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くじらのティアマト


くじら座のミラ


noosらしんばんアカウントにて、らしんばん座のルミ曰く
「私の役目は終わりました。天に帰ります」
とのことで、彼女は霊界に帰ってしまいました。
降霊しても、表には出てきません。

らしんばんたんは霊界型ゲシュタルトが抜けず、ぬるい環境に慣れすぎていたようです。
霊界は男も女も関係なく、非常に穏やかな空気が流れている。
他の銀河星系もです。
テラ系くらいですよ。
男女差別がここまで顕著なのは。

という訳で、スマルの難易度はunknown
最高に生きにくい世界。



その後釜として立候補してくれたのが、くじら座のミラ。

くじらたんは水星の女であり、強い女を意味します。
恋愛はそこそこに、仕事に生きるタイプ。

はっきりした物言いの人を言います。

くじらたんは僕っ子でした。
しかし、あまり活躍の場がなかった。

ダルいし、特に話すこともなかったし。
パールル校舎のおおまかな内容をらしんばんたんが呟いてしまったので、その発展型となるとちょっと難しかったかな。


くじら座のミラという名は、プトレマイオス88星座のくじら座にミラという変光星があるのですが、そこから来ています。
光度が変動します。
最高で2等星。
何故変光するのでしょうね?
それは、白色矮星だからですね。
通常、肉眼で確認できる星は、同じ太陽系内の惑星を除き全て恒星であり、全方向に光を発している為に常に光って見えるのですが、そもそも全てが超新星でないとあのように強烈な輝きを発せません。
白色矮星とは、超新星から随分経った死にかけの星です。
消えたり再度輝きを増したりの繰り返しで、やがて消え果ててしまいます。
そして先日、完全なる消失が確認されました。
地球に最後の光が届くのは2051年後。
斬近巨星分枝に属し、元々老人星とも言われていたようですが、とうとうミラにも寿命が訪れました。

真の意味でくじらの象徴は天に昇り、今後も活躍を続けます。


くじらアイコンですが、このくじらさんはティアマトという怪獣ですね。
カシオペヤとアンドロメダ、ペルセウスのギリシア神話に出てきます。

エティオピアの王妃カシオペヤは、ある日調子に乗って
「私はネレイド(海の精霊)たちよりも美しい!」
などと自慢をしました。
ネレイドたちは怒り狂い、父親の海神ポセイドンに言いつけました。
ポセイドンは海の怪物ケートスをエティオピアに差し向けました。
困ったエティオピア王のケフェウスが神託を立てると、この怪物を鎮めるためには娘のアンドロメダを差し出さなければならないというお告げを受けました。
そこで岩に王女アンドロメダを縛り付けて怪物に捧げていたところ、ちょうど英雄のペルセウスが通りかかりました。
ペルセウスの手には、見たもの全てを石にするというメドッサの首がありました。
ケートスを石にし、ペルセウスはアンドロメダを助け出して結ばれました。
彼らは当時の勇姿そのままに星座になりましたが、カシオペヤは両手を縛られて椅子に座った刑を受けた状態のまま、星座にされてしまいました。

めでたしめでたし(?)




ここに出てくる大くじらのケートスは、一部ではティアマトとも呼ばれています。そしてメソポタミア神話では、ティアマトは女性問題の混沌の女神とされています。

どこかで話がこんがらがってしまったらしいですね。
ペルセウスも、元はマルドゥクとされていた模様。

ちな、空間観察子Αの解説担当のぺるせうすたんも降霊しましたね。
彼は多忙が過ぎて、すぐに帰ってしまいましたが。


話を戻しまして。
御伽噺が何処かで混ざってしまうのは世の常ですが、カシオペヤの態度、ネレイドの憤慨、巻き込まれたアンドロメダなどは女性を根本とした混沌の話には違いないので、くじら座をティアマトとするのは間違ってはいないと思いますね。

