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高野秀行さん「そうか!納豆が圧倒的に東日本で食べられている理由は…」【高野秀行×藤井一至スペシャル対談その3】

それは、2023年11月12日のことでした。ノンフィクション作家の高野秀行さんが、旧Twitter(現・X)でヤマケイ文庫『大地の五億年』を絶賛してくださったのです。編集担当が喜び勇んで著者の藤井一至さんに連絡したところ、なんと藤井さんは高野さんの本の長年の愛読者であるとのこと。これは、お二人をおつなぎしなければ……!
そのような経緯で、辺境を旅するノンフィクション作家と辺境で土を掘る研究者による、学びあり・笑いありの濃い対談が実現しました。全5回にわたってお届けします。(原稿構成:高松夕佳)

ヤマケイ文庫『大地の五億年』

高野さんの本は、アカデミックです

藤井 先ほど「乾燥地と大河がセットになると文明が生まれる」と言いましたが、例えばパプアニューギニアでは、少なくとも7000年前からバナナの文明があったようですよ。その時代のバナナの植物珪酸体が大量に見つかっている。

高野 え? パプアで? バナナは東南アジアが原産ですよね。

藤井 そう。バナナはマレーシア原産とも言われていますが、あのあたりの島々にはいくつかあって、かなり古くから栽培されていたらしい。

高野 あ、すいません。僕、ミャンマーにある野生のバナナの森に行ったことあるんですよ。房でなっているから、「おお、バナナだー」と思って取って割ったら全部種で、食べるところがなくてびっくりしたんですけど。でも原種はいくつもあるんですね。

藤井 あらあら、僕より全然上ですね。原種のある原産地と栽培の起源地は、かなり違うのだと思います。栽培植物学者の中尾佐助はインドが稲作の起源だと言いましたが、実際には中国の長江周辺(珠江流域説が現在では有力)であることがわかっている。ただ、インドでもかなり古くから栽培されていたことは確かで。栽培の中心地と原産地はまた別の話ということです。

小麦は乾燥した土のほうが育ちやすいし、そこに水があれば完璧。だからメソポタミアで文明が生まれたんだ、と土壌学的に説明がつきやすい。でもその文脈でいくと、東南アジアの農業は説明できない。高野さんの書かれる本は、その意味で非常に挑戦的なんです(笑)。

高野 え?

藤井 だって納豆にしろバナナにしろ、東南アジアはわかっていないことが多い。東南アジアでは、どんなきっかけでどんな人々がどんな文化をいつ頃から持っていたのか。残存資料が乏しいので、考古学や土壌学だけでは説明ができないんですよ。その意味で、僕は高野さんの本はすごくアカデミックだと思っています。

高野 (笑)

藤井 ただの冒険だ、という人もいるかもしれませんが、僕らからすると十分フィールドワークであり、研究です。さっき話に出たように、前知識が詰め込まれたフィールドワーク=アカデミックですからね。大学に所属しているかフリーかの差でしかない。そういう意識はありませんでしたか?

高野 ロジックを突き詰めていくと、アカデミックに近づいてしまうんですよね。ただ、今のアカデミズムと僕が違うのは、いい悪いは別にして、ノープランで入っていくことです。研究者からはよく驚かれます。

まずは現地で、土に問う

藤井 僕も基本的にノープランで現地に入り、土を掘ってみてから考えたいタイプです。最近では、綿密な筋書き付きの研究計画を立てて、それをちゃんと実行するのが研究の定番ですが、僕はまず掘った土を見てからしか、何を研究すべきかを決めない。相手を見て初めて現地の人が最も必要としているもの、そこで今最もホットなトピックがわかるし、そこの土が私に訴えかけてくるものを大事にしたい。つまり、土に問いたいわけです。

高野 土に問うんですね。

藤井 だって最初から「これをやりに行くぞ」と現地に向かってしまうと、そこで掘った土がそのテーマをやるのに最適じゃなかったとしても、計画通りやることになって、僕の想定を超える研究はできなくなりますから。

