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阿仁マタギが住み着いた山里、秋山郷で主食にされていた栃の実を使った"あんぼ"とは?

山で働き、暮らす人々が実際に遭遇した不可思議な体験を、取材・記録した累計30万部突破のベストセラー「山怪」シリーズ。今年の初めには、シリーズ4作目となる『山怪 朱 山人が語る不思議な話』が刊行されました。noteで始まったこの連載は、著者の田中康弘さんが、山怪収集のために全国の山人の元に赴き、取材するなかで出会った人や食などのもう一つの物語です。

【連載第4回】秋山郷は栃で生き抜いた

 秋山郷は新潟県と長野県の県境を跨ぐ古い集落だ。 江戸末期から明治期にかけて阿仁マタギが数人住み着いた山里でもある。 中津川を挟んだ急峻な地形で、日本有数の豪雪地帯だ。それ故に稲作が始まったのは明治に入ってから。それもごくわずかな生産量で、つい近年まで焼き畑で雑穀類を作り、それと栃の実を混ぜ合わせた"あんぼ〟を主食にしていた。そんな秋山郷で阿仁マタギの末裔という人に話を聞いた。
「私は特に不思議な体験をしたことなどでねえすなあ……う〜ん子供がいなくなった話くらいかなあ」
 それは今から五十年ほど前のことだ。 ある夫婦が農作業のために山へと入っていった。前述したように、この辺りは焼き畑農法で耕地は山の斜面である。
 夫婦は四歳の一人娘をいつものように山の畑へと連れていった。いったん畑仕事に出ると夕方までは帰らないから、それが当たり前になっていた。夫婦が畑仕事してる娘はその傍らで花をむしったり、蝶を追いかけたりして遊んでいる。仕事に精を出しつつ娘の様子をうかがうのが何より夫婦は楽しかった。
 昼食に持参した〝あんぼ"を食べて一休みする。収穫したモチキビを眺めながら夫婦はたわいもない話をする。 娘も横で〝あんぼ"を頬張りながらニコニコしていた。
 今日中にここの畑を終わらせようと、午後はいつも以上に精を出して働いた。 途中で娘の様子が気になり顔を上げたが、姿が見えない。辺りにいるはずだが、いくら名前を呼んでも返事は無かった。

『山怪 山人が語る不思議な話』
Ⅱ異界への扉「狐と神隠し」より

みんな知ってる?
栃の木ってすっごいんだよ!! 

 長崎県の出身者にとって木といえば常緑広葉樹。山は一年中緑で四季折々の変化は乏しかったですね。全山艶やかな紅葉に覆われる景色は見る機会がありませんでした。東北に行けばそれが普通の秋景色で、ああ本当に日本の自然は多様で面白いなと感じました。

 落葉広葉樹で一番好きなのは栃です。初めて出会ったのは30年以上前ですね。秋田県の阿仁でした。阿仁マタギとの付き合いの中で凄く栃を意識する様になったんです。その頃は春夏秋冬阿仁の山々をうろついていました。どの季節も素晴らしいが春先はまさに"やまわらう“。そこにいるだけで幸せな気分に成れました。その中でも特に目を引いたのが栃だったんです。

一日一斗の蜜を出す

 春の山では様々な草木の花が咲きます。足元から木の上までこれほど多種多様な花弁があるのかと思う程に咲くんですよ。森の中で綺麗だなと思った花を見掛けその名をマタギに問うと
「それはトリカブトだあ」
えっ、これがあの有名なトリカブト!! 紫色で実に綺麗な花を付けるんですねえ。驚きです。綺麗な花には毒がある、と言ってもトリカブトの毒は根にあるそうですが。