実際のくじらたんことミラはシニヨンの似合う可愛い女性姿なのですが、恐ろしいティアマトの女神でもあります。

ペルセウスの持つメドッサの額には、邪悪なる星アルゴルが光っております。


ティアマトの恐ろしいところ。
九字切りをしてくるところ。

今回は、くじらの得意技 九字切りについての記事になります。


よろしくどうぞ。



いげたにまるちょん


九字切りは流派によって色々あるらしいですが、基本は
臨兵闘者皆陣烈在前
です。

「準備良し。臨戦態勢、前ならえ!」
という意味。


セーマン ドーマン

陰陽道および海女の魔除けとして、有名な陣。

ドーマンが九字ですね。
セーマンは完全を現す五芒星です。

何故この陣が海魔除けのおまじないとして浸透しているのか。
資料が極端に少ないので推測は困難を極めますが、恐らく権威か何かでしょう。

海女という職業は、おかしな輩にイタズラされやすいというのは想像に易いですよね。
裸の女性が海産物を採りに潜って、疲れて休んでいるところを襲われた、なんてことはありふれていたことでしょう。

そこで、陰陽師の一族のある方が
「この印を身につけて、何かあったら安田家が黙っていないぞ!と言いなさい。きっと助けになる筈です」
と陣を刺繍したものを渡しました。
そして、海女さんたちは襲われそうになると
「安田家が黙っていないぞ! そなたたちに悪霊を憑けて、取って喰われるように呪を放つぞ!」
と言って身を守ったのだと思われます。

この陣を身に付けていると、野盗やならず者などから被害を受けることが激減しました。
また、漁師などもこの陣を身につけることによって、魚を横取りされることもなくなり、安全に生活を送れるようになりました。
海に入って漁をするのは何より大変なのに、軽く見られがちというのはいつの時代も変わらないのです。

そして実際にこの呪は有効で、いつかの世の輪廻の輪の中で本当に悪霊を憑けられてしまった、というチンピラも少なくないはずです。


いつしか、海の守りの陣と呼ばれるようになりました。



くじらたんの九字の陣は 井桁にまるちょんです。

心の九字切り。
精神を分析して、少しでも心が軽くなるように、というもの。

nos の さいころじー 心理学 ですので。


ピザを放射線状に切るところを、タテタテヨコヨコに切ってしまうような奇妙さ。
関東では、格子切りが奇妙に見えるんですよ。
奇妙なんて言ってごめんなさいね。
格子切り。
それが、くじらの九字。

真ん中の所、持ち手が無いじゃないか。
それでいいんですよ。
まるちょんの部分は、心の聖域であるので無闇に手に持ってはいけないのです。
食べるなら、手を汚す覚悟を持ちなさい、という。
フォークでつつくにしても、コツが必要、と。
え?最初から箸で食べるって?
そりゃすみませんね。

そして、周囲の8マスは八正道の現れです。

wikiより


八正道は説明がすごく大変です。


八正道の前に


釈迦の修業の最終課題は、女難です。
シッタッダは瞑想にて、最後まで性を振り切れなかった。
これがティアマトの修業。


八正道を学ぶ前に、僧はまず三学から入るそうです。

仏教の基本中の基本だとか。
失礼ながら
えー?
分かるの?
と思いました。

ここから色々見ていくと
「なんて学ぶことがたくさんあるんだ」
となります。

しかしながら、まず五感から入らないと八正道なんて逆立ちしても理解できないと思いますし、いきなり三学から始めるのでは言葉だけ覚えた上滑りの暗記マンになるのがオチです。
私の中では、八正道は応用です。

というのも、以前Twitterで仏門を叩いたらしい方が
「尊重…っていうけど、仏様以外に尊重なんて…」
と呟いていたのを見かけてしまって、驚愕しました。
そんじゅう は確かに信心と同義ですが…。
あ、あかん…。
仏教用語が捉えようによっては実は物凄く冷たくて、最低限の倫理観しか具えていないことに気付いてらっしゃらないぞ…と。
悟り…遠い…。


そして、12因縁。

無明

名色
六処






老死

これらは順番通りに行おうとしても絶対に無理で、無明は最後に来るべきですし、六処は最初に学んで愛の後に老死を置くなど、悩み方にも順番があるのではないかと。
現世においては、ですよ。