高野 それはそうですね。

分厚い泥炭土を調査中の研究者。とても楽しそう(カナダ・ケベック州)『大地の五億年』より

藤井 たいてい、現地で僕の想定とは違うことがあったときに、相乗効果として面白いことが起こる。高野さんの本で起きているのも、ほぼ同じことだと思います。「まだ誰も調べていないから」というのは研究の動機としてはあまりよくないんですが、ここで土を掘った人がまだ誰もいないから掘らなきゃわからん、というのが僕の研究の動機になることもあります、でもそんなこと言ったらあらゆる土地で土を掘らなきゃいけなくなる。少なくとも近代的な科学のアプローチからはずれていますよね。

高野 でも、さすがにデタラメに行くというのではなく、何か目的意識、好奇心が赴くから行くんですよね。

藤井 もちろんそうです。でも目的通りにはなかなかいかなくて。
たとえばインドネシアには熱帯雨林が見たかったから行ったはずですが、熱帯雨林は荒れ果てていました。タイは伝統的な焼畑を見たくて行きましたが、僕が行ったときにはすでに、伝統的な焼畑に従事する人たちがメッシやクリスティアーノ・ロナウドのサッカーTシャツを着てたりして、昔ながらの景色を見られた高野さんが羨ましくてしょうがないのですが。「あれ? 思っていた景色と違う」みたいなことはよくあります。

高野 今でもミャンマーの少数民族武装勢力の地域に行けば見られるとは思いますけどね。伝統的な暮らしが残っているのは紛争地域だけ、というのも皮肉ですが。

黒ぼく土と稲と豆の深い関係

高野 東日本に多い特徴的な土として、黒ぼく土のことを書かれていましたが、その意味で東日本は西日本よりも作物を育てにくいということなのでしょうか。

藤井 田んぼにはあまり適していませんね。黒ぼく土はふかふかな土で、畑をするには悪くないのですが、水が抜けてしまうので、水を張る水田には向かないのです。

黒ぼく土(日本・岩手県)『大地の五億年』より

水田稲作は弥生時代前後に伝わったあと、花崗岩の多い西日本では猛スピードで広がったのですが、静岡あたりでピタッと止まるんです。それから関東に定着するのに、数百年がかかっている。今では北海道、東北、関東にもよい田んぼがありますが、土木技術が乏しかった時代は、水田はなかなかできなかった。

たとえば、奥州藤原氏のミイラの周りにはヒエなど水耕栽培ではない穀物が供えられているので、その頃まではおそらくヒエ中心の文化が稲作と対抗できるレベルであり、西日本で稲作が発展するにつれて、衰退していったのでしょう。稲作以前、縄文時代には栗や鮭が取れる東日本のほうがむしろ人口が多かったのですが。

高野 そうですね。縄文遺跡は東に多いですよね。

藤井 それが、稲を選ぶようになってから逆転するという。西日本と東日本の優劣関係が、土がきっかけで逆転するというのは面白いですよね。

高野 うーん、なるほど。納豆にしても、圧倒的に食べられているのは東日本ですよね。都道府県別の消費量ランキングを見ると、一目瞭然で、まずは東北、次が北関東。それがなぜなのかよく聞かれるんですが、1つの答えとして土というのはあるかもしれませんね。

藤井 そう。私の住む茨城県つくば市には、「はんの木台」(ここは、ぎりぎり牛久市)っていう地名があって。その先には「松の里」、さらに「大角豆(ささぎ)」という地名がくる。全部大気中の窒素を固定する植物の名前なんですよ。

高野 マメ科(笑)。

藤井 そもそもつくばになぜ研究所ができたかというと、荒地が広がっていたからです。肥沃ではない土地だったから、大気中の窒素から自ら栄養を作れるようなタフな植物たちが生息していた。マメ科にはそういう植物が多いんです。

火山灰由来の粘土質の土って、ふかふかなのはいいのですが、栄養分が競合してしまうので、そのケンカに勝てる植物じゃないと育たないんですよ。火山灰が風化してできた粘土は、通常の粘土より粒子がずっと細かい。通常のバーミキュライトが数十〜数百ナノメートルのところ、火山灰の粘土は5ナノメートルほど。しかも吸着力がものすごいんです。栄養分が粘土に吸い着いて水に溶け出さないので、作物までなかなか届かない。だから栄養分を自作したり、溶かし出したりできる植物が多かったんだろうな、と。あくまで1つの要素ですが。

稲作ができないところには豆のようなタフな植物を植えて食料にしたんだろう、というのもあります。実際、東日本の黒ぼく土地帯に「豆」のつく地名が多くあります。関係あると思いますね。

黒ぼく土は縄文人の野焼きの跡?

