「next to normal」感想

tumblrに上げていたけど結局使い方が分からずに寝かしっぱなしなので、移植。

当時の私は、拗らせ大学生で面倒くさがりが極まりすぎて、双極性障害という病名をもらって親のすねをかじる暮らしをしていた。
(だからといって本当に治療が必要な人たちを変な目で見るのは控えてほしいという気持ちもあるので、そこはお察しいただきたい。)

以下、転記はじめ。

シアタークリエで上演されていた、ブロードウェイミュージカル日本初演「next to normal」の9月27日(金)夜公演(安蘭ダイアナ・小西ゲイブ)を観劇した。

大学3年(20歳)の頃、進路や大学生活に悩んだことと父親との性格の折り合いが付かなかったことが一番の原因だったと思うが、日々塞ぎこむようになり、大学のカウンセリング経由で精神科に行った結果、この作品の主役であるダイアナと同じく双極性障害だと診断を受けた(もっとも、私はダイアナが罹ったⅠ型ではなくⅡ型であり軽度に分類されると思う)。

診断を受けた後、例に漏れず主治医との月1カウンセリングならびに投薬治療を受けることとなった。あの当時は、今でも思い返す度に病気だったと思う(当時は診断を受けたことで自覚があったが、そう考える余裕が無かった)。自室に篭りベッドに一日中横たわり、時折眼を覚ましたかと思えば眠りにつけず、水(お湯)を浴びると格段に身体が重くなることから風呂に3日入らないのは当たり前。真夏に水も飲まず風呂にも入らず、脱水になりかけたことも多々ある。家族(といっても両親と私の3人家族だが)と衝突し、自室のドアノブで綱引きを繰り返す。母は自分を責め、そんな母を見て母を抱きながら過呼吸になるほど泣きはらし、父には「お前のせいで家族がめちゃくちゃだ」と怒号を浴びた。躁状態になっていたときは、とてもここで書けないようなことをやらかしている。

精神科で診療を受けることに馴染めず、毎月の診療が5分診療になり、転院しても減らないどころか種類が変わり増える薬と、母から薬を貰ってくる度に「減らないのか?」と尋ねられることにも嫌になり、勝手に通院を辞めた。それがかえって良かったのか気分が良くなり、今では多少の躁鬱感に悩まされることがあるが、日常生活を送れるようになっている。薬を多用することで一種の中毒というかそういう類に陥っていたのだろう。

そんな私が、お目当ての役者さんが居るということも理由だが、これは観ないと後悔すると思い、除籍になりながらも何とか復学して得た学生という地位を活用させてもらい、学生シートでチケットを購入し航空券を握り締めて、会場に足を運んだ。

前置きはこれぐらいにして、感想に入ろうと思う。1度っきりの観劇でうろ覚えであるが、確実に言えるのはこれは精神病をテーマの1つとしただけで、根本的には人間の生き方を提示したミュージカルである。

正直、私は最初のダイアナが躁状態でサンドウィッチを作り、それを片付けるダンの姿を見ただけで泣いていた。その後、ダンとゲイブがダイアナを理解しているしていないと掛け合いながら歌うシーンは、ダイアナではなく周囲にいる人間(夫ダンと息子ゲイブ)が歌っているのにも関わらず、本当はダイアナ自身の心の叫びを聞いているのではないかと感じた。闘病中、過呼吸に泣きながら父と対立していたときの私の心境そのものだったからだ。

16年もの間、ずっと妻ダイアナを精神科へ通わせ、診療中は車で待ち続けたダン。車内で何を思っていたのだろうか。Dr.ファインからDr.マッデンに変わったことで状態が良好になっていると浮かれる辺りは、やはり家族であり夫であると思わせられた。しかしながら、ECT療法(電気ショック療法)で記憶喪失になったダイアナをみて、やっと取り戻したダンの思い描く普通に近づけたと思ったのか、ゲイブの存在を意思的に避けるような行動は、胸が苦しくなる。その時に運んできた思い出の詰まった箱が、クリーム色(白色?)ではなく真っ黒の箱だったのが印象的。1幕が終わった後、メモを取っていたのだが全く名前が思い出せないほど影が薄かったのだけれども、2幕を見た後はかえって名前を忘れられなくなった。これまで全く視線が合わなかったダンとゲイブが、ダイアナが家を出て行った後にようやく目線が合う。ダンの新しい人生が幕を開けた瞬間。これまであまり着ていなかった赤(ワインレッド)の服を着ていたのが脳裏に焼きついている。

精神疾患を患った母を持つ、娘ナタリー。彼女が課題や問題に向き合うときに持っているのがレッドブルであること、服がピンク(暖色である興奮を表す赤に近い色)であることを考えると、何とも心苦しくなった。母が新聞になるほどの問題を起こす。そんな母は亡き兄の幻影を見続け、己を見つめることは無い。それでも母に己を見てもらいたいという意識からか、成績はトップクラス。周囲の目も成績に影響を与えていたのかとも考えられる。ECT療法後、ダンが良い記憶だけを教えていくのに対して、今までのダイアナが起こしてきた数々の問題を教えていく様子はただの反抗というよりも、ナタリーにとってはこの問題を起こしてきたダイアナこそが母親であり、ECT療法を受けると言ったときに怒ったことから、記憶喪失の母を母とは思えなかったからこその行動であったように思える。子にとっては非常にストレスフルな母であっても、それが母なのだ。