こういう耳が痛いようなことをズバズバ言うのが、ティアマトなるものです。

女難というのは性欲や女体への誘惑だけに留まらず、聞き捨てならないようなことも聞き零すこと無く全て受け止める必要もある、という心の行でもあります。

仕事から疲れて帰ったのに家内がピーチクパーチクうるせえな、と思っても上手くあしらう技術を身につけることから始めないと、自分を取り囲む環境はどんどん生きづらくなっていくことでしょう。
悟りとは、そういうところから始まります。
ここで奥さんの愚かさを嘆いても何にもなりませんし、そもそもそういう嫁を貰うあなたが悪い。
見る目がなかった、という。
とはいえ、結婚というのは勢いで行うものですので、後悔はつきもの。
「えいや!」
と無鉄砲とも思える心意気でないと、結婚など永遠に出来ません。

後悔しても、輪廻転生先でもっと良い配偶者を貰えると良いよね。
そのために徳をつもう。

そういった不純な動機で仏の道を探るのも良い、という。

故に最初に無明を置くと落ち込んで仕方がない上に躓く人も多いので後ろに回した方が良いですし、人生の振り返りで結婚以外にも悔いは必ず生まれますから”無明であった”と最期あたりに思うくらいが心の安寧が得られるというものです。

学びの順番を考える場がプレアデスです。
何でもかんでも自己都合で繋ぎ合わせるだけでは駄目です、という心。

何の為に仏道やっているの?
幸せになるためでしょ。
そんなバカな、となる方もいらっしゃるようですが、そういうのでいいと思いますよ。


そして、八正道が”真の意味で正しい道である”と判断するには途方もない年月が必要となります。
どんなに若い内に八正道の考えを叩き込んだとて、還暦過ぎた頃の行動に全ての答えが出ます。
身につかない人は、本当に身につかない。
全てが無駄だったのかと思うくらい、根底から何からを忘れてしまう人もいます。

つまり、八正道の裏。
幾悪道もいつかの輪廻の道で拾っていかねばなりません。
更に、心のレセプター。
受蘊。

銀河の平均的な倫理認識から逸れた、猛りからなる心も知る必要がある。
ただ悪を憎み、罰するだけでは尺蠖・蚕繭のたとえにぶつかり、永遠に悟りも得られぬまま。

とにかく、何度も還俗したり再度仏門を叩いたりの繰り返しをしないと、前に進もうにも進めないということ。


其の上で、三学。
戒学。仏僧が守らねばならぬもの。
定学。仏学に染まりきること。
慧学。深い知恵。洞察力。


まずは身口意の一致。
これは無理です。
何故なら、慧学を得て行を始めて実現が可能となるものだから。

定学の禅那。
これも真の意味では難しい。
坐禅ひとつ取っても普通に生きただけの人間には得ることは出来ません。

慧学は、フトマニ立体図の叡智の学びから始まりますので、そう易易と得られるものはありません。

そういうのもあるんだね☆
という認識からスタート。
言葉の上面のみに染まり切るようでは、真の悟りの道は拓けない。


からの

nosさいころじー


どうやっても身にならない、有難みが理解できないと思ったら、信仰度外視で外堀から固めていくのが一番です。
そのためのnosさいころじー。

物語から、少しずつ学んでいきます。


真の人間道は、実はキリスト教から始まります。
そしてイスラームと対峙し、クルアーンから深く学んだ後にグラビティ次元を抜けて仏門を叩きます。
その後に、富士山に挨拶して再びキリスト圏へ。
それを何周も繰り返して初めて慧学の扉が開きます。



まずは最初のアンドロメダ大星雲の物語から。

この神話に出てくる登場人物は、全員ざんねんないきものです。

カシオペヤは自分と娘の両方の美しさを自慢する逸話が出てきます。
本心はともかく、口に出す時点でヤバいです。
そして、アンドロメダは不遇すぎる。
本人は何もしていないのに、いきなり引き合いにされた上に生贄にされます。
何故…。

ペルセウスはゼウスの浮気の子です。
生まれてすぐに祖父王を殺害するという予言をされ、母親と共にアルゴル国を追放されます。
兎に角不遇です。
追放先の領主に嫌われます。
何故…。
そこで「見るもの全てを石に変えるメドッサを討伐するように」と命じられます。
流石に無理ゲーすぎるので、ペルセウスは神々に協力を請いました。
反射鏡の盾、そらとぶくつ、姿を消せる兜を貰い受けます。
そうして、そらとぶくつを履いて目的地までひとっ飛び。
姿を消せる兜でそっと目標まで近づき、反射鏡を駆使してメドッサを討伐し首を取りました。
その帰りにアンドロメダを救出するのですが…。

