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高野秀行さん「物凄い本だった。私にとって「土」は完全なブラックボックスだっただけに…」【高野秀行×藤井一至スペシャル対談その1】

それは、2023年11月12日のことでした。ノンフィクション作家の高野秀行さんが、旧Twitter(現・X)でヤマケイ文庫『大地の五億年』を絶賛してくださったのです。編集担当が喜び勇んで著者の藤井一至さんに連絡したところ、なんと藤井さんは高野さんの本の長年の愛読者であるとのこと。これは、お二人をおつなぎしなければ……!
そのような経緯で、辺境を旅するノンフィクション作家と辺境で土を掘る研究者による、学びあり・笑いありの濃い対談が実現しました。全5回にわたってお届けします。(原稿構成:高松夕佳)

高野秀行氏(撮影:森清)

高野秀行(たかの・ひでゆき)ノンフィクション作家。1966年生まれ。ポリシーは「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も知らない本を書く」『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。『ワセダ三畳青春記』で酒飲み書店員大賞受賞、『謎の独立国家ソマリランド』で講談社ノンフィクション賞を受賞するなど著書多数。最新刊は『イラク水滸伝』。

藤井一至氏、ブラジルのエマス国立公園にて

藤井一至(ふじい・かずみち)土の研究者。1981年生まれ。国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所主任研究員。専門は土壌学、生態学。インドネシア・タイの熱帯雨林からカナダ極北の永久凍土、日本各地へとスコップ片手に飛び回り、土と地球の成り立ちや持続的な利用方法を研究している。

はじまり、はじまり

高野 藤井さんは、対談やトークイベントのご経験も豊富なので、しゃべるのはお手のものでしょうね。

藤井 いやいや、この前、TBSのバラエティ番組『クレイジージャーニー』に出演したときはグダグダで、司会の小池栄子さんに「藤井さん、もう最初からやり直した方がいいんじゃないですか」って言われましたよ。私の場合は土について解説しないポイントがあるのですが、出演者たちは台本関係なく話してくるから混乱して(笑)。テンパるときはテンパります。

高野 僕の場合は「これを話してほしい」と決められての依頼はないけど、藤井さんの場合は土壌について、絶対に聞きたいことがあるでしょうから。レクチャーの依頼も殺到しているんでしょうね。

藤井 文筆家の方なら人の心を動かす言葉を求められていると思うのですが、私の場合は知識を求められていると思うので、うまく話そうというよりも講演会に来てくれた人が元を取れるようにと考えています。本も同じで、知識を詰め込みます。うまく書けないので、土のことを面白く思ってもらえるように書ければいいやと割り切っています。

理系の視点で見る世界の新鮮さ

——お二人は、研究・取材対象は違えど、自らが見たいもの、知りたいことを求めて世界各地に赴き知見を深めていくというフィールドワークがベースである点は共通しています。本日は、そうした観点からお二人の作品の読みどころを探っていきたいと思っています。

高野さんは旧Twitter(現・X)で藤井さんのご著書について、こんなふうにお書きになっていました。
「前から話題になっていた藤井一至著『大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち』(ヤマケイ文庫)を読んだら、これが物凄い本だった。典型的な文系のボンクラである私にとって「土」は完全なブラックボックスだっただけに、目からウロコどころではない衝撃。全ページが驚きだった。」
この衝撃とはどんなものだったのでしょうか。

ヤマケイ文庫『大地の五億年』(山と溪谷社)

高野 読んで本当にびっくりしましたね。土のことなんて、いくらも知らなかったわけですから。文系の人間が書くものや世間に流通している土をめぐる言葉というのは、一種のレトリックです。土地が豊かだとか、貧しいとか、環境が破壊されているとか。中身がよくわからないままなんとなく言っているんですよね。

僕自身、「土地が痩せている」という意味をよく知らないまま「大豆は痩せた土地でよく育つ」と書いたりしているし、それでいいような気になっていた。一方で、そのように多くの人が実際のところをよくわかっていないゆえに、環境問題や農業・林業でも非常に偏った、一面的なものが流行っては廃れていっているのではないか、という感覚もぼんやりとあった。藤井さんの『大地の五億年』を読んですごく明確になったのは、そこでした。

