかつてなかった状況であり、これまでアイヌという人々の存在をあまり意識していなかった人たちが、彼らに関心を持つようになってきたことを、出版界のほうで敏感に感じ取った結果だと考えることができる。

 その流れを作り出すひとつのきっかけとなっているのは、集英社『週刊ヤングジャンプ』誌で2014年から連載が始まり、2018年にはアニメ化もされ、同誌の看板漫画のひとつとなっている、野田サトル氏の漫画「ゴールデンカムイ」だろう。

 この漫画は、20世紀初頭の北海道やサハリンを舞台に、隠された金塊の争奪戦を中心とした冒険活劇物で、アイヌを描くことが中心的な内容ではないのだが、ヒロインのアシリパを筆頭に、何人もの魅力的なアイヌのキャラクターが活躍し、アイヌの伝統的な世界観や生活を緻密な画風で生き生きと描き出している。

 この漫画の影響で、直接作品には登場していない北海道平取町の二風谷や、白老町といったアイヌ文化関連施設のあるところにも、いわゆる「聖地巡礼」で訪れる人が増えているそうだ。

 そうした時代の動きを反映して、長いこと絶版や品切れになっていたアイヌ関連の名著が、再版あるいは出版社を変えての刊行という形で、再び多くの読者の目に触れるものとなるという、喜ばしい現象が起こっている。本書もそのひとつである。

ドラマチックな展開に心躍らせる

 本書は著者萱野 茂氏によって録音・収集された、北海道沙流地方のウエペケレを日本語訳で紹介したものである。ウエペケレ(本書の表記ではウウェペケレ)は「昔話」などと訳されることが多く、本書でもその訳が用いられているが、日本語で「昔話」というとおとぎ話や童話と同じような意味で使われることも多く、子どもを楽しませるために語られる、現実とは切り離された物語というのが一般的な理解だろう。
 
 しかし、ウエペケレというのは、決して子どものためだけに語られるものではない。
 それはかつて現実に暮らしていた人たちが、実際に体験したことを語り伝えた話であると信じられてきたものであり、彼らの「歴史」の記録としてとらえられてきたものである。

 現代の私たちが読むと、ファンタスティックな空想の世界の話のように見えるだろう。しかし、かつて人間をとりまくすべてのものに、人間と同じような精神の働きを見、それをカムイと呼んで、人間とカムイの共存こそがこの世を豊かに暮らす道であると考えていた人たちにとって、そのカムイから恩恵を受けたり、あるいは悪い精神を持つカムイと対決したりする物語は、決して現実から遊離したものではなかった。

 往時、アイヌの人々は、日々いろいろな人たちからウエペケレを聞いては、思いがけないことが起こった時には人はどう対処すべきか、あるいは日々の暮らしの中でどんなことをしてはいけないかと言ったような生活の知恵や、人としてのあり方、心構えといったようなものについての教訓を学んでいた。

 そしてそれ以上に、主人公の受ける苦難や試練、それを解決して幸福なエンディングにいたるドラマチックな展開に心躍らせ、長い冬の夜を心豊かに過ごしてきた。

 私は二十代前半の頃から北海道のあちこちを回ってアイヌ語を録音して歩いた。最初のうちはただ録音しているだけで、その場では何を言っているのかまるでわからず、家に帰ってそれを一音一音聞き起こしては、再び北海道に行って不明な点を質問するということを繰り返して、やっと一編の物語の顛末がわかるという状態だったが、それを続けていくうちに、語りを聞きながらその場で内容を理解していくことができるようになった。

 その段階で一番面白くなってきたのはウエペケレである。ユカラやカムイユカラにくらべて、ウエペケレは話の中に昔の生活や語り手自身の世界観といったものが直接的に映し出されている。ウエペケレを聞いていると、いつの間にかその世界の中に自分が入り込んでいることに気づく。

 おばあさんたちは、聞き手がアイヌ語を理解できることがわかると、それなら「聞きどころのある」話をしなくてはというので、ドラマチックで、登場人物たちの心情がひしひしと伝わってくるような話を選んで語ってくれる。そのような話の中には、「昔話」というよりむしろ落語の人情噺に近いような、複雑な人間模様を描くものも少なくない。ユカラやカムイユカラに比べ、ウエペケレにはより生身の人間が描かれているのである。

アイヌ文学の隠れた名作

 本書の著者である萱野茂氏(1926-2006)は、北海道平取町二風谷出身のアイヌであり、多くの地域でアイヌ文化が日常のものとなくなりつつある中で、アイヌ語を話せる人たちに囲まれて育ち、アイヌ語・アイヌ文化の継承者としてその保存と発展に多大な貢献をしてきた人である。1994年にアイヌ民族初の国会議員となった人物としてもよく知られている。

 アイヌ語母語話者であり、伝承者としての実体験に基づくアイヌ文化への深い理解は、もとより他の追随を許さぬものであるが、彼の日本語の文才も優れたものであり、読みやすくしかも情緒豊かなその文章は定評のあるところである。それは本書を読んだ読者の方々が実感されるであろう。

 テキストは語り手たちの脳裏に描かれている世界を最もよく理解している萱野氏の手によって、原録音に忠実なことを目指しながらも読みやすく親しみのもてる文体で訳されている。そしてさらに、萱野氏自身が一話ごとに付した、それぞれの物語に関連する民具や習慣についての解説によって、かつてのアイヌ文化そのものを理解するための大変良い教科書ともなっている。
これだけの物語の数々を文庫として手軽に読めるようになるのは大変喜ばしい。この文庫版でウエペケレの世界を味わっていただきたい。


◎好評発売中

 アイヌ語研究の第一人者である著者が、祖母や村のフチから聞き集めたアイヌと神々の38の物語を読みやすく情感豊かな文章で収録。
 主人公が受ける苦難や試練、幸福なエンディングなど、ドラマチックな物語を選りすぐった名著の文庫化。

続編もあります。


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