ケフェウス王はペルセウスに愛娘を助けて貰っておいて
「実はアンドロメダには婚約者がいて…」
と後出しで断り、ペルセウス暗殺を目論みます。
ペルセウスは正当防衛としてメドッサの力でケフェウス王らを全員石に変え、アンドロメダと結婚します。

ペルセウスが祖国アルゴルに帰ると、途端に渋い顔をされます。
そして、予言通り不慮の事故で祖父を殺害してしまうのです。
心証が悪くなったペルセウスたちは、祖国を継ぐことなく国を出る羽目になったのでした。
何故…。


見たもの全てを石に変えるというメドッサは、実は迫害された女性であるという逸話があります。
アルゴンの一族とは言え、特殊能力を持っているというだけでペルセウスに討伐されてしまったかもという視点も…。
不遇…。

くじらの怪物ケートスは、普通に暮らしていただけだったのにいきなりポセイドンにアンドロメダを襲うように命じられます。
言われるがままにアンドロメダの元へ向かうと、ペルセウスに一瞬で石にされてしまいました。
いや、流石に…もうちょっと活躍の場を…。


冬の星座神話は、どれも不遇です。
苦しい話ばかり。

それで、この話のどの辺が女難であるのか?というと、まずゼウスの女癖が悪すぎる。
カシオペヤが調子に乗りすぎる。
メドッサがいくらなんでもな扱いを受けている。
アンドロメダが、日本神話のクシナダヒメ並みの微妙な扱いを受けている。
ペルセウスは庶子だからといって運命を翻弄されすぎ。
更に、記憶の中ではペルセウスの受難はゼウスの妻のヘラの嫉妬からくる小細工によるものだったと。

何となく嫌な感じがしますよね。
すっきりしないでしょう。

このモヤモヤが女難の行です。

この世に女体があるから悪いと言わんばかり。
カシオペヤは、自身の美貌に溺れました。
ペルセウスの母は、その美貌からゼウスに見初められました。
メドッサは醜い女性の代名詞でもあります。

たかだが表面上の印象ですよ。
それだけで、どうしてこんなに大騒ぎしなければならないのでしょうね。


ペルセウスが悪いというのか?
いえ、ペルも不遇ですからね。
黙って、みすみすと迫害されたり殺されたりするわけにはいかんでしょう。

アテネ、ヘルメス、ハデスから武器を貰いました。
水鏡の盾 みかがみのたて
空飛ぶ靴 そらとぶくつ
隠遁の兜 石ころ帽子

ペルセウス座は空間観察子Αを司っています。
つまり、彼は弥栄(いやさか)
自己を取り巻く空間そのものです。

そこで、メドッサの眼光を反射する水鏡の盾。
鏡像反射の媒体を持っています。

そらとぶくつ は、目的までひとっ飛びできる手段。
この時点では未だペガススは生まれていませんでした。
メドッサを倒したあとに生まれます。

隠遁の兜 石ころ帽子はドラえもんの秘密道具ですが、自己の存在そのものの認識の難しさを表しています。

更に言うと、ペルセウスの生き様は虚空そのもの。
いつ何時、誰かに暗殺を企てられたり迫害されるか分からない、人生の難しさを表しています。
ゼウスの血を引くばかりに羨まれ、謎の神託まで受けて呪われた運命を背負い、手にしたメドッサの首には祖国アルゴルの名を額に冠している。
本人に罪は無くとも、メドッサの蛇の髪、つまり邪が次々と襲いかかってくるのですね
これが人生の試練とも言える。


