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僕が建築をスキになった話

山です。

僕が建築をスキになったのは「建物」と「建築」が違うものなんだと気づかされたときです。それは今でも強烈に印象に残っている同級生の作品でした。

大学2年生の最初の課題は「雑木林に別荘を設計する」というものでした。ほぼ最初の設計課題のため、敷地の与条件や制約などはほとんど無く、各々が自由に理想的な別荘を考えていました。
なるべく木を切らない形を考える人や、リアルな家族構成を設定する人。今思えば、実に健康的な「ザ・はじめての設計」という雰囲気でした。

当時の僕は、まわりに比べたら建築雑誌を一生懸命に読んでいた方だったと思います、1年生の冬にいろんな大学の卒業設計を手伝っていたのもあって、模型や図面は凝っている方でした。頭でっかちな秀才タイプの設計で、なんならちょっと天狗になっていたかもしれません。

しかし発表の日、滞りなく自分の番を終えた僕の前に、その作品は現れました。(一応、便宜的にAくんと呼びますね。)

Aくんの別荘は奇妙な姿をしていました。およそ外形と呼べるものがなく、小さく囲われた小屋に2人用のベッドが置かれているだけでした。そしてそのまわりに、ある道筋を示すように細い柱が並んでいました。

先生は模型と図面を見て「?」となり、当然僕たちも「???」と困惑します。一応、課題では生活空間を求められていましたし、尖った案を考える人も、最低限の風呂やトイレは配置していました。
そんな中、Aくんはコンセプトを述べる代わりに一編の詩を朗読しました。

それはドイツの詩人リヒャルト・デーメルの『浄夜(浄められた夜)』という詩でした。
内容をざっくり言うと、「不倫をし、子を孕んでしまった女性が、それを旦那に打ち明ける。旦那は彼女を許し、自分の子として育てようと心に決める」というものです。
(ああ、なんか身も蓋も情緒もない言い方になってしまった……。いろんな方が和訳しているので気になる方は検索してみてください。)

その詩の舞台は月明かりの照らす雑木林で、Aくんの置いた列柱は2人の歩く道を示していました。デーメルの詩の世界を別荘の課題に重ねたその作品は、彼の朴訥とした口調も含め、とても静かで美しいものでした。

僕はその発表に打ちのめされました。建築とはこういうものだ、と思い込んでいたところをまったく違う角度から殴られた気がしました。今でこそ、設計に物語を投影することは手法の一つとしてわかっていますが、当時の僕には想像の及ばないことだったのです。
僕が、いかにいい建物にするかに執心していたとき、Aくんは建築を通して何が伝えられるか、という視点を持っていて、このとき初めて、僕のつくっていたものはまだ建築になっていなかったんだと気づくのでした。

このことは、建築の面白さと懐の深さに気づく大きなきっかけだったと、改めて思います。
その後はAくんに無理やり接近し、出会って10年近く経ついまでも、いろいろと教えを請う日々が続いています。

ありがとうございます。
山でした。

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