 トリカブトの花は一際目を引く

 山中を車で走っていると
「?ありゃなんだ?」
と思わず車を止めてしまう花がありました。葡萄の房の様に下がる真っ白な無数の花。それが風に揺らめいて実に美しいんです。まるでここに来て私を眺めなさいよ、そこの人って感じ。ふふ、確かにね。見とれますよ。優雅だもの。この優雅な花はニセアカシアです。道の駅で見かけるアカシア蜜はこの花から採取されたものなんですね。"ニセ"なんて頭に付くと紛い物感が拭えませんがとても美味しい蜂蜜ですよ。
 と振っておきながら今回の主役はニセアカシアではありません。ニセアカシアファンの皆様申し訳ない!!
 今回の主役は栃栃栃栃なんです。あんまり意識した事ないでしょう。一見地味な樹木ですが秘められた可能性は物凄いのです。

盛りの栃の花。山で一番好きな花!

 先ずは春ですね、凄いのは。クリスマスツリーみたいな状態で花が咲くんですよ。雪を被った様に見えて所々に赤い点が飾りの様で綺麗です。この花に群がるのがミツバチ。この時期本当に働き者でせっせと栃蜜を集めます。地元の養蜂家に依ると樹齢百年の栃は一日一斗(18リットル)の蜜を出すそうです。花盛りの時期はそれほど多くの蜜が採れるんでしょう。味は抜群、個人的には一番好きな蜂蜜です。
"栃の花 飽きず眺めて 日が暮れる“
いやいや、そこまでの事はないが山程写真は撮りました。マタギ取材の帰りに道の駅で買い求める物と言えば栃蜜でしたねえ。蜂蜜好きという訳では無いけど何故か買ってしまう。魅力的な味ですよ、これは。

比立内の養蜂家、佐藤さん採取の栃蜜

秋山郷は栃で生き抜いた

 さてさて、栃が春先に凄い恵みをもたらしてくれるのはお判りいただけたと思います。実は秋にも凄い恵みを提供してくれるんですよ、栃は。それを探しに今度は秋山郷へと向かいます。

谷間に生きる秋山郷

 秋山郷は新潟県津南町と長野県栄村に跨る日本屈指の豪雪地帯です。今でこそ小さな田んぼがありますが、以前は焼き畑と狩猟採集が大切な生業だった力強い地なのです。江戸時代には阿仁からマタギが猟に来ていた記録も残っている。実際に幕末から明治にかけて阿仁マタギが数名移住しているんですねえ。そして阿仁マタギのクマ狩り方法を地元猟師に伝えています。

 そんなマタギの伝統猟を伝える秋山郷ですが、地域で最も大切な木が実は栃なんです。ですから地域の樹として大切に守られています。中でも見倉の大栃は樹齢500年とも言われる見事な姿で訪れる人を迎えます。集落の周りは栃だらけと言っても過言ではありません。一体何故何でしょうか?
 それは焼き畑や狩猟採集で生き延びて来た集落にとって栃が大切な食料でもあったからです。秋になると大きな実を付ける栃が古来より沢山の命を繋いで来たんですねえ。ただしこの栃の実は栗の様に食べる事は出来ません。分厚い外皮に覆われた実はつやつやでまるで和菓子の様ですが実はアクが凄いんですよ。このアクを抜くために大量の水と多大な手間が掛かる。他に食べ物があれば絶対に手を出さない食材でしょう。実際阿仁では栃の身は食べません。昔から田んぼもあったのでわざわざ栃の身を食べる習慣が無かったのです。
それに対して秋山郷では
「生きるか死ぬかの重病人にならないと米は食べられなかった」
と言います。下の集落で買い求めた貴重な米は重病人に食べさせたというのです。また天保の飢饉では食糧不足で死に絶えた地区もあった程に厳しい環境だったのです。恐らくこの年は栃の実が不作だったのでしょう。それほど栃の実は秋山郷の人々の命と直結したのです。

