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教育事業のジレンマ

目的と手段

目的は、社会をより良くしたい。社会を構成している個人一人ひとりが幸せでいてほしい。自分の好きなことや得意な分野で自己表現して、社会に価値を提供し、承認欲求を満たすことができたら、個人のwell-beingの向上につながるのではないかと仮説。

そのための手段として、公平な機会提供によって様々な選択肢が用意されている環境を整備したい。失敗が許容される環境下でトライアンドエラーを繰り返すなかで、自分の好きなことや得意なことを見つけられるのが理想的であろう。そのときはじめて主体的な学びが実現する。教育の本質はそこにあるのではないか。

ジレンマ

生まれた境遇や地域によって教育機会へのアクセスが限定されてはいけない。しかしながら、リソース(お金、情報、人脈)のある恵まれた家庭に生まれた子どもたちほど色々な機会を得ることができるのが実情。この層が教育ビジネスのターゲットになることも少なくない。

ここに教育事業のジレンマを感じる。より多くの人に機会を提供したいという思いと裏腹に、教育格差拡大に加担してしまってはいないか。経済格差の固定化を助長してはいないか。マタイ効果を引き起こしかねないのではないか。したがって、真に公平な教育機会の提供が求められる。そのために、価格帯もアクセスしやすくあるべきだ。

Growth MindsetとFixed Mindset

もう一つの視点を加えたい。Carol Dweck博士は、Growth MindsetとFixed Mindsetの概念を提唱した。Growth Mindsetの持ち主は、意欲的で成長し続けることができる。一方でFixed Mindsetの持ち主は、現状に固執して変化しようとしない。たとえ教育機会が与えられても、意欲的に取り組まないFixed Mindsetの子どもたちも一定割合いるだろう。

「リソース」と「意欲」という2つの軸でシンプルなモデルを考えてみた。

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グループ①は、リソース(お金、情報、人脈)に恵まれており、自然と機会が与えられるだろう。そして、意欲的に取り組むことができるので、好きなことに熱中させてあげられる環境さえあれば十分であろう。

グループ②は、リソースに恵まれているため様々な機会に触れることができる。好奇心をくすぐるトピックに巡り会えさえすれば、Growth Mindsetへ転化することは容易ではないか。

グループ③は、Growth Mindsetを持っているので機会が与えられれば、自分の興味・関心を深堀りし、目的を持って取り組むことができるでしょう。教育機会の提供で花開く可能性を秘めている。

一番の課題は、グループ④にどうやってリーチしてエンゲイジしてもらうかだ。Fixed Mindsetの持ち主は、変容しようとしない可能性が高い。しかしながら、彼らはただ成功体験が少なかっただけではないかと考える。親を含め周囲の環境から褒められるという経験が少なかったかもしれない。プロセスへの評価が乏しかったのだろう。努力しても報われなければ努力する意義を失ってしまう。小さな成功体験を得ることで、Growth Mindsetへ移行することができるのではないだろうか。私は、誰でも好きなことや得意なことに対しては、意欲的に取り組むことができると信じている。したがって、色々な機会を通して自分が熱中できることに出会えたら、ひとは変わるのではないか。

情報の伝え方

上記の理由から、グループ④への機会提供は諦めたくない。そこで、彼らが情報弱者にならないように工夫しなければならない。現代の主要メディアは、ソーシャルメディア。ソーシャルメディアの性質上、情報は所属するコミュニティを通して届く。通常、情報のやりとりは類似属性同士にとどまってしまう。

加えて、特に中高生は、学校の勉強や部活動でとても忙しいのが現状。目の前のことだけで手一杯で、新しい刺激に反応する余裕がない場合がある。フィルターバブルの中にいる彼らにどうアプローチしたらよいだろうか。ここで、プッシュ型での情報発信が重要だと考える。できる限り、彼らが所属する情報コミュニティ(学校も含め)に入って、彼らのアクションを喚起するように丁寧に説明していく必要があるだろう。

意欲格差

社会をよくするために、経済格差、教育格差に加えて意欲格差も考慮する必要があると考えるようになった。お金を再分配するだけでもだめで、機会を与えるだけでもだめで、どうしたら意欲的になってもらえるかまで考えなければならない。そのとき、相田みつをが唱えた「みんなちがってみんないい」の前提に立ち返ることが不可欠だ。つまり、何に対して熱中するかは、ひとそれぞれである。

これまでの学校教育のように画一的な評価システムから脱却し、評価の仕方も基準も個人に合わせて多様化するべきではないだろうか。これは、technologyで十分可能になってきているはずだ。直線のものさしではなく、幾何学模様を描く様々なものさしが必要になってくるだろう。努力すれば報われるべき。誰しも輝ける領域がきっとあるはずだ。公平な機会提供の結果として、より多くのひとが自分の好きなことや得意なことで自己表現することで、承認欲求を満たせると信じている。

誰もが自分らしく生きる社会へ。


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