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なぜ、やりたいことを見つけるのには”勇気と技術”が必要なのか?

「それなら僕は野球をやめる」

小学校5年生の終わりに、勇気を振りしぼって父に伝えたこの発言が僕の人生を変えたのかもしれない。


父が言うことは絶対という人生

この記事で書いたように、僕は小学校2年生のおわりごろに父から「お前たち(三兄弟)をプロ野球選手にする」という通達をうけた。その翌日から驚くような練習量をこなした。自分の意志ではなく。

父は高校中退。中高のときは不良で学校のボス的存在で恐れられてたらしい。喧嘩がめちゃくちゃ強かったから。身長は165cmでどちらかといえば小柄だけど、鍛えているので筋肉ムキムキ。いろんな格闘技をやって自分を鍛えたていたから強かったのか。本当のところは知らないけど、そんな状態だったので部活はほとんどやらずに学校をやめている。

そんな父が野球の世界に入ったのは大人になってから。僕が生まれてから何年かたってソフトボールを始めた。決めたらとことんやるタイプだからすぐうまくなったんだと思う。社会人のチームでもサードを守り、クリーンナップ(チームの中で強打者が選ばれる打順)を打っていた。

でも「もし、自分が小さいころから野球に打ち込めてたら・・・」そんな思いを僕たち子どもに託したかったのかもしれない。

毎日の練習メニューは、全部父が独自に考えた。本を読みあさって研究したもので、日々改良されていっていた。

楽しい練習なんてものはなかった。やれと言われたから何も考えず淡々とこなす。いつだったか、学校帰ったら食べろって言われてたちりめんじゃこを弟二人のどちらかが食べなかったことがバレる「ちりめんじゃこ事件」があった。父は仕事に行く前にあらかじめちりめんじゃこの量を測っていたんだろう。(そこまで徹底するのがまさに父らしさだ)連帯責任で三人ともボコボコにされた。父がいうことは絶対なのだ。

土日は朝から公園に行って練習。「行きたくない」と影で母に泣きついていたらしい。それぐらい嫌だった。しんどいとかじゃない。それよりもただただ怖かった、練習が。うまくプレーできないとケツバットされるから。

ケツバットを逃れるために、野球の腕は短期間でものすごく上達した。だから小学校4年のときに入った軟式野球のチームでは先輩がいる中、入った日からレギュラーになった。他の父兄から「けんたくんは本当のうまいね」って褒められるのだけが嬉しいことだった。


絶対王政への初めての反抗

僕はプロ野球選手になれないことを確信していた。ボールが怖かったからだ。それよりも父の方が怖かったから上達し、かろうじて続けられているにすぎなかった。

小学校5年生の終わりに、(何か内容は忘れたけど)「父の事情」で所属チームを変えることになった。僕は人間関係ができているそのチームが好きだったのに。

野球をやめる言ってみれるとしたら今このタイミングしかない。そう直観した僕は、父に「それなら僕は野球をやめる」とある限りの勇気を振りしぼって伝えた。絶対王政に対する初めての反抗である。普段だったらありえないことだが、”父の事情”に対する後ろめたさがあったからかそれ以外の理由かはわからないけど僕の提案は受理された。「わかった」と父がいったその瞬間から「僕の人生」がはじまった。


ハイパーヨーヨーと僕

父は子供をプロ野球選手に育てるということ以外、ほとんど興味を示さない人だった。だから僕がやめた後も三男の指導を続けたし(次男は野球がそんなにうまくならなかったのでその前にやめていた)、僕が何かを言われることはなかった。

何がやりたいか?を考えてその当時流行っていたハイパーヨーヨーに小学校6年生の一年間を費やした。自分自身で「これがやりたい」と決めたものに、時間を忘れてしまうぐらい没頭できた初めての経験だった。

その後も「自分の意思」ですべて意思決定していった。親に相談することも許可をもらうこともしなかった。中学ではバスケ部にいき、高校は進学校に進むことにした。(ちなみに、僕は親に勉強をしなさいって言われたことは一度もない)高校のとき、自分のお小遣いを稼ぐために、校則で禁止されていたバイトもはじめた。学校までが遠いからと原付の免許をとって自分で稼いだバイト代で中古の原付を買った。進学校でルールを破ってバイク登校してたのは恐らく学年で僕一人ぐらいだろう。それでも遠いから不登校を選んだ。校則に反することを母は反対したが父は何も言わなかった。


実はやりたいことを見つけるのは技術なんだ

最初に親が期待することにNOをいうことは、死ぬほど勇気がいった。怖かったのが一番だけど、嫌われれるんじゃないかって怖さも少なからずあったからだ。学校のルールを破ることや不登校を選ぶことに対しても後ろめたさはあった。

でも「自分の意思」で野球をやめたあの日から、自分の中には常にやりたいこととやりたくないことがあった。

自分のやりたいことが見つからないっていう人がいるけど、普通の話だと思う。やりたいことを見つけるのは一つの技術なのだ。僕のように小さいときから「自分で選ぶ」ということをやり慣れている人は、やりたいことを見つけることに費やしてきた時間数とキャリアが全然違う。だからうまくて当然だ。

人の期待に応えることが得意な人は、人からの期待を見つけるのが得意だ。何かをうまくいかせるのが得意な人は、うまくいかせるための勝ち筋を見つけるのが得意だ。それらと同様に、好きなことを見つけるというのは経験とともに上達していくものだと僕は思う。そしてやりたいことを見つけてそれをやれている人は知っている。本当にやりたいことは考えても見つからないってことを。


必要なのはNOをいえる勇気

まずはやりたいことを思いつく前に、他の人からの期待や要求、社会の常識にNOをいう勇気が必要だ。もしあなたがやりたいことが見つからないけど、見つけられる自分になりたいと思っているなら

私がやりたいことをやることよりも優先していることは何か?

を聞いてみて、出た答えを勇気をもって手放すといい。もし本当に、やりたいことを見つけ、それをやれる人生を送りたいと感じるなら。


「自分の意思」で自分の人生を生きるのは日本では簡単ではないかもしれない。最初に大事なのは、勇気をもって今まで大事にしてきたものにNOをつきつけることだと思う。すっごく怖いけど、そこから初めて新しい人生のスタートをきれるんだと思う。



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