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⭕日々の泡沫[うつろう日乗]9

紫紺の空に月が揚がっていた。
その月の夜に、いつものように自己紹介をしながら、感想を述べる座談になった。突然、笠井叡がドイツへ行くと言い出した。高橋巌はじめ、そこに居合わせた人たちが、一様に驚く顔をした。みなはじめて聞いたのだ。

笠井叡からドイツ行きの話を細かく聞いたのは、帰りの横須賀線であったか、記憶にないが、オイリュトミーを習いにオイリュトメウムへ行くと。シュタイナーの神智学は謂わば白の神秘学だが、白を獲得するために黒にも染まると。そして最後まで収められるかは分からないと。その頃僕は高橋様のシュタイナー研究会に通っていた。たぶん笠井叡に勧められたか、教わったか。

少し前から、笠井叡は「天才の時代は終わった。優れた踊りを見せることに意味がなくなるかも…」と話してくれていた。土方巽はアスベスト館を封印して、のち大野一雄のアルヘンチーナ頌を振り付ける。神的なものではなく、弱さももつ人間性を振り付けた。人間の時代になったんだなと、その時おもった。

写真集が贈られて机の上にのっていた「Stutgart/Chikashi Kasai」。写真集には大平一枝が文章を添えている。
写真家・笠井爾示の言葉を借りれば父は「突然ドイツに渡ると言い出した」。四年後帰国を決めるのも突然だったらしい。父とはもちろんダンサーの笠井叡だ。写真家は笠井爾示。

ドイツ行きの突然の事情については、笠井叡から聞いていた。エクゼ・リンクという校長先生の踊りだけが、オイリュトミーを実現していると、笠井叡は言っていた。あの人だけだと。たぶん亡くなって帰国したと記憶している。
家族にも、突然、ドイツに行くと宣言したのか…。笠井叡らしい…。あれから40年もたった今日、家族の側からの視点を見ることになる。しかし、この写真集の中に笠井叡の姿はない。気配すらない。それは別のところで凄いことだと思った。笠井叡はどこへでも出てしまう人だから…そして無垢な人だから。無垢は刃である。

僕は被写体になっている笠井叡のパートナーの久子さんと挨拶をする仲ではあるが、それ以上ではない。ダンサーの笠井禮示さんとは楽屋で何度か話したことがあるくらい。笠井爾示さんと面識はない。昔の写真は見たことがある。以来…そして目の前に水仙色した写真集。僕は、笠井さんの家族に常に笠井叡と一緒の風景の中で会ってきた。久子さんが居て…見守っている写真家・爾示がその対峙するところにいる。写真家の気配もない。

縦一で統一された写真には、必要のないものをカットして、その人と、その人の感じている空気と風景と…それからそれを包む爾示の気持ち…あるいは感情のようなものが写っている。閉鎖された画角なのにとてつもなく静謐で、果てなく柔らかい。

鬱で死にたくなったことのある、そして進行するリウマチを身体に抱えた久子さんの、柔らかい笑み。笑みは顔だけでなく身体全体から仄かに緩やかに伝わってくる。負を重ねたときにさらに年齢が堆積すると生きる気持ちを失うことがある。(それは自分の話だが…)久子さんは今を負の重なった状態とは受けとめていないかもしれない。きっとそうだ。

ドイツから、笠井叡と息子二人と帰国して、日本のコミュニティに溶け込めず、モノクロームの世界に陥った久子さんに満開の桜が続く歩道の草むらにラッパスイセンが踊るように揺れている。その時その太陽のような黄色が目に飛び込んだ。(大平一枝後書きより抜粋)
踊るような黄色のラッパスイセン──踊りと搬送するように生きている久子さんらしい。踊る水仙。黄色の…。その瞬間に感覚が開き、生命が別の活性化をする。

そして、思うのだが、この息子とカメラと視線を介在して過ごしたドイツでの時間と空間…写真に写っている全てが奇蹟のように光っている。生きていることの穏やかさ力が、息子とのやり取りのなかで生成している。


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