僕は本当に文系ボンクラで、化学なんて高校時代以来触れたこともなく、そういえば元素記号というものがあったな、というぐらいだったので、理解が追いつかない部分もありましたが、それでも非常に明晰かつ論理的で、それまで僕はすべてを人間中心の視点で見ていたんだな、とすごく腑に落ちたんです。

たとえば僕が最初にフィールドワークをしたコンゴでは、熱帯雨林を切り開いて作られた未舗装の道路は真っ赤なんです。あれは鉄分が酸化したために赤く見えるラテライト(※)という土壌だ、と聞いてはいるし、知識はある。でもそれがどこにつながっているかはわかっていなかった。
※熱帯の赤土のこと。ラテライトは地理用語で、オキシソル(ラトソル)が土の名前。

鉄酸化物に富む熱帯土壌(オキシソル)『大地の五億年』より

コンゴや隣国ガボンの人口密度の低さも、ずっと不思議でした。日本と面積はほぼ同じなのに、1980年代半ばで人口わずか200万人。自然はめちゃくちゃ豊かなんですよ。自然が豊か=いいことのはずなのに、なぜ人があまり住まないのか。マラリアなどの病気が多いことが原因かと思っていましたが、藤井さんの本を読んで、それだけじゃなかったのだと気づきました。そもそも熱帯雨林は、生産力が低い。植物が多いということは、植物にリンや窒素が移行しちゃっていて、だから土地には栄養が残っていない。

藤井 はい。

高野 そういう理屈があるのか、と目から鱗が落ちる思いがしました。さらに、豊か/貧しいとはそもそもどういうことなんだろう、と。サバンナやステップなど、農業をするのが難しい土地は「豊か」とは言われませんが、この本を読むと実はそういう土地は降水量が少ないだけで……。

藤井 水さえあれば、農業に適しています。

高野 そう。私たちが使っている「貧しい」「豊か」といった言葉も、土壌学的視点で考えると、まったく違った意味合いを持ってくる。そこに驚いたんです。

10年分の「びっくり」を全部詰め込んだ本です

藤井 ああー。ありがとうございます。僕は褒められるのが得意じゃないので、さっきから背中がむずがゆいです。でも、こんなに僕の本に感動してくださるというのは、どういう背景からなのだろうと不思議だったし、それが僕が今日知りたかったことでもあったので。なるほど、色々な土地を見てこられた高野さんの中には疑問が積み重なっていた。そこにちょうど僕の本の内容がはまったということですね。

高野 まさにおっしゃる通りです。

藤井 僕の本がそんなにすごいのかなと思ったけど、高野さんが土を耕してくれていたから、ちょうどそこに肥料がはまったということですね。

高野 それこそ、藤井式レトリック(笑)。

藤井 まさしくレトリック(笑)。これこそレトリック(笑)。

高野 この本は、そのように土に関する教養もすばらしいんだけど、物語がまたよくできていて。プロの物書きとしてはそこもすごいな、と。決して手加減せず、易しくない情報をこれだけ詰め込んでいるのに、すごくわかりやすく書かれている。

藤井 ありがとうございます。

高野 読者を飽きさせない工夫がとにかくたくさんあるんですよ。たとえば本の中に宮沢賢治の事例がありますけど、「雨ニモマケズ」は石灰肥料のセールスマンの苦悩を語った歌なんだ、とか聞いたこともない話を出してくる。そうした知識や情報をスムースにつなぐ技術が見事です。

藤井 いやいや。日本では普通の人は、土を勉強する機会がほぼないまま社会人になりますから、老後、家庭菜園をやろうと思ったときに、土のことを何も知らなくて愕然とする、というケースがよくあるんです。

一方、土を勉強したくて大学に入った私は、その驚きを大学生のときに経験した。土なんておおかたのことがわかっているのだと思っていたら、学問としてまだ解明されていないことも、田舎出身の私自身が知らないこともたくさんあった。びっくりしましたよ。そうしてため込んだ私の10年分のびっくりを全部詰め込んだのが、この本なんです。もう少し出し惜しみすればいいのに、本なんて人生で1度しか書かないと思っていたから全部出しちゃって。今でも後悔してます。

高野 (笑)。読んだとき、絶対に名誉教授クラスの大家の人が書いたと思いました。

藤井 それよく言われるんですよ。おじいさんだと思ったって。

高野 こんな若手の方だったとは。

藤井 退職後、おもしろい本が書けるように準備しておこうと思って、ネタ本を準備していたんです。そしたら研究を始めて10年ほどで出版の声がかかったので、これはラストチャンスに違いない! と。

土研究の道に進んだきっかけは「ナウシカ」のセリフ?