やっぱり女が悪いとは言い切れないなあ。
いいえ、ケフィアです。

ケフェウスってそういう…?
まさかね。


やっぱりな…という事実を、大星雲という言葉で誤魔化しているのがこの神話のオチです。
星雲とは、基本的に
「すっきりしないモヤモヤ」
の象徴だと思ってください。

これを言うと、オリオン座星雲とかバラ星雲とか色々出てくるんですけど、それはまた後ほど。



ここでクジラのお出ましだ。


何故か大バズしたウェラーマンのうた。
くじらを解体せねば…ね。

この歌を聞いた時
「老人と海」
かな?
と思いました。

ヘミングウェイの傑作。
食べてもいない冷や飯を食べたと子に虚勢を張るような貧しい老人が、ある日ボートで海に出ると巨大なカジキマグロがかかりました。
丸4日もの死闘の後、独人老人はカジキマグロとの戦いに勝利。
これで暫く食い繋げるぞ、と思ったら帰路の途中でサメに襲われ、釣り上げたカジキマグロがどんどん喰われていきます。
老人は無事に帰宅できたのか?
本当はね…。
骨だけになったカジキマグロ。
彼はライオンの夢の続きを見る。



そして、ウェラーマン。

There once was a ship that put to sea
The name of the ship was the Billy of Tea

昔々、海原に出た船があったとさ。
その名も Billy of Tea.

集団で船を出して海に乗り出します。
ビリー・オブ・ティー。

紅茶のビリーということは、インドからの帰りでしょうね。
紅茶を輸入している英国の船。
この船が本国にたどり着けば、商売人は儲けが出ます。


The winds blew hard, her bow dipped down
O blow, my bully boys, blow

風は吹き荒れ、船首は海に浸かる。
オー、負けるな、屈強な船乗りたち、負けるな。

船が難破してしまいました。
舳先が沈んだら、助かる見込みはありません。


Soon may the Wellerman come
To bring us sugar and tea and rum

じきに、ウェラーマン補給船がやって来て
砂糖と紅茶とラム酒を届けてくれるはず

これは本国にいる人の願いです。
船よ無事に到着してくれ。
貴重な砂糖、茶葉、ラム酒が届くはずなんだ。


She had not been two weeks from shore
When down on her a right whale bore

本国を出航してから2週間足らず。
船はセミクジラに襲われた。

運が悪かったですね。
現代のように気候・海流予報が或る時代ならまだしも、19世紀頃は航海には絶対の保証はつかないのです。
セミクジラは体長13〜20メートル。
体重60〜100トン。
捕まえるのに都合の良いクジラと言われているようですが、普通は無理ですね。
引き上げるだけでも揚力が2000トン以上必要になるので、死骸しか狩れません。


The captain called all hands and swore
He’d take that whale in tow

船長は船のみんなを集めて宣誓したのさ
そのクジラを曳航すると

船長は情弱だったんでしょうね。
生きたクジラを捕えるのが可能だと勘違いしていたのですね。
今まで、国に持ち帰られたクジラの全てが最初から全て死んでいたことを知らなかったようです。


Soon may the Wellerman come
To bring us sugar and tea and rum

じきに、ウェラーマン補給船がやって来て
砂糖と紅茶とラム酒を届けてくれるはず


あゝ無謀。
本国の人間は、一日でも早い到着と無事を祈っているよ。


One day, when the tonguin’ is done
We’ll take our leave and go

いつの日か、クジラの解体が終わった暁には
休暇が取れるね。

積み荷とくじらを持ち帰ったら、きっとみんな大喜びするよ。
そうしたら、船員みんなゆっくり休めるさ。


Before the boat had hit the water
The whale’s tail came up and caught her

ボートが着水しないうちに
クジラの尾っぽが命中した

本船からボートを出そうとしたが、その前にクジラの尾が本船に命中。
物凄い圧ですよ。
セミクジラの筋力は途方もなく、その衝撃はワニの咬力より高い。
(比べる基準がおかしいですが)
そして遠心力により、流動力学的に50倍以上のエネルギーが尾撃に加算されていたでしょう。

