銭湯の壁には鶴がいる

銭湯が嫌いだった。

情緒のありそうなところが嫌いだし、そもそも、お湯につかることに興味がなかった。

沖縄では一般的に湯船に長くつかる習慣が無く、ほとんどシャワーでお風呂を済ませる。テニスの大会でインターハイにいくとき、「いいか、湯船にはつかるな。慣れないことをすると、体調を崩すぞ」とコーチは口酸っぱく私たちに言った。実際に、ある先輩は疲れを取るために、長く湯船につかり、風邪をひいて試合は散散だったという伝説が残されている。その伝説は、抽象化され呪文となり、私の中で効力をじわじわ発揮している。

呪文がなくとも、私はたぶん銭湯が嫌いだっただろう。修学旅行や合宿の度に、みんなとお風呂に入るのが嫌だった。どんな生き方をしても、赤い暖簾か青い暖簾をくぐらないといけない。私は女子なんだ、ということを、いちいち確認するのはうっとうしかった。下着になって自分のブラジャーや他人のブラジャーを品評するのも息がつまった。裸になるのも苦手だ。私の身体に、人と違う変てこなところがあったら嫌だし、噂されたりしたら、立ち直れないと思った。たくさんの人の裸を見るのも苦手だった。どれくらいの視線が適切なのか、わからなくなってしまう。恥ずかしいので、堂々としたふりをして、すぽーんと脱ぎ、恥ずかしいので浴室で泳いだりしてはしゃぎ、「あー、のぼせてきた」と恥ずかしいことがばれないようにいそいそとお風呂を出て、みんなが出るまで足つぼマシーンにぼーっと足を乗せた。他人とお湯なんかにつかっていたら、実存が脅かされてしまう、あなおそろしや、と思いながら「生殖器の部分がいたいなぁ」と足つぼの痛みが教えてくれる意味に集中した。

そんな毛嫌いしている銭湯に行こうと思ったのは、どうも最近疲れが取れなかったからだ。とりあえず、銭湯に行くといいよ、と上司は言い、私も素直なので半信半疑で銭湯に行ってみた。いつも通るたびに、お湯の匂いがする近くの銭湯に入ると、においの温度がより高くなった。

460円はらい、赤い暖簾を潜り抜け、着衣所に足を踏み入れる。いそいそと服を脱ぐ。当たり前だけどそこにはいろんな女性のいろんな裸があって、色も形も質感もそれぞれだ。お腹のあたりにじぐざぐと傷がある人もいる。髪をむすぶゴムを忘れ、仕方がないのでロッカーの腕にまく鍵のぐるぐるんした部分を髪に結びつける。絡まって痛いが、とてもしっくりした。

中に入り、お湯につかると、ものすごい安心感がこみ上げて、涙が出そうになった。これは、インドのあの美容室と一緒だと気がついた。

大学4年生のころ、私は友人たちと、3週間インドにいった。インドでは、どうしても沢山の男性に声をかけられる。ビジネスでもあるし、ただの冷やかしでもある。基本的に男の人しか外にいないので、日本人女性の私たちは非常に目立った。「美人ってこんな気持ちかな」とはじめは笑っていたけれど、だんだんと外に出るのが億劫になる。

「生まれたところや、皮膚や目の色で、いったいこのぼくの何がわかるというのだろ」とホテルの部屋で私はついついブルーハーツの歌を口ずさみ、そんなうかつなことをするなんて、どうしたんだヤマピー、と友人たちは茶化し、でも本当にそうだね、と、この部分を5回くらい一緒に歌った。

ある日、友人のタカイさんの眉が、やけに整えられていた。美容室にいったらしい。インドでは糸をつかって眉毛を整えるようだ。「いいよ、なんか安心したよ。ホテルの近所の美容室に行ってみたら」と彼女は眉山が外側にあるやけに整えられた眉毛で言い、海外で美容室にいくなんて、「安心」から対局のところにいるはずなのに、と私の心は惹かれた。眉毛は十分すぎるほど生えそろっている。

私の眉毛は沖縄のDNAからか、かなり太く濃いので、いつも持て余していた。純朴そうな雰囲気を出すために太くしたらいいのか、不良になるために細くしたらいいのか、実利とおしゃれ、そして自意識との間で、まゆげの太さを決めかねていた。前日みた、インド映画の女優さんの眉毛は素敵だった。もしかしたら私も素敵になれるかも、とお手軽な変身願望もあった。

教えてもらった近所の美容室に踏み入れると、中には女性しかいなかった。隠されていた女性たちがたくさんいた、と妙に感動した。常連さんと楽しく会話をしていた手が一瞬止まりはしたが、ああ、いらっしゃいと優しく向かい入れてくれた。

「眉毛を整えて欲しい」と言うと、従業員の一人がホットタオルを顔にかけた。その温かさに心底安心して、私は涙が出そうになった。女性だけがいることが、こんなに自分の心を緩めてくれるなんて思いもしなかった。黄緑色の衣装を着た女性が、私の担当になってくれた。私の眉毛をゆっくりなぞり「いい眉毛してるから、もとの形を生かして整えるだけにするね」と言った。眉毛を糸で整えられるのは思いのほかいたく、顔をゆがめるとおかしそうに笑われる。「どう」と言われ、鏡に写った自分はいつも通りの自分で、映画の女優には到底及ばなかったけど、すごく気持ちが良かった。正規の3倍以上のお金をぼったくられたが、気づかないふりをして払った。

銭湯のお湯の温かさは、インドのホットタオルにそっくりだ。女性だけの場所で、温かさに身を委ねる安心感。私の信条から、とっても遠い感情にどう折り合いをつけたらいいんだろうか。お湯につかるのは気持ちいい。湯船の端っこにぴたっと身体を沿わせて体育ずわりをして肩まで温かさにつつまれた。壁では鶴が立派に羽ばたいている。あがったらコーヒー牛乳を飲む予定だ。

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山本ぽてと

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