高野 黒ぼく土について、もう1つ。『日本の土――地質学が明かす黒土と縄文文化』山野井徹:著(築地書館)に、黒ぼく土は縄文人が野焼き・山焼きをやった跡だと書かれていたのですが、それについてはどう思われますか?

藤井 よく読んでいますね。だから僕の本にここまで反応されたんですね。著者の山野井徹さんは、日本各地をさまざまに見てこられた地質学者の方です。
実際、うちの近所の土を入れた器に水を入れて振り、しばらく置くと、下にいっぱい炭が溜まります。日本の土が黒い要因の1つが炭であることは間違いありません。そしてその炭はほとんどが縄文時代のもの。なぜか。縄文時代の人たちにとって野焼きが恒例行事だったからです。

黒ぼく土(特に黒いもの)の分布と縄文時代の遺跡の分布(日本第四紀学会〔1987〕をもとに作成)『大地の五億年』より

チェーンソーもノコギリもなかった縄文時代、石器で木を切るのは非常に困難でした。木を切って住処を作るより、毎年火を放って辺りを焼き、鎮火後に生えるチガヤやススキで竪穴式住居を作ったほうがずっと楽です。草食動物を狩るにも、森林よりも草原のほうが都合がいい。つまり、何千年も続く縄文時代の間ずっと、毎年火入れがされていたということになる。実際、土壌からは炭がたくさん見つかるので、この縄文時代火入れ説はかなり確かだろうと言われています。

高野 そうなんですか。

藤井 遺跡の近くほど黒い土の層が分厚いというのも人間活動の影響の証拠です。ただし、黒い有機物のうち、炭はごく一部です。しかも、黒い土は地球の陸地面積のわずか1パーセントにしか存在しません。日本とニュージーランドに集中しています。どっちも火山の多い島国です。そうすると原因はやっぱり火山灰が前提条件になります。有機物をくっつける火山灰の粘土層という素地がまずあって、そこに火入れが加わった結果、ものすごく黒く分厚くなったと。

高野 人が集まって住むときに必ず火入れをしていたなら、世界中にもっと黒い土があっていいはずだけど、ないんですもんね。

藤井 そうなんですよ。縄文時代の遺跡と黒ぼく土の分布域は結構重なるので、人間の影響は強いとは思うんですけど、人間がいなくてもできる可能性もなくはない。そこで問題になるのが、黒ぼく土の定義が人によって違うことです。

高野 なるほど。

藤井 見た目の黒さで黒い土=黒ぼく土と分類する流儀もあれば、土壌学者のように分析して化学的基準で火山灰の混入程度の多いものを黒ぼく土と分類する流儀もあります。特に昔、似たようなことをやっているはずの地質学者と土壌学者で、意見が食い違うことがよくあったようです。地質学の研究者は下から積み上げて上を見ていくのですが、土の研究者は上から穴を見下ろすので、見方がちょっとずつ……。

高野 ずれてくる、と。

藤井 はい。どっちも間違っているわけじゃないのですが。

高野 黒ぼく土に関しては、その2つの要素があることは確かなんですね。

藤井 そう。定義として色と成分のどっちを重視するかによって意見が変わってきます。同じものを見ていれば意見は案外一致するはずですが、見ている土がみんな違ったりするので。それこそフィールドワークの特徴ですよね。同じ納豆を食べている人について語るにしても、どんな条件で食べていたのか、条件の説明をちゃんとしないと客観化されず、「だって僕は見たんだから」にしかならなくなってしまう。どれだけ前提条件を共有できるかで、科学になるかどうかが決まると思います。

高野 すっごくよくわかります。やっぱり科学も同じなんですね。

藤井 同じです。高野さんの本の冒頭では、登場人物の特徴や描写が丁寧になされていますよね。あれも1つの前提条件ですよね。

高野 そうですね。よくわかりました。ありがとうございます。

(続きます)

【スペシャル対談】その1と2はこちらから

その1

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