高野 この本には土にまつわるさまざまなことが書かれていますよね。植物、動物はもちろん、大陸移動や地球物理も網羅されている。藤井さんは何を入口に土の世界に入って行かれたのでしょうか。

藤井 私は子どもの頃、石ころが好きだったんです。でも、成長するうちに忘れて将棋に熱中するようになり、将来は将棋指しになりたいと思っていたけど、高校生ぐらいでどうもそれは無理そうだとわかって。

そんな頃、アニメーション映画「風の谷のナウシカ」に出会ったんです。ナウシカが「汚れているのは土なんです」と言っているシーンを見て、「あ、そういえば俺昔、石ころに詳しかったな」と思い出して。土は石からできているんだから、石ころの知識をフル活用すれば、すぐに土にも詳しくなれるんじゃないか、という打算があったんですよ。

高野 変な打算ですねえ(笑)。

藤井 僕が育ったのは富山県立山町という田舎で、周りは山や田んぼだから土のことはだいたいわかる、田舎育ちが強みになるなと思った。それで農学部に進学しました。

高野 じゃあ最初は、農芸化学とかを勉強されていた?

藤井 そう。私の土壌学の背景は、農芸化学、chemistryです。化学は理科の中でも一番好きだったのですが、純粋な化学は私がちょっとやってどうにかなるもんじゃないだろう、それよりは土の化学のほうがまだ研究する余地が残っているのではないか、という気がして。その最初の見立てはあながち間違っていなかったと思います。

高野 直感が当たったと。

藤井 そう思います。面白い課題がかなり残っていたおかげで、ああ、面白い、面白い、と思いながら今まで研究し続けてきた感じです。

土は、土だけでは終わらない

高野 でもこの本は、土壌学からは大きくはみ出してますよね。

藤井 むしろはみ出さないとみんなのところには届かないのではないかと思っていたんです。土を主語にして書くと、読者層は急激に狭まってしまう。幅広い人に読んでもらうには、植物や動物、人間も土と関わっているんだよ、という方向に持っていく必要があるだろう、と。だからはみ出ているように見えますが、実際には土のことしか書いていない。

高野 どうすれば読者に届くかを考えるのが、藤井さんの特長ですからね。射程距離が長いんですよ。「みんなに」伝えることに興味のない研究者も多い中、藤井さんは興味の幅がすごく広い。そしてそれら幅の広い興味関心が「土」というところにつながっていく過程を見せてくれている。

藤井 先ほど言われた、コンゴは森が豊かなのになぜ人口密度がこんなに低いんだろう、という高野さんの違和感も、同じことだと思うんです。その違和感の正体を研究者として知ろうと思ったら、現地の土がラテライトであると分析しただけで終えるのではなく、土壌がラテライトであることと人口の少なさとどうつながっているのかまでを知ろうとしますよね。同時に、コンゴの自然がなぜそんなに豊かなのかも知りたい。全部をつなげて解明したくなる。実際に現地に赴き、人々の暮らしを見ている高野さんが土に興味を持ってくださったのも、そういうことだと思うんです。

つまり土って、土だけでは終わらない。暮らしや文化と必ずつながってくる。この地域の人たちは豊かなのに、こちらの人たちはなぜ貧しいのかといった社会課題にも土がかかわっていたりするから、1本論文を書いておしまい、とはできないんですよね。

高野 確かにそうですね。藤井さんは人にもすごく興味を持たれていますよね。理系の人の中には、人間にはまったく無関心というタイプもいるじゃないですか。

藤井 それはそうですね。サイエンスって、自然の持つ絶対的な真理に近づいていくことと、人間社会にどれだけ還元できるかということ、2つの側面があると思うんです。一般的には前者が理系的で後者が文系的とカテゴライズされますし、科学者として理系の部分だけでよければ、論文を書いていればいいのですが、私は基本的にはどっちも大事だと思っているし、土って面白いなと思ってもらいたいので。前者だけだと満足できない強欲さが僕の中にはあるようで(笑)、最終的なゴールは教科書を書くことではあるのですが。

高野 まあ強欲でないと、こんな本は書けないと思いますけどね。

(続きます)

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