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あいつはイカれてるのか、天才か?

最近そんなことを感じることがあり、もう一回天才はどうやって生まれるのかを言語化してみた。
 
 


なぜ天才は嫌われ、白い目で見られるのか?


ぼくの周りには天才が多い。すでに天才だって認識されてる人もいれば、天才の卵なんて山ほどいる。天才って聞くと、すごくプラスなイメージをいだくかもしれないけど、現実はそんなことはない。
 
天才の人たちは誤解を受けやすい。人は理解ができなかったり、その圧倒的存在感に対してこわさを感じ距離をとる。天才の卵たちは、「空気が読めない」「ルールを守らない」「ぶっとんでて妄想癖がある」「自分の世界に生きてる」と思われ、まわりから嫌われのけものにたり、白い目で見られて陰でバカにされる。
 
スポーツやビジネスなど、結果が数値化できたり、明確に勝敗がつく世界での天才は比較的いい。初期から天才だと理解されやすいから。(それによっての期待されすぎる重圧に潰される問題はあるけど)
 
問題は、評価が不明確な世界における天才だ。「評価は常にあと」でやってくる。それまでは、人は自分の知覚で理解しやすく好き嫌いに直結しやすい、外見やコミュ力で判断する。だから、まだ評価や実績がついてきてないけど、自分が好きじゃない人は「アイツは変だ」「生意気だから嫌い」って言われる。
 
 

天才と変人は紙一重であり、一晩によって境界線が変わる
(分かりやすいところで言えば、スーザンボイルがそうだったように) 

ほとんど人は、天才性を見抜く目をもちあわせていない。だから、分かりやすい評価がついてくるまでは、その人の才能を信じたり、その人の妄想にちかいと思える夢に真剣に耳を傾けることはないし、その人に敬意を払うことはない。

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天才性を発揮する鍵が自己理解ではない理由


そんな完全にドアウェイな環境でどうやって、天才があきらめずに、日の目を見るまで自分の道をつらぬけるのか?

当初僕は、その人の天才性を発揮する肝は、「自己理解」だと思っていた。その人が何が得意で、何が苦手なのかを性格に知ること。その上で、長所を伸ばすこと。
 
ただ、天才性を伸ばす関わりを多くの人にしていく中で、自己理解があっても天才性が全然伸びないことがわかった。それは、途中であきらめてしまうからだ。理解してほしい人に理解されない孤独に傷つき、他の人が当たり前にできることをできずに人を怒られたり傷つけたりする自分が嫌になる。才能を伸ばしきるよりも前に、自己嫌悪や罪悪感に耐えられなくなる。
 
なので、人の気持ちがわかる天才の卵は、空気を読むことを選ぶようになる。人から言われたことに素直になる。これにによって、天才性を伸ばす道をあきらめる代わりに、安心と幸せを手に入れる。
 
それはそれでいいように思える。が、もし天才性を伸ばしながら、かつ幸せも手に入れらるなら、自分の可能性を開く道をあきらめる必要がなかったんじゃないか?と思う。
 
ただ、天才性を発揮する道を選びながら、幸せも手に入れる方法をほとんどの人は知らない。  


右腕ではなく「保護者」を探せ


じゃあ、自己理解ではないとしたら、何が天才性を発揮するための肝なのか?
 
それは「保護者」を見つけることだ。自分を外圧から守り、自分の弱みを補い、自分をある意味盲目的に信じ続ける存在に出合うことだ。映画『MATRIX』の主人公ネオにとってのモーフィアスでり、宮崎駿さんにとっての鈴木プロデューサーのような存在だ。
 
細かく言うと、保護者は内を守る女房役と、外に出て売り込むエバンジェリスト役に分かれる。こんまりさんを支える旦那兼プロデューサーのたっくんのように一人が両方の役を担うこともあれば、別々の人なときもある。
 
キングダムで王翦将軍が鄴の城を偵察に行って、敵に見つかり囲まれながらも、周りに守るのを委ねて、そんな中でも集中して戦略をゼロから練り直すことに集中したシーンのように、全幅の信頼をおく保護者はあらゆる障害から天才を守り、才能を最大限発揮できるようにできる支援をする。
 


保護者の見つけ方


この話をすると、「そうなんですね!目から鱗です。保護者を見つできですねえ。でも、そんな人がいたら自分にとって理想だけど、まわりにいません。どうやって見つけたらいいんでしょうか?」と質問される。
 
ぼくの答えは、多くの人は保護者と右腕を間違える。右腕ではなく、参謀でもなく、まず保護者を1人探すことが大事だ。自分が好きな人ではなく、才能に惹かれる人でもなく、自分を能力的に補ってくれる人でもない。大げさに言うと「盲目的に」自分のことを信じ続ける人を探すこと。その人が見つかったらその人をとにかく大事にすること。これが、大事だ。
 
天才は理解されないので、自分からずっと離れず他の人ではできないぐらい自分を理解してくれる存在が必要だ。理解力がある人ではない。理解力があって頭がいい(だけの)人は、才能に惹かれても、どん底に落ちたときに離れていくことが多い。大事なのは、長くい続けてくれることによって、自然に発生する理解だ。失敗も弱みも全部丸っと受け止めて「私が守る」という覚悟がブレない人だ。だから、保護者に求める要件において、能力は二の次になる。
 
みんなに理解されることは、あきらめていい。でも1人でいいから、自分が心を許せ全幅の信頼をおける人がいればいい。
 


あいつはイカれてるのか、天才か?


それは最後まで分からない。死後に天才だと評価が後追いでついてくることも珍しくないんだから。でも、じぶんの周りに変わってたり、ダメダメなところがいっぱいあるけど、自分から見たら「この人は何者かになるかも」って人がいたら、保護者にまではなれなくても、その人のことを真っ白な目で観察してあげてほしい。

「彼(彼女)は、なぜそうなのか?」

こうすべきという自分の常識や価値観を一旦横において、その人に興味をもって観察したときに、何かが見えてくるかもしれない。その何かの可能性が観察することに見えてきた瞬間から、あなたが彼(彼女)に放つエネルギーは微妙にでもプラスのものに代わり始める。そのエネルギーは、その人が自分を信じる続けるための栄養になる。
 
「天才」という存在についての理解がもうちょっと広まり、上に書いたような考え方をできる人がちょっとでも増えると、もっと天才性を発揮する人が増えたり、生きやすくなる人が増えるんじゃないかと思う。



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