見倉の大栃。堂々とした姿
ピカピカの栃。落ちた直前が最高に美しい

 では栃の実はどのようにして食べたのでしょうか。実際に民宿出口屋さんで見せて貰いました。この出口屋さんは阿仁から移住して来たマタギの末裔なんです。
 栃の実を拾う所から始めると超大変な事になるので実はあらかじめ食材の範疇まで処理した所から始めて頂きました。作るのは栃餅です。近年では秋山郷の名産品にもなっているんです。
 作り方は一言で言うと餅つき機に入れて出来上がりなんですがそこまで行くのが物凄い手間暇。当たり前ですが出来上がった栃餅は実に美味しい。名産品ですから生きるか死ぬかで食べていた栃とは訳が違うんですよ。
 もう一つ作って頂いたのが栃の実入り"あんぼ“です。一見すると信州名物おやきの様ですがこちらは米粉を使っています。勿論昔は米が出来ない地域ですからこれは最新の栃料理と言えるでしょうねえ。どちらもシンプルイズベストで栃の素朴な味、自然の恵みを堪能出来ます。

<栃餅>

完全下処理済みの栃の実
打ち粉を振る狼……じゃなくて大女将
のし餅状に成型
黄な粉餅で頂きます

<栃の実入り"あんぼ“>

 こね鉢ではなく秋山郷では木鉢と言う。これも栃製
あんぼの具、今回は野沢菜
具を入れて綺麗に丸めれば後は蒸したり焼いたり
 その昔は囲炉裏の灰に突っ込んで蒸し焼きにした

栃の実争奪戦

 栃の実は乾燥させて保存が可能なので非常に大切な食品であり山間集落の宝でした。ですから村人は資源として大切にしてきました。実の収集は解禁日が決まっていてフライングは絶対に許されなかったそうですよ。例え家の前に山からコロコロと落ちて来てもそれを拾ってはいけない。厳しく管理されていたのですねえ。これほどまでに多くの人達の命と直結した木の実が他にあったでしょうか。
 木から落ちたばかりの栃の実はきらきら輝いています。もうね、これを見る為に山へ入っても良いと思わせる位に綺麗なんです。しかし栃の木は珍しい木ではないんですよ、実は。何と東京の中心部にもあります。巨木ではありませんが御茶ノ水の明治大学前にもあって春先はあの綺麗な花が見られます。かなり貧弱な容姿ですが……。
 ただ秋に実がなるかどうかは不明です。歩いていても落ちていない様なので無理かもしれませんね。
 昔のお菓子のCMに"一粒で二度美味しい“というコピーがありましたが、まさに栃は春と秋で二度美味しい凄い木だったのです。皆さんも春と秋の栃に会いに行ってはどうですか。楽しいですよ。

<おしまい>

著者プロフィール 田中康弘(たなか・やすひろ)
1959年、長崎県佐世保市生まれ。礼文島から西表島までの日本全国を放浪取材するフリーランスカメラマン。農林水産業の現 場、特にマタギ等の狩猟に関する取材多数。著作に、『山怪』 『山怪 弍『山怪 参』山怪 朱』 『完本 マタギ 矛盾なき労働と食文化』 『鍛冶屋 炎の仕事』『完全版 日本人は、どんな肉を喰ってきたのか?』(山と溪谷社)、『女猟師 わたしが猟師になったワケ』『猟師食堂』(枻出版)、『猟師が教えるシカ・イノシシ利用大全』(農山漁村文化協会)、『ニッポンの肉食 マタギから食肉処理施設まで』(筑摩書房)などがある。

◉【連載第1回】秋田県阿仁区の「◯マ鍋」↓

◉【連載第2回】 高知県四万十川の火振り漁↓↓

◉【連載第3回】 宮崎県椎葉村の猪猟↓↓↓

◉田中さんの最新作『完全版 日本人は、どんな肉を喰ってきたのか?』

山怪シリーズの最新作はこちら↓

シリーズ1作目 山怪 山人が語る不思議な話↓

シリーズ2作目 山怪弍 山人が語る不思議な話↓↓

シリーズ3作目 山怪参 山人が語る不思議な話↓↓↓


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