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金環日食の日

大学生のころ、後輩Tと喫茶店でコーヒーを飲んでいたら、携帯電話が鳴った。Tは慌てて外に出て、電話を取った。故郷のなまりがあって、ぶっきらぼうな感じで対応している。Tが席に戻ってきて、顔をしかめながら言う。

「母からなんですけど、明日の日食を見るときは観察用のメガネをつけろって言うんです。そんなことでいちいち電話してくるの、ヤバいですよね」

次の日は、金環日食が見れると言われていた。日本中が大騒ぎで、コンビニでも観察用メガネを売っていたほどだ。

「いいじゃん、かわいいじゃん」
「それは他人事だから。始終、こんな感じなんですよ」

Tは少し怒ったように言い、それもかわいらしいと思った。

次の日、金環日食の日だった。わさわさとアパートの屋上に住民たちが集まっている音が聞こえて目がさめた。ちょっと見てみようかと思ったが、Tのお母さんの言葉を思い出した。私の母も同じことを言うに違いない。

金環日食に親の言いつけを守らないなんて、縁起が悪い気がする。童話だったら、暗い岩の中に閉じ込められてしまうだろう。

観察用メガネはない。仕方ない。部屋のベランダにある白い壁をみて、「これは日食の太陽の光に当たった壁だ」と思うことにした。洗濯機にはホコリが積もっていて、壁はぶつぶつしていた。ぶつぶつを見ていると、人の顔や、羊や猫、沖縄の形にまで見えてきて、こうして東京に来てしまったけどこれからどうなるのかしら、と非生産的で不健全なことばかり思いついた。

空が暗くなり、壁は灰色になった。屋上から歓声があがる。羨ましい。見たい。

私は母の言いつけをやぶり、目をギリギリまで細めながら太陽を見てみた。まぶしい。よくわからない。そもそも視力は0.3だった。すぐ目が痛くなりそうだったのでやめた。

何日かして、母から電話がかかってきた。「あんた、金環日食みた?」と母が聞く。私は直接太陽を見たことを咎められたくなかったので、「見なかった」と嘘をついた。親の言いつけをやぶった上で、嘘をつく。童話であれば岩に入れられ、鬼のエサにされるだろう。鬼と戦う知力・体力・精神力。すべてが私に欠けている。

「お母さんは見た。幼稚園みんなでメガネ準備して」

母は幼稚園の先生をしている。

「日食になった瞬間に、直接見たらどうなるかなと思って、メガネ外して見たらさ、まぶしくて見えないわけ、視力1.5なのに。目も痛くなった。やめたほうがいいよ。園長にも怒られたし」

「気をつけてね」と私は言った。母といっても人間なので色々だ。私が母に言いつけられていることは、夜遅くに泥酔しない、それだけ。特に守る気も無かった。

その後、Tに会ったので「日食、肉眼で見た?」と聞いてみた。「見るわけないじゃないですか」とTは苦い顔をした。

(注)太陽を直接見るのはとても危険です。

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