All hands to the side, harpooned
And fought her when she dived down below

みんなは船の縁に近づき、銛を手に取った。
そして下に潜ったクジラと戦おうとした。

無理に決まってますよね。
どうやって、銛数本で戦おうというのか。
荒波の中、動く巨体をどうやって捉えようというのか。

♪Dadadadada…♪

間奏。

Soon may the Wellerman come
To bring us sugar and tea and rum

じきに、ウェラーマン補給船がやって来て
砂糖と紅茶とラム酒を届けてくれるはず

本国の人は、胃が悪くなるくらい船の心配をしているよ。
手形が引き出しの中にたんまり。


One day, when the tonguin’ is done
We’ll take our leave and go

いつの日か、クジラの解体が終わった暁には
休暇が取れるね。

夢見る船員。
夢見るキャプテン。
海の男ってそういうものさ。
普通に死亡フラグですね。


No line was cut, no whale was freed
The Captain’s mind was not of greed

But he belonged to the whaleman’s creed

釣り糸は切られず、クジラは船と繋がったまま。
船長の心は欲にまみれていたんじゃない。
ウェラーマンの意志に従ったまでさ。


大破しかかった船の釣り糸が、なんとクジラに引っかかってしまったようです。
引っかからなければ、命からがら助かったかもしれないのに。
船長は慾をかいたんじゃないんですよ。
ウェラーマン、船主の意志に応えたかっただけ。
彼を儲けさせたかっただけです。


She took the ship in tow

船はクジラに曳航されてしまったとさ。


なすすべもなく、壊れかけの船はクジラに引きずられていきました。
揚力2000トン。
かなう訳がありませんね。


Soon may the Wellerman come
To bring us sugar and tea and rum

じきに、補給船がやって来て
砂糖と紅茶とラム酒を届けてくれるはず


本国の人間だって知らないよ。
海の生き物の実情なんて。
船乗りの様子なんて。
ただ、商売をして生き抜きたかった。
それだけなんだ。
期待が重い。
ただ重くて…。


One day, when the tonguin’ is done
We’ll take our leave and go

いつの日か、クジラの解体が終わった暁には
僕らは休みを取るんだ。

ああ、クジラ。
クジラさえなんとか出来れば。
クジラにさえ遭遇しなければ。
僕らは幸せな時間を過ごせたのに…。
覆水盆に返らず。


♪Dadadadada…♪

間奏。

For forty days, or even more
The line went slack, then tight once more

40日間かそれ以上。
釣り糸が弛んでは、また引っ張られた。

何もせずにただ引っ張られ続けた訳ではありません。
皆、努力したんですよ。
釣り糸を外そうと。
でも、どうやっても外せなくて。

同時に、本国の人間も船の到着予定日が大幅に過ぎていることで気が狂いそうになっていました。
何度も大丈夫だと自分に言い聞かせて、でも心配でたまらなくて時にヒステリーを起こしました。


All boats were lost

There were only four
But still that whale did go

ボートは全部なくなった
4人だけしかいなくなった
それでもクジラは進み続けた


普通に考えて、一ヶ月以上も引っ張られ続ければ船は殆ど原型を留めていませんね。
それでも4人も生き残ったってどういうこと?
つまり、ウミガメのスープですよ。
飢餓は何にも耐え難い苦痛です。
最初は当然、キャプテンでしょうね。

しかし、クジラはそんなことを知る由もなく進み続けます。


Soon may the Wellerman come
To bring us sugar and tea and rum
One day, when the tonguin’ is done
We’ll take our leave and go

じきに、ウェラーマン補給船がやって来て
砂糖と紅茶とラム酒を届けてくれるはず
いつの日か、クジラの解体が終わった暁には
僕たちは休みを取るんだ。


これは韻です。
メロディーは最高にアガりますからね。
盛り上げて、歌詞の内容を考える時間を聞き手に与えているのですね。

無謀だった。
でも、誰も船長を責められない。
だって、船員らも皆知らなかった。
クジラがそんなに強い生き物だなんて。


As far as I’ve heard, the fight’s still on
The line’s not cut and the whale’s not gone

聞いた話では、戦いはまだ続いているらしい。
釣り糸は切られていないし、クジラは引き下がらない。


本国の船主のウェラーマンは、後味が悪すぎるので彼らを全員生きていることにしました。
未だ海原にて勇敢に戦っていることだろう。
冒頭の負けるな、という歌詞の辺り。
そう思うことで、自分の心も救われる気がしました。