そんなナタリーに近づく少年ヘンリー。彼はこの劇の中で、一種の安らぎである。6年間もナタリーを見続けてきたと自己紹介する彼。若者にありがちという表現に思えたのだが、遊びでドラッグに手を出す少年。しかし、第一印象こそ「あっ、こいつクズっぽい」ではあるが、6年間もナタリーを見続けてきたと自分を紹介する辺り青く可愛らしい少年。そして、一途なのだと思える。そんな彼は躁状態のダイアナを間近に見つつも、出会った頃のヘンリーに影響を受けたのか母の処方薬に手を出し夜な夜なクラブを遊び歩くナタリーを心から心配する。だからこそ、最後のダンスパーティーで辛抱強くナタリーがやってくることを待ち、この先のナタリーの未来が明るく開ける可能性があることを示唆出来たのだと思う。

生後8ヶ月のときに、腸閉塞でとうの昔に故人となっているゲイブ。天使であり悪魔。幽霊なのかと感じる人も居ただろう。だが、私は幽霊というよりもダイアナの幻影・ダンの記憶上の存在であると感じた。ぴったりとダイアナに寄り添うゲイブは息子<恋人である。パーソナルスペースが非常に近い。父であるダンに対する表情が非常に激情的であり、見方によっては嫉妬に狂う間男のようにも感じることがある。このゲイブ。一番強く感じたことは、「僕を忘れないで。僕を記憶の隅に押し込め消そうとしないで。僕と向き合って」ということ。ダイアナは、忘れず押し込めることもしなかったが、向き合い方が悪く働いてしまった。ダンはダイアナが精神病を患ったことで、忘れてはいないが押し込め向き合わなかった。母にとっての息子というものが、妊娠出産を経験していない人間であるため話に聞く限りの私の想像でしかないが、非常に大きいという。人によっては夫よりも心に占める割合が高いほどに。22歳という学生で出来ちゃった結婚、しかもダイアナとしては望まない妊娠であったのだろう。ダンとしてはダイアナを愛し若くして父になることから来る責任感から、家族を一番に考えた行動であったように思える。この2人ができちゃった学生結婚ではなく、社会人になった上での結婚であったのならば、このようにならなかったのかとも思えてくる。ゲイブは3段組の上段まで上る。ここは屋根裏であるが、それと同時に他のキャストが上ってこないこともあり天国にも思える。ゲイブが客席に背中を向けて上段で立つのだが、背景の屋根が天国への階段にも見えた。ゲイブからナタリーを見つめる表情が、どこか第三者目線に見える。ナタリーにとっては自身が生まれる前に亡くなった兄、ゲイブにとっては自分が亡くなった後に生まれた妹。ナタリーが自暴自棄になっているときにはどことなく心配そうであるように見えるが、やはり第三者目線に思える。時に恋人、時に第三者、そして父の愛を求める無垢な子供。様々な表情を見せるゲイブは、何度も見たいと思わせてくれる人物であった。

ダイアナの主治医であるDr.マッデン。ダイアナの第一印象がロックスター。それまでの主治医であるDr.ファインが無機質であったことと対照的。それだけDr.マッデンが初対面のときからダイアナの心の中にどんどん踏み入った医者であったのかと感じたシーン。そんなDr.マッデンが自殺未遂をしたダイアナの状態に思わず「クソッ」と言いECT療法で有無を言わせないような口調だったことに、真摯に患者と向き合いつつも非情にもなる医師であるように感じた。

そして、中心人物のダイアナ。若いなりにも頑張って子育てしていた息子を亡くし、その喪失感を昇華出来ないまま新しい子である娘を産むが、向き合えず精神病を患っていく。そんな彼女が母として自分を探しにきた娘の幸せのために、ダンスパーティーに行くように背中を押す。何度も手を払われても諦めずに話しかける。今まで自分を支えてきたダンから離れることを選択するが、それはダンを解放してダンが自分とそしてゲイブと向き合えるように促しているように感じる。周囲への影響が強い人物であるとともに、周囲からの影響を受け新しい道を歩き出すダイアナ。ゲイブに導かれるように自殺未遂を行ったダイアナはまだ完全に消えているとは思えないが、ダイアナのゲイブは悪魔から天使よりになっていっていると感じたラストシーン。

単に精神病を扱う舞台だからと遠ざけることは、勿体無い舞台であった。想像しているよりも重たいとは感じなかったし、あらすじを既に頭に入れた上で観劇したということもあるかもしれないが、やはり人生の選択・生き方をどうするのかと考えさせられる作品である。

普通とは何だろうか。自分が決めることか、はたまた周囲が決めることか。それは生きていく上で大事なことではあるが、それに左右されることはとても危うい。だからこそ自分と周囲を見つめ語り合うことが大切なのだろう。

以上、転記おわり。
今の人生ルートを進んだきっかけの1つだと、改めて思う文章。
過去の自分がいなければ今の自分もいない。

探してみたら公式サイト、画像1枚だけど残ってたのでペタリ
https://www.tohostage.com/ntn/
おけぴのゲネレポも生きていた。
https://okepi.net/kangeki/340

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