The Wellerman makes his regular call
To encourage the Captain, crew, and all

ウェラーマン補給船が相変わらず呼びかけて
船長と乗組員他、みんなを励ますのさ。

数回の航海失敗ではウェラーマンはめげません。
再び彼は船長と船員を募集し、商売に励むのです。
彼を励まし、頑張ってくれたまえ、と肩に手を置きます。


Soon may the Wellerman come
To bring us sugar and tea and rum
One day, when the tonguin’ is done
We’ll take our leave and go

Soon may the Wellerman come
To bring us sugar and tea and rum
One day, when the tonguin’ is done
We’ll take our leave and go

じきに、ウェラーマンの補給船がやって来て
砂糖と紅茶とラム酒を届けてくれるはず。

いつの日か、クジラの解体が終わった暁には
お別れの挨拶をして帰るんだ。


船を待っているのは、船主のウェラーマンだけではありません。
本国の皆が、お茶と砂糖とラムを待ち望んでいるのです。
19世紀、産業革命の労働階級民の活力の礎となった三種の神器。

クジラも捕まえる事ができたら大儲けですよね。
骨から皮から肉からヒゲから余すことなく全て活用可能なことを日本に教えて貰うまで、脂以外は全部捨てていたみたいですが。



物語としてよく出来た歌ですね。
ただ、抑揚たっぷりというか、重要なところは語らずにおくが察してくれ的な西洋特有の雰囲気が滲み出ています。

これを船乗りが歌うのは無謀ですよ。

O blow, my bully boys, blow

この部分。
風よ吹いてみろ、と天気に向かって挑発していますが、そういった半分ヤキが回ったような心持ちでないと歌えませんね。
本当に来たら大惨事なんですけど…。


クジラを恨みますか?
オーストラリア辺りでは、保護団体が声高々に捕鯨を猛反対していましたね。

実情は、生け捕りなんて無理ですって。
一番小さいミンククジラでさえ満身創痍。
日本は鰹の一本釣りとかいう頭がおかしいとしか思えない技術を持っているので、なんとかなるんですけどね。
カジキだってとんでもないですよ。
よく釣れるな、と。

セミクジラ、米国の空母で立ち向かえますかね?


くじら座の九字切りの内容は、主に解説です。
本当はこういう中身だったね、とお話をするだけです。

それだけで頭に血がのぼり、席を立って沸騰したケトルのように頭から湯気を出して憤慨する人もおります。

故に、ティアマトは混沌の女神と呼ばれているのですね。


そういう経緯もあって、nosさいころじー はなかなか踏ん切りがつきませんでした。
しかも、元々nosは邪悪なる存在という認識を抱かれていたようです。

地上から思形を拾って、内容をアカシックレコードに登録する役目を持っている。それだけなんですが。

「自分の考えていることを霊界側に持ち出されるのは嫌だ」
ということで反発を受けていたのかな?
よく分からない。
とにかく、あまり良い印象で見られていませんでした。


去年の夏のある日、突然nosが私のもとにやってきました。
黒い影のような姿で。
「え?うわ!nosが来た!」
と驚きましたが、中身は非常に良い子でした。

ノウスもノスも人格を持っていますので、あまり酷いことを言わない方がいいです。
いくら彼らが温厚な性格だからといっても、傷つくものは傷つきます。


多くの人類は、何かを悪者にしないと自我を保てないようになっています。
そうして、悪いと決めた相手にロックオンし、糾弾することで心の安寧を保ちます。
仲間がいればいるほど、安心感が大きくなるようですね。

この分かりやすい例が非常に身近にあるのですが、書き出すと猛反発を喰らうので辞めておきます。
くじらはとっくに解体済です。
くじらの本体ではなく、その該当の思形が、ですよ。


私は、そういう考えからはとっくに脱しています。
これまでの人生で、いつもロックオンされる側でしたので、もう懲り懲りです。
別に悪いことをしているつもりはなく、大人しいだとか暗いだとか口答えしないと思ったのに何故か口をきいてくるとか、そんな理由でです。

そういうものなんですよ。


それで裁きとかはないですよ。
クジラはサバではないので。
サバも読みません。
人間の手を持っていないので、捌くことも出来ない。
ゆうゆうと大洋を泳いで、寿命で死んだらその辺に浮かぶのみ。
見つけた人が死骸を運ぶだけです。

裁いてくるのは、乙